てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

増淵竜夫さんの『歴史家の同時代史的考察について』をチラ見


歴史家の同時代史的考察について (1983年)/増淵 竜夫
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日本の近代史学史における中国と日本―津田左右吉と内藤湖南/増淵 竜夫
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 何故か知りませんが、地元の図書館にこれがおいてあって、こんなん置いとくなら論文集の方買っといてくれよ…と(´-ω-`)。まあさておき、チラ見。多分下の津田さんとか内藤さんの話とほとんど一緒だと思うんですけどね。歴史語るものがどう自体に生きた政治・世界情勢をどう分析したのかということをつらつら書いてありました。

 そんなに拙問題意識とかぶらないので、ぱら~っとめくっただけなのですが、やっぱり文化の中心=中国があると考える、つまりは正義だったり、理念は一つであると考えるかそれとも併存しうるかという思想の違いと捉えられると思います。今でこそ文化人類学があって、答えはたくさんあってイイ、矛盾するものが同時に併存していいというのが常識ですが、当時はそうではなかったですからね。

 まあ、門外漢からして内藤さんや津田さんがそんなに面白いなぁ~という気もしませんでしたので、全然読まなかったのですけど、増渕さんがいったいどういうふうに自分が生きた時代を捉えたのか、ソッチの方が知りたいなぁ~と興味深かったのでちっとも身が入らなかったのです(笑)。

 この前読んだ限りでは、マルクス主義的な傾向に否定的だったので、というか唯物史観・発展的生産段階みたいなのがあまりにも流行ってひょうひょうと乗っかってしまう拙い学説を唱える人が多かったのでしょうかね?そういうのを取り入れた史学者ってあんまり有名な人居ないですねぇ。

 それだけテキトーにマルクスを読んだ人だけが取り入れたってことですかねぇ?歴史の段階みたいなところはかなり粗雑でしたからね、マルクスは。日本の場合なんというか宗教みたいな有毒性が強かったので、それ故に毛嫌いされた可能性も高そうですが。

 マルクスちゃんと読んだ人間がいるのか疑問ですしね~。

 まあそんなことはさておき、やっぱりこういう人は古典ちゃんと読んでいるなぁとマルクスウェーバー評、最後の解説で思った。ウェーバーの資本主義発生を西欧社会独自のもの、内在的なものであるという意識、独特のものであるというのも今では正解・不正解というより、あんまり意味が無いんだよなぁ。学究の上では。

 資本主義がその名以上どうであれ世界中に広がってるんだし。まあそういった話はおいおい、あんまり各意味があったかどうか置いといて、こんなん穴埋めに書いてみました。

 やっぱり基本としてマルクスウェーバーきちんと抑えないと歴史学社会学は語れないやね。資本論きっちりもう一度読みなおそう。今の史学者ってどうなんだろ?資本論とか読んでるのかな?