てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

<携帯版> ロンドン暴動から考える暴動とは、そして日本の病理

『<携帯版> ロンドン暴動 解説(のはずが終わらず…)』

通常版「ロンドン暴動 解説(のはずが終わらず…)」

が無駄にならないように前回の続きから。

【前回の続き、デモとは手段】

 デモとは秩序ある政治行動、ルールに組み込まれたものだと述べました。このデモが暴走して、秩序が失われてしまうと、まさに無秩序・混乱状態=暴動になるわけですね。では、この暴動というものをいかに解釈すべきか?いかに理解すべきか?

 前回述べたように『デモとは政治目的を達成するための行動』ですから、ゲームに目的を達成するための手段と選択肢があるように、この政治ゲームも当然目的を達成するための一選択肢・手段に過ぎないわけです。

 どんなことでも目的があって行動がある。目的があって、手段があり、手段があって、行動(=選択)がありますね。分析屋の己としてはどんなものだろうが、社会現象をそのように解釈しないといけません。落ち着かないんです、スッキリしない性質なんです。


【暴動もまた手段なり】

 では暴動というのは目的、手段、行動どういうふうに分析できるのか?果ては最終的な結果としてどういうことになるのか?ここが非常に重要であり、ポイントになると言えます。目的、手段、行動、結果がどういう公式で収まることになるのか?これを理解しなくてはいけません。デモは目的を達成する手段です。そして暴動もまた目的を達成するための手段なんですね。本来ならば。ただそれが、明確にそうしようと起こることは稀でほとんどが意図しない結果として起こるのですが。

 明確に意図していないのに、偶発性が強いのに、選択の一つとして置くのはおかしい。あたかも選びとったかのようにするのはおかしいと思われるでしょうが、ひとまず置いといてください。


【暴動とは無意識的に起こる未成熟な訴え】

 あ、やっぱりこっちで書きます。長すぎてはるか↓で書くと前後のつながり忘れ去られそうなんで。暴動とは無意志の選択なんですね。無意志の選択って何じゃらホイ?たとえば、ストレスで十円ハゲができたり、胃潰瘍になったり、人はストレスで心因性の病にかかることがありますよね。どうして病気になって現れるか?ガンという病気ができるかといえば、ストレスや睡眠、栄養不足・日常の生活習慣から低体温・低呼吸になって、それを補うためにガン細胞がそのような不健康な状態でも生存できるように細胞が変化する現象だという説があります。

 身体が知らず知らずのうちに防衛反応を取る、病気となって体に現れる。無意識の防衛本能の結果ですね。身体のメカニズムにそういうことが組み込まれているように社会も無意識の防衛反応・行動があるんですね。問題が起これば白血球が病原菌を攻撃するように、血小板が傷口を塞ぐように、それぞれの役目によって問題を解決しようとしますね。社会も当然問題が起これば、その担当・専門部署が解決に動くわけです。

 デモなんかは自明的な反応ですね。問題を認識して、それを解決しよう!と行動するわけですから、極めて社会にとって健康的・正常な反応だと言えます。暴動とはそれを暴力で解決しようというのですから健全な反応であるはずがないです。しかしそれが引き起こされるということはそれによって問題解決になりうる余地がある。解決・対処によっては社会を良くする出来事なわけです。

 それ自体がいいということではなくて、悪いことが起ること・病気になることで、それを見つめて対処しようという動きが社会全体に働いて結果、社会が良くなるということなんです。社会にはそういう生理反応・システムが備わっているんですね。例えばアキバで無差別殺傷事件がありましたよね?あれ自体は最悪の嫌な事件です。しかしそこから、ではそのような凶悪な犯罪を生む真の原因はなんなのか?それによって逆説的に解決すべき社会の問題・病理が克明に浮かび上がってくる。気がつかなかった深刻な問題を知ることになる。それに取り組むことで社会をより良くすることができるということです。無論、その取組が失敗して、教訓を生かせていないから今のような社会になっているのですが…。

 それが良い悪いというより、社会というのはこのようなメカニズムを通じて、反省・試行錯誤でより良い社会にしていこうというメカニズムを持っているものですから。その痛ましい事件は失敗・間違い・反省を無駄にしない、生き残った社会の皆に貴重な教訓として活かすことになる。だからこそ望ましいと言えるわけです。社会病理の啓発という点で。人間なんて愚かなものですからケツに火がつかないとやらない、問題が起こって初めて気づく生き物ですからね。

 イヤ、むしろ暴力的だったり、悲惨な出来事、命をかけてでも訴えるからこそ世の中が変わっていくものであり、あるべき理想や正しい姿などないと考えるのが適切なのかもしれません。まあ、そこまでは個人の価値観なんで置いときましょう。

 己なんかは理屈屋・分析家ですから、これはこういう理論・論理でこうなっているからこうで、この選択をしたらこう、こっちなら逆にこうなるとか、言語化して説明したり討論ができます。しかし殆どの人、日常生活を営む人にとってそんなこと殆どできないわけです。あるのは純粋な怒り、なんとかしろ!という感情であることがほとんどでしょう。

 もちろんいい加減にしろ!(#゚Д゚)ゴルァ!!というのはキチガイ、マスヒステリーと紙一重です。しかし理由を説明できないままでも社会病理に対する異常への反抗・反逆を肌で感じて行動するということは十分にありうるわけです。無論ケースによってそこに正当性があるかどうか慎重に検討されなければならないのは言うまでもありません。

 暴動というのは理解できはいないが無自覚のまま大衆が正しい行動をすることがある。無意識的に社会が病気をあえて起こすことで、それによって前より社会を健全化する。ある種風邪のような無意識の防衛反応という性質があるということなんですね。

 

 社会学的に見れば社会現象というのはどういうことを社会に要求しているか?そこに必ずサインを読み取れるものですから。チャート式のようにかならずある一定のパターンをたどるものですからね。

 無自覚的で、良くない手段であっても、それが社会に変化を要求する選択であることには変わりがないのです。たとえるなら、奥さんにねえ今日何が食べたい?と言われて、何でもいいよという選択放棄をしたとします。あるいはチャーハン・ハンバーグどっちがいいと聞かれて、どっちでもいいよという第三の選択、選ばないという選択をしたとします。何でもいいよorどっちでもいいよってなんなのよ!って嫁さんに必ず怒られますね(笑)。選択をしないという最悪の選択肢を選んだ結果です(^ ^;)。あんまり良いたとえじゃないな(笑)。まあいずれにせよ、どんな行動も選択になりうるのだと考えてください。どんな行動も選択になり、必ず結果をもたらすのだと。

 ああ、いいたとえがあった。幼児反応ですね。幼少期ダメだぞ!それはいけないぞ!と言われてもわがままを繰り返す。挙句の果てには暴れだす。そういった幼児の反応。社会が暴動という幼児の反応を取るということは、その社会が法・ルール=社会化socializationに失敗しているということです。こういうルールで社会が動いているから従う、逆に文句があるときはこういうふうに異議申し立てをする。そのルールが失敗・破綻しているわけです。社会秩序からはみ出す人が増えているわけですから、社会秩序を守れない。反社会的とは言わなくても非社会的層が増えていく。まさしくアノミーの一歩手前ですね。そうなると反社会的階層に入り込まないと連帯が作れなくなる。社会秩序崩壊一歩前の特徴的な出来事です。

 幼児反応にはそのようなわがままという点もありますが、正しい反抗なんだけどうまく表現できないという性質もあります。主張は正しいけども、言論で、ルールに基づいてそれができないという点があります。幼児化が進んでいる、それ故社会が無意識的な選択として暴動になる。いずれにせよ社会が未成熟・教育失敗であることにまちがいはありません。より正確に言えば近代国家に生まれ変わる過渡期なのに未だに前近代的ルール出動かそうとしている。そのへんかに合わせられていないから、教育は破綻しているのですが。

【前近代国家は言論どころかデモすら許さない】

 その暴動というものの性質を考えるにあたって、ひとまず過去、昔は一体どうだったか?歴史を振り返るとわかりやすいので、前近代国家を見てみましょう。前近代国家、権威主義体制などはそもそも政府・権力者に対する批判は許されません。政治活動・政党結成・言論活動そのものがそもそもアウトなわけですね。支配者たるものその権威が揺らげば、つまりメンツが傷つけられるようなことがあれば、実体が保てないと考えます。メンツ・権威への攻撃=事実上の攻撃と解釈しますから。

 まあ中学生の喧嘩ですね。お前俺のこと言うてるらしいな~と因縁つけるのも自分の名誉が周辺に保てないから、そういうくだらない理由でケンカするのは、周りから弱いと思われたらそれでそのグループ・社会内では生きていけないからです。メンツがないとちゃんとした扱いを受けられない。そういう仕組が働いていますね。

 論理ではなく、有無を言わせず従わさせる。日本的に言うと空気の支配、無言の力、それこそが権威であり、メンツですから。それがないと前近代国家というのは動きません。

 反乱が起こった場合は、有無をいわさず武力で鎮圧します。自分たちに悪い点があるなど一切認めません。ただ、反乱を鎮圧した後で、こっそり反乱の原因=政府の失敗点・失政を分析し、それに取り組み対策をします。そうしなければまた反乱起るに決まってますから。前近代国家は決して自己の失政を認めないが、暴力の反乱によってこっそり反省する。そういう性質があることは特筆しておくべきでしょう。余計なことを言えば、このように失敗した場合間違いなく死を以って責任を取らされるという点も前近代国家の特徴であると言えます。日本は前近代国家なのにこの美点だけは採用しない、全く困った国です(´-ω-`)。

 中国なんか党争、党派を結成すること自体がもう犯罪行為と認定されていました。党錮の禁は、私党を組んだことを問題視したものですから。上層は支配し、下層は従う。それが当たり前。それ以外、社会を構成、動かすことなんてどこの社会もできませんでした。まあ原始共同体なんか別にしてね。ところが当然そういう統治体制はいつか限界が来るんですね。こういう制度はガチガチに固めて安定はしますが、固めたものは変化が来るとそれに脆い。あっという間にあれよあれよと、変化に適応できずに崩壊していきます。動かない・変わらないことを前提に社会制度を設計していますから、変化があると全くついていけないんですね。そして革命となって全部ひっくり返るか、または外の社会に吸収されて消えていきます。

【暴動は革命の前兆】

 革命まではいったい誰が革命が起こるなんて思ったか?それくらい全くわからないわけです。ただ予兆としていろんな傾向・事件が起こるわけです。それをいろいろ書くとまた終わらなくなるので省略して、その暴動という行為が、革命の前兆であることは間違いないわけです。暴動が多発する国、デモが収まらない国、特に上層の支配構造に対して文句が平然と唱えられるようになるともう限界と見ていいでしょう。中東なんかもそうですし、中国なんかも最近デモが多発し、当局がかなり警戒しています。中国はいつ何がきっかけで、爆発してもおかしくない状態ですからね。

【民主制度なら論外】

 普通の民主制度、デモクラシーが作動する国家であれば、暴動・革命は論外です。どうして民主主義が良いかといえば、権力を永続化させることなく、定期的に権力者を入れ換えることで腐敗を防ぐ。このような革命が起こると国家に与える損失は計り知れませんから、上だけでなく、関係ない一般人にまで巻き込むんですからね。テロが決して一般的な支持を得られないのは、政治目的を達成するために、無関係な人間を必ず巻き込むからです。主義主張が正しくとも、無関係な人間を巻き込んでおいてテロいいぞ!良くやった!とはまずならないわけです。イスラムテロリズムについて苦境は理解できるが、一般民を巻き込むなんて!という意見が多数を占めるのもむべなるかな。同情はできても共感は得られないんですね。同じように暴動だって、革命だって関係ない被害が大きすぎるのです。積極的な支持を得られるはずがありません。

 そういうことを防ぐ意味でも民主政治はあらかじめ、前もって権力交代をシステム化させているわけです。政治の永続性を犠牲にしてでも絶え間ない入れ替えを行うことで最大限に人の力を発揮させることもあって、長期的に見るとこちらのほうが良い。プラスマイナストータルしてそちらのほうがメリットがある。損失を考慮して・リスク管理して民主制度のほうがいいということになるわけです。

 革命のリスク・損失をなくす&権力の腐敗を防ぐ。この点民主主義のほうが非効率が多くとも支持をされるわけですね。ですから古典政治学から今に至るまで、欠点を指摘されながらも、民主制度が最適なモデルだとして基本に据えられているわけです。

 だから革命や暴動を肯定するなんて民主制度から見たら論外に決まっているわけです。政治・政党活動が自由で、それによって変えられるのに暴力でそんな事やるなんてアホか!?と誰だって当然思います。

【日本の民主制度は極めて未熟】

 しかし、当然前提条件は「民主制度であるならば…」、民主制度と到底言えない日本ではそれもある種容認せざるを得ない。残念ながら日本の現状を見ればそう解釈するしかないでしょう。民主主義というものは一かゼロか、イエスかノーかという単純な二択ではなく、100%~0%で考えるべきものです。水割りの濃いか薄いかのように。もちろん目安の話で100%の民主主義なんて実際明確で完全なそれがあるわけではありません。

 たとえるなら水が気体になったり、固体になったり、状態を変化させるようなもので、民主主義も絶えず移ろい変わっていく流動性の高いものだといえます。液体という状態を保とうとしても環境を整備しなければ蒸発したり、固体になってしまったり、本質と違ってしまうことになります。

 今の日本の民主制度は半分くらい(もっと?)凍ってしまって、本来の水から程遠い状態になってしまったようなものであるといえるでしょう。どんなものでも移り変わるのが当たり前、その変化を観察して、分析して変化にあわせていかないと本来の目的とは似ても似つかないような性質・制度に変わってしまいます。

 変転する状況にいかに適応していくか―こういう当然すぎることを教育で教えない。過去の例を学び、今を知り、将来の変化を予測する。将来の変化に合わせて柔軟に適応できる人間を育成する。それ以外教育の目的などありえない。当然すぎる教育をおざなりにするから日本の社会制度は簡単に腐ってしまうのです。

【議会プロセスを通じての改革は絶望的】

 誰だって政治が国会による議論を通じて平和裏に改革を進めて欲しいに思うに決まっている。しかし政治家を好き勝手に検察・報力団が始末する。政治におけるルールが平然と破られる日本において、これはもう絶望的。ほとんど僅かな可能性しかない。憲法に則って、立憲の常道に則って望ましい改革が行われる可能性は殆ど無い。国民というか多数の声を有効に政治に反映させる手段が初めから潰されている以上まずありえないでしょう。となったらもう暴力革命しか望ましい道がないわけです。政治に希望がないからクーデター革命にしか日本の命運を託せる道がない。日本が良くなる過程がそれ以外見えてこないわけです。

【問題認識の欠如=解決は絶望的】

 自分の国に対してクーデターや革命を期待するしかない、本当に不幸な時代に生まれついたと嘆かざるをえない。それでも昔の諸条件・ケースに比べればはるかにマシ。嘆かなければいけないのは期待するしかないことではなく、そういう状況にあるということが殆どの国民に正確に理解されていないことにこそあります。教養・知的レベルの低さ、無関心・無学、人文学問の頽廃にあるわけです。己程度が言わなくても、優れた学者・ジャーナリストが主張していれば、社会的影響力がありますから、何も賢しらにこんなこと書く必要はないわけです。

 というか理解していたらそもそもクーデターも革命も必要なくとっくに良くなってるでしょう。


【消極的選択肢として選ぶべきは革命かクーデター】

 誰が好き好んでクーデター・革命を求めるか、今日本はそういう危機的状況にある、そういう現状認識ができていない。それこそが本当の危機なわけです。どんな苦しい状況・最悪の環境であろうとも、問題を正しく認識し、みんながそれに向かって頑張る、困難に立ち向かうというのならば、それが解決される希望がある。ところが社会全体で本当の問題に気づいていないのですから、まあ気づいている人も多いんですけど報道が日本では変な利権機関となって問題を伝えませんから、報力団ですから。これでは日本の本来持っている力が有効に働くわけありません。

 勘違いする人はいないと思いますが、絶対にクーデター・革命でなければいけないという話ではありません。現実的な選択肢が現状それしかないだろうという展望・見通しを述べているわけで、例の件のようにそういうことも理解出来ない人間が大勢いる。それこそが本当の問題なわけです。その一手段として選択肢として、ああそういう意見・方法があるのかと思考の選択肢に入っていない物知らずの環境。そして言論のルールすらわきまえていないことこそが絶望的なわけです。事実・現実と形式論理上の話は全く違うということがわからないんですからどうしようもないですね、

 優先順位として上から変革の可能性、改革として良い手段を選んでいくとき、政権交代が潰されてしまいましたから、この2つが現実的な選択肢として考慮にはいってしまった。そういう段階に日本が来てしまったということ。これこそ日本の危機的状況、真の問題なわけです。それをまるで理解している人がいない。著名人でクーデター・革命大歓迎!なんて言っている人いないでしょう。官僚・メディアは縛り首だ!と訴えている人がいるでしょうか?そういう過激・極論を言う人があちらこちらにいないことその環境が問題なのです。

【皆殺し・焼き討ちは目的ではない、手段にすぎない】

 変質者・キチガイじゃないんですから、官僚を何が何でも皆殺しにしろ、処刑しろ、テレビ・新聞にミサイルぶち込んで虐殺せよ―なんていうはずがない。殺すこと自体が目的ではないのですから。言論や法匪官僚による政治支配の解放・打破、民主制度に戻すことが目的で、官僚抹殺は手段なんですから、それがなされれば官僚がどう裁かれるなんてどうでもいいんです。そうだ!そうだ!あんなヤツら皆殺しになって当然だ!という意見はなんだかんだ言って豊かですから、そこまで広範な支持を得られないでしょう。広範な支持を得られなかったら、目的は達成されないわけですから、それに拘る必要なんかないわけです。利権集団の追放こそが本当の目的ですから。平和裏に解決するのに越したことはないに決まってますから。

 では、どうしてこういう主張をするのかといえば、官僚・メディアの人間は殺されて当然という過激なスローガンを掲げないと、彼らは危機感を抱かないでしょう。こういう過激なスローガンを掲げて、ある程度の説得力が得られるようなことになれば、それも一理あるなぁと世論に根付いて広がっていけば、彼らの中の改革派が勢いづくわけです。こんな事やっていると業界全体がなくなってしまう、最悪暴力によって私たちが殺される自体までありうる!

 このような危機感を抱いて初めて彼らは改革に取り組むわけですから。そうじゃなければ、素知らぬふりで同じ事を繰り返すに決まっているでしょう。東電のように。そして現に東電の人間がフジテレビに天下りしようとしたではないですか。腐朽官僚制を舐めてはいけません。同じパーティーの人間はどこまでいっても、特権階級としてお仲間クラブで庇護されるのですから。大東亜戦争がそうだったじゃないですか。信賞必罰が働かない腐朽官僚制で戦争に負けたじゃないですか。

 こういう過激なスローガンあってはじめて腐敗した政治環境は正常化される可能性がある。そうじゃなかったら日本はまともにならない。歴史をちょっとでも知っていればわかるように既得権益にあるものはそれを死んでも手放さない。そういう不正常な利権保有者を追放するには暴力しかない。そんなことは誰でもわかるわけです。こんな腐った政治が続けば後に待っているのは血腥い暴力に決まっています。短期的な混乱ならともかく、最悪長期的な混乱。ヒンズー的な分断国家になるかもしれません。その最悪な事態を回避するためにもクーデター・革命を訴えて目を覚まさせなければいけない。大政奉還させなければならない。そういう状況にあるということがわかっていない。日本の言論は嘆かわしいことこの上ありません。

 

【日本の報道機関は民主制度に違反している】

 報道機関が利権集団となっている。様々な階層・階級の意見を代弁し社会融和・調和を促すどころか、社会の木鐸となるどころか、国会の論議をリードするどころか、自分たちの特権を築いてそれを守ろうとするのですから、報道・社会問題なんか二の次なんですから。もうどうしようもないですね。どんな独裁国家でも報道機関は権力とギリギリの駆け引きをもってジャーナリズムの使命を果たそうとする。ここまで率先してそれを捨てて、当たり障りの無い態度で自分たちの利権を守ろうとするという現象はないんじゃないでしょうか?

 報道の自由言論の自由のために風通しを良くしておく。自由競争の余地を残す。独立した個人・報道人あって成り立つ。メディアという企業が大きくなってしまっても中立を何とか達成するための透明性維持に苦心惨憺するというのに、それが日本ではまるでない。これじゃあ日本に言論を通じての政治、議会政治など無理に決まっている。論理・交渉ができないんですから。巨大・寡占メディアがある以上日本の民主制度は絶対にありえない。


【日本と中国・中東は大きな構造だけ見たら一緒】

 中国人だって、中東の人だって、好き好んで暴力に訴えているわけではない。もちろんそういう人もいるでしょうけど、暴力に訴えなければ社会制度が変わりようがないからそうなるのです。彼らは日本が1~5%変えられる余地があるとしたら、100%まずないわけですからね。暴力に訴えるしかないわけです。だからこそ中東の革命事情なんか欧米のメディアは好意的に報道されてるわけなんですが。

 民主制度ではないからこそ、独裁国家だからひっくり返されて当然だという思い込みがあるからこそ、それをあっけらかんと良い事のように表現してしまうわけです。

【今でも脱亜入欧?アジアで一括されてしまう日本】

 日本の病理というのは自分たちの社会が中東や中国と大して違わない、報道という点だけをとってみればはるかに悪い。そういうことに気づいていないことにあります。フクシマで自分たちが欧米社会からそういう見方をされるようになったという人がいますけど、なんのことはない。彼らは昔から日本というのは透明性のないアジア的な国家だと思っていたでしょう。そしてそれは大正解でしょう(笑/泣)。日本は未だに欧州的な政治制度を目指して脱亜入欧やっていた時代と進歩がないわけです。前近代国家なんですから。

 日米同盟に実は一番貢献したのは左翼の空想的反米平和運動。中東の反米主義者・原理主義があったがゆえに独裁政権をアメリカが支持したように、彼らがその役割を見事に果たして自民党一党独裁があったわけです。国際力学・同盟力学から言えば日本はもっと負担を要求されてしかるべきだった。自民党の一党支配を是認したのもそうじゃなければ、社会党や左翼政権になったら自民党よりさらに悪い状態になる。だからこそ日本の非協力的な態度をいやいやながら認めざるを得なかった。

 彼らの空想的な、非論理的な言論は日本に大きな害悪をもたらしましたが、日米同盟の維持・日本が有利な状況でそれを利用できたという点でこれほど貢献したものはなかった(無論沖縄の犠牲の下でですが)。非常に逆説的ですね。反米運動こそが最も日本の外交の役に立った。

 そのような冷戦構造を基本とした同盟の基礎が消えてなくなってわかったことは日本というのは中東のアメリカの支援を受けている独裁政権とおんなじだということ。程度の違いはあっても基本構造は全く一緒だということです。世界史、アメリカが主役の歴史ではその他多くの支配している国家の中の一つの形態に過ぎないわけですね。多少その他の中南米や中東の国家と違いはあれど。100年ぐらいたった後の歴史には間違いなくその内の一つとして記されるでしょう。全く構造同じですから。


【今一度暴動とは何かを考える】

 さてデモ・暴動は民主主義政治の中の一手段。日本は民主制度ではないと述べてきましたが、今一度暴動の話に戻りましょう。日本が民主制度ではない、デモクラシーではないというのはこれまで散々述べてきましたから、省略してしまっていますけど、そこらへんは不十分ですが、仮定として理解してください。

【デモ→暴動→混乱→革命】

 何故、新しい時代、政府が誕生する前に暴動が起こるか、そしてそれが好ましいか?それは政府・既存秩序・古いシステムが消え去るときというのは、徹底的な混乱の延長上にしかありえないから。幕末の政府だって経済上の混乱、食っていけないから明治維新という政権転覆が成功したわけです。そして2・26も同じような生活の危機があったからこそ起こったのです。

 今の日本の政治状況を見れば待っているのはデモ→暴動→混乱→革命の図式以外ありえないでしょう。

 法のプロセスに則って退場する。新しい法制度が施行されて消えていく。これが本来の民主制度に組み込まれたシステムですが、今回の政権交代や改革潰しで民主的なプロセスでは新秩序がもう形成されることがないと明らかになったわけです。まず次の総理が誰になっても民主制度を進める改革は出来ないでしょうし、今後もそうなる可能性は限りなく小さいです。民主党が小沢・鳩山以外改革をやる気がない自民党とあんまり大差ない集団だということがハッキリしましたから。あるとしても相当長い時間がかかるでしょう。

 自民と違って利権集団、既存状態保守が多くないのでその点好ましいとは言っても、結局政治は結果責任ですから、好ましい政策・改革が実行できないなら一緒です。自民が潰れて改革勢力の連合が起こらない限り、まず安定して改革は実行されないでしょう。そしてその政界再編はかなり難しい。改革派勢力が結集してそれを行う、その利害調整・フィクサーのような人物がいなくて小鳩(民主)・舛添(新党改革)・渡辺(みんな)・中川や河野(自民)・田中(新党日本)をまとめられませんから。今の日本にはちょうど坂本龍馬のような仲介役が不在だという点で致命的だと言えますね。

 戦後のナベツナのような存在、もちろん本人は論外で、綺麗なナベツナ的存在が出てくればいいんですが、まあ無理でしょ。ホリエモンとかひろゆきとか、紳助とか引退したし、そういうフィクサー狙って行動したら面白いんですけどね。孫正義さんはよくわかりませんのであれですけど。そういえば以前超独裁者信長と、フィクサー坂本龍馬が取り上げられたましたね。こういうところからも大衆ってのはわかっていないようでわかっているという無意識的に必要な人材が誰かを選択できるんですね。いや~おもしろい。

 良いとか悪いとかそういう感情論ではなく、もうここまで社会が腐敗してしまったら待っているのはクーデターか生活できなくなった民衆がマフィア化して、治安が悪化してスラム化して、暴動に至る。既存政府がそれに対応できなくなって転覆する。それ以外ありえないわけです。そういうプロセスをたどるしかないわけです。今のところまだまだ豊かですからそのリスクは低いでしょうけど、今後確実に高まっていって、早ければ十年以内にデモ&暴動当たり前の時代になりますよ。諸データをチェックすればそんなの明らかでしょう。

 今のところ豊かだった団塊からちょっと上あたりの世帯が、ロスジェネ世代と言われるような底抜け、年収がガクッと落ちている若者世代を家庭内所得移転で何とか支えています。しばらくやり過ごしていけるとは言っても、言うまでもなく彼らはいずれいなくなるわけですから。今度は貧しい親子でいくら家庭内所得移転をやろうとしてもできなくなるわけです。明らかに上の世代に配分が多いわけですから。その分若い世代が減って、社会がシュリンクしている。こんな馬鹿なことはない。

 新しい業界、新しいビジネスが誕生する、それも雇用を支えるようなそれが生まれなければ確実に行き詰まるでしょう。正直海外移転で単純労働減少は歯止めがききませんからね。移民を受け入れて賄うか、外に出ていくか、いずれにせよ下層の労働市場はなくなってしまうのですから。それだけでなく労働形態が変化して年収が3~400万の階層が大量に存在して当たり前という時代。

 透明性を高めて少しでも流動性があるようにしないと格差というのが身分となって永続化してしまう。それだけでなく社会が固定化して淀んでしまう。流動性がない社会は淀んで腐り効率が悪くなる。一刻も早く不合理な規制・諸制度を廃止して自由主義市場に近づけないと、貧しい人間が一生這い上がれなくなってしまう。勝ったものでも勝って富を独り占めすれば社会が不安定になることを知っているから、その富を貧しい物に回して名誉を得る。

 社会の安定化に貢献したほうがよっぽど効率が良いことを知っている。社会が安全・安定化したほうが自分にとってもいいことだということを知っているからこそ、アメリカ社会では寄付全盛なわけです。善意を最大限に活かしてこそ社会はうまく回る。そういう仕組にしていかないと社会の病理は絶対高まって歯止めが効かないところまで行き着いてしまう。

 もちろん官僚利権がなくなったからといって全ての人が救われるなんてことありません。ただ躓いても何度でもやり直せる社会、少なくとも今のような何でもかんでも硬直し、何事も変わらない・変えることができない、そういった社会に比べれば納得できる社会になるでしょう。経済的なそれというより社会的な点でより生きやすいシステムという方がよっぽど重要でしょうから。

 何度も述べてきたように革命・クーデターに固執する必要はないわけです。社会が良くなれば、それでいいわけですから。1~5%の可能性でも平和裏に解決するのならば、それでいいんじゃない?という意見の持ち主もいるでしょう。そういう意見を持つのは自由ですし、心の内面に干渉できませんから、それもありかと思います。

 ただ、物事というのは必ずエネルギー保存の法則のように恨みや怒りといったパワーは永続化して、それが必ず社会のどこかに跳ね返ってきます。今のうちに小出しにしといたほうが、ガス抜きという意味でも最小限で実行させたほうが傷が浅くなります。

 今の自分は豊かで文句ない。あるいは豊かではないけどもまあ何とかやっていけるからそれでいい。そんな無関心なことで民主政治、大衆が責任をもつというシステムの上で責任を取らされずに済むと思いますか?責任・義務を放棄して無事に済むと思いますか?


【日本の自殺は他殺・殺人】

 日本国籍を持つものとして運命共同体なわけです、我々は。その日本国家が危機的な状況に陥ったらどうなるか?言うまでもありませんよね。それよりもなによりも今本当に苦しんでいる大勢の人を無視しすぎでしょう。『孤人化』こそが本当の問題と書きましたけど、年間五万~十万のうちで自殺者がいるわけですよ。日本の統計はいい加減で死亡原因不明が十万人もいるわけですよ。社会から毎年それだけの人間が消えている。それが問題でなくて一体何だというのか?

 様々な要因がかかわりますから、経済的理由だけで自殺を説明できないですけど、少なくともかなりの自殺者の要因は経済的理由でしょう。そして更に深いところに日本の社会では生きていけないという社会学的問題・病理がある。そういう人間を毎年何万人も作り出している。これほど恐ろしい社会はないでしょう。

 変わらない社会・変えることができない官僚主導の管理社会がこれをもたらしているのは間違いないわけで、どこを見ても不正常な利権で人を排除していくから、一旦躓いた人は立ち上がれずに自殺せざるを得なくなっているんです。そんなことちょっと考えたらわかるでしょう。日本の異常な自殺者数は、様々な要因あれど、核を一つただえぐりだせば、間違いなく社会が殺しているんです。日本の自殺は社会による殺人なんです。

 この意識が全くない。これについてなぜもっと真剣にならない。すぐ近くで誰かが苦しんで助けを求めているのに、無視して素知らぬ顔をしている。日本人はなんて残虐な民族なんだろう。世界史上ここまで残虐な社会・民族があったか?この社会は狂っているとしか言いようがない。

 苦しんでいる人を助けるには、もう今の社会制度では根本的に無理なんです。誰がどう考えたって年間五~十万自殺者を出す社会が健全な社会であるはずがない。一からやり直さなきゃ、一から作りなおさなきゃいけないに決まっている。法律を操る程度の能力で何億という退職金をせしめるなんて無駄。更に天下り団体で規制を作り自由な競争を排除してしまって経済が停滞する社会なんてあって良いはずがない。特定の階層がパイの配分を専断すれば、その分パイが多数に行き渡らなくなるんですから。

 ツイッターで本当に衝撃を受けたのは、日本人には二種類しかいない、自殺した人間とこれから自殺する人間、それだけだ。この言葉は己にかなり突き刺さりました。一億総自殺社会、誰もがまさに詰め腹を切らされる。いつ、どんな理由でかもハッキリせず自殺する。侍の切腹はそれによって一族を守る、他者のため=集団を守るための尊厳死でもあります。ところが今の日本は誰かを守るためでもなく、自ら勝手に死んでいく。社会がその人をシカトして、孤立させて挙句の果てに自殺に追い込む、イジメのそれと一体何が違うか?

 恐ろしいのは念入りに誰かがそう仕組んでこのような悪魔のメカニズムを作ったならまだしも。そうじゃないんですから、いつの間にか人を自殺に追い込むシステムを作っているのですから。社会に知らぬ間に人殺しスイッチが備わっている。なんておそろしいことなんでしょう。


【日本を真の法治国家に】

 まず誰もが簡単に法を作って、運用して法の恩恵に預かれる、真の法治社会に生まれ変わらない限り社会が良くなるわけがない。アメリカが異常とは言えあそこまで訴訟社会になっているのはそれほど法というのが根付いているから。法が万民のものとなって実行力があるものだから。法がわかりづらく、国民から遠ければ遠いほど、法を恣意的に解釈する法匪官僚が自己の利権に利用するに決まっているではないか!

 日本の方は国民の幸せ・富・秩序形成のためではなく、法運用者の利権のためにある。こんな簡単なことすら常識化していない。愚民化ここに極まれり。

 もう暴動・暴力で破壊的な状況になっても、そこで無辜の民が犠牲になるにしても、そういう事態にならなければ、これまで何十万という人間が犠牲になってきたように、今後も何十万という人間が消えて行くことになる。仮に死ななくてもその背後で何百万・何千万の人間が苦しい生活に追い込まれる。そのためには仕方ないが暴力的な混乱を肯定せざるを得ない。

 それを否定するということは、すなわち今現に自殺している人間に対して、俺は生きれるから関係ない。お前たちは生き抜けない?じゃあ自殺しろよと言っているのに等しいんですね。だから消極的に暴力行為を容認せざるをえない。今苦しんでいる人達の事を考えれば当然そういう論理にならざるを得ません。

 世論というのは複数が前提、色んな階層・階級に属する意見が当然多数あります。それを理解しないから、所属する階層によって常識・意見は当然異なってきます。そういうことを考えれば暴動肯定をする人がいるに決まっている。どうしてそういうことがわからないのでしょうか?単純バカというより、全くの無知なのか、自分の周囲=ムラ以外のことは全くどうでもいいのか?理解できませんねぇ。

 己が一番腹がたったのは今が平和だと抜かしたアホですね。この国のどこが平和なのか!?沖縄は基地問題に苦しみ、日本海側から幅広く国民は北に拉致され、福島は原発汚染に苦しむ。この諸問題をもってダメというのではない。本当に問題なのは同じ日本人が苦しんでいるというのに、共感し、これら問題を自分の問題として捉えて行動してこなかったその性質にあるわけです。

 平和だ!その一言であなたの問題は処理される。苦しい?辛い?平和じゃないか!なんて恐ろしい言葉でしょう平和。苦しんでいる人のことを理解せずに無関心に平和をつきつける。戦争が終わって平和が来た―このことばがいずれ辛い戦争が終わったと思ったら、今度は平和という辛い時代が来たのですと変化することになるのでしょうなぁ…。太平とか言葉が変えられて区別されるような時が来るかもしれません。天下泰平にいつなるのか…。

 マスコミなんかただ事態の進展を報告するだけで、こうやって解決するという道筋も示さず、なんの貢献もしてこなかったでしょう。無関心ここに極まれりですね。まあやってても無知に基づく空想的なそれだったりするんでしょうけど。本来その問題を解決する言論が死ねば、当然何もなされず先送りになるに決まっています。コメンテーターのしたり顔の例の「政府は先送りです」の一言です。お前らが解決策を提示しろボケ。

 自分がどこに住んでいようが、同じ日本人ということをもって苦しんでいる、日本というチーム内でチームメイトが苦しんでいるのに、カバーしない・ヘルプに入らない。そんな球団が強くなれるか!大馬鹿者ですね。誰かのミスは誰かがカバーしなかったらゲームは負ける。集団競技はチーム内の連帯・助けあいが鍵を握る。そこは私に関係ないから、私がやられたわけじゃないから。そんな事で自分が苦しむような状況になって誰が助けてくれるというのか!?1+1=無限大どころか、ズタズタに分断され、統制の取れない烏合の衆になっている。

 日本人は組織として機能していない。本来ある機能を喪失している。国家内で組織が崩壊し、分断・孤立化して諸個人が浮遊している。関係性を喪失すれば発狂するのは当然。日本人はどこに行くのか…。

【ロンドン暴動について】

 んで、結局日本の社会情勢について如何に危機的状況かという話でほとんど終わるんですけど(> <)。もうこれ書くだけで相当疲れた。本当は書く必要ない文だったり、あんまりうまくないなぁ、理解しづらいかな?というのがあったり、自分で満足行かないんで、フラストレーションたまるし。最近うまくまとまらないなぁ。あとで修正しよ。

 昔これちらっと書こうと思ったんですけど、わかりづらいし、いちいち説明するのが面倒だし、理解されず変に絡まれでもしたら嫌だから書かなかったんです。書いたってなんの得もしないしね。金もらえるならいくらでも書きますけど、そうでもないですし、無駄以外の何者でもないですから。

 ロンドン暴動について全然詳しくないんでそんなに書くほどのものでもありませんが、この現象を単なるバカ、マフィア所属のクズ共が法の精神のかけらもなく暴れただけ。そう捉えると大きな落とし穴に陥ります。

 大体ロンドン在住で発信するようなエリート層だったり、新聞だったりは上層に位置するんですから、暴れる下層の人間の行動について肯定的な見方は少なく、否定的なものになるにきまっていますから。最初に出てくるものはともかく、落ち着いても出てこなかったら、社会の末期でしょう。