てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

ちょっとした歴史ネタ スパルタの話

 福田歓一さんの政治思想史読んでいて、丁度ギリシア云々のとこ見ていて、そういうネタがあったのでメモがてらに書きたいと思います。

 社会が発展し豊かになると、アテナイ、テーバイなど殆どの都市国家は古い仕来りを捨て、古典古代の社会へと変容していく。しかし、圧倒的な隷属民を軍事的に支配していたスパルタには社会構造上そうすることが出来なかった。

 よってスパルタだけ他のギリシア人都市国家と違い、独自の古い国家制度を維持し続けることになった。その上に花開いた文化や豊かさ、経済・文化の発展と対照的に軍事に特化した国であり続けることになった。まあ有名な「スパルタ教育」に代表されるようなシステムですね。

 スパルタの国家制度の選択はメンタリティから出たものというより、環境上そうせざるを得なかった。彼らはある種発展から取り残された人々ともいえる。多くの奴隷を抱え、従属階層を維持するために歴史を、社会を過去のまま硬直させてしまった。

 スパルタは内部に異民族・奴隷(※)を多数抱えるが故に、軍事国家制度を維持せざるを得なかった。もし、多数の民を能力によって選ぶ、才能を以ってスパルタ人とする、のちのローマのようなシステムをいち早く採用していたらどうなっていたのだろうか?面白い思考実験ではある。

 ※アテネとかと同じ民族の先住民ですな、だからそもそも民族対立でペロポネソス半島を挟んで対立する図式があったわけで

 ―とそんなことを思いついたのだけども、時代・年代的な技術の要素・制約性というもの以上に、ローマが亡命・難民のようにイタリアへ新しい植民都市を形成していったように、またカルタゴなどがあるように、制約されない新しい都市を外にでも作って行かない限り、ローマのように異民族間融合ということはまあ、無理ですね。確かスパルタもペロポネソス戦争頃には結構経済発展があったはずなんで、その頃及び勝利の後、経済・交易で外に拡張する可能性というのもあったんじゃないですかね?

 まあ歴史を見ればわかるように、ローマが地中海帝国となったのがず~っと後だということと、その後のスパルタの衰亡と併せてみてもやはりそういう国家制度の根本的転換というのが難しかった、不可能に近かったというのは察しなんでしょうけど。