てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

おどろきの中国 著/橋爪・宮台

おどろきの中国 (講談社現代新書)/講談社

¥価格不明 Amazon.co.jp
おどろきの中国 (講談社現代新書)/講談社

¥945 Amazon.co.jp
上がKindleで下が本ですね。

 何かと違和感を感じた本。んーというのが多かった感じですね。間違いと言うよりか、説明をする例として適切な例ではないという感じで引っかかった点が何点かありました。

 ○中国は国民国家か?近代国際法は一民族一国家という想定があり、そこに主権があるという発想になるわけですが、中国は果たしてNation-state民族国家といえるのか?もちろん多民族国家だから違うのだけども、では漢民族に民族的同一性があるのかというとそうではない。文字で理解が出来るだけ、言葉は一致しない。

 ココらへんは己も考えていたところで、まさに同じ欧州という地域単位の概念が「中国」であると考えています。

 ○中国の宗教とは?そしてその後で、欧州との比較という視点と、以前から宗教とはOSである。宗教がわかれば世界がわかると主張をしている氏らしく、では中国の宗教・OSはどんなものか?とキリスト教一神教との比較に入るわけですね。ここで儒教(儒家)と法家の混合からなるというような説明になるのですが、うーんちょっと違うなぁという説明ですね。

 法家には儒教のような農民から官僚を採用するような論理がないとしていますが、法家は自由競争が前提の学説なので儒教のような論理を取ってなくても実際にはおんなじことをやっていたわけですからね。法家の思想だと秦のようにうまくいかない。だから儒教が必要だったという話になってますが、儒教が本格的に導入されたのは後漢ですからね。高祖劉邦やその後の中心となった思想は儒教ではなく、黄老思想であり、武帝なんか法家をまさに取り入れてますからね。儒教じゃないと上手く行かなったというのと法家がダメだというのは直接的な因果関係はないんですよ。

 儒教が強かった、殆ど完成したといえるのは明とか清とかだと思いますが、それ以前はいくらでも仏教なり、道教なりが主要と言える時代があったわけで儒教で「中国」を説明するのはかなり無理があるんですよね。無論、重要な一ファクターであることは変わりがないのですが。

 異民族王朝を何度も経験しているように、それぞれの時代で事情が大きく異なっているのですから、やはり実際の歴史分析、事実検証を積み重ねた上で試論を構築しないとあまりうまく行かないと思うんですよね。抽象的論理化は具体的な事実の検証の上に成立すると何度も書いてきましたけど、漢がどうだった~唐がどうだった~など流れをきっちり抑えた上でやらないとうまくいかないと思います。時代の変化を頭に入れた上で、初期の儒教はこうだった。しかし中期においてこの要素が消えて、時代要請があってこういう変化になった。末期になるとまた先祖返りして、さらに外来のA思想の影響を受けてこういう形になった―とかそういう感じで変化を説明しないと本質に迫れないと思います。

 静的理解と動的理解と言いましょうか?一番最初の制度や思想は理論と現実の乖離が少ないために静的理解で十分ですが、時代が経って現実が変わっていくと制度の実際の運用は大きく変わっていくことがありますからね。確かに言ってることや書いてあることはそうだけど、実際に応用されていることはまるで違っているということがあるわけですからね。その変容を抑えないと本質を大きく見誤ってしまいますから注意しなくてはならない。

 思想・制度は実際の運用・歴史事象に大きな影響を受けて変化しますから、歴史イベントによる変化が起こるという前提で分析しないといけないと度々書いてきました。それが少し疎かだといえるでしょう。

 で、なによりも中国の宗教、OSというのはその歴史的事実なんですよね。小室直樹氏も著書で丹青に名を刻むことが中国人の望みと書いてあるように、儒教・法教だけじゃなく、『歴史』もまた重要な機能をしているわけですね。ちょっとそこの指摘がなかったのが、疑問でしたね。そうじゃないと何故歴史認識問題で揉めているか理解が出来ないですからね。

 中国は中華こそ文明、我が中国こそが世界一ィィィイという歴史の前提があるわけです。ダウンタウンのコントみたいに世界一位なんですね。去年も、今年も世界一位。よしんば私が二位だったとしても世界一位なんです。異常なまでに世界一位ということにこだわる、そのメンタリティを理解せずして中国の宗教・規範は理解できないでしょうね。

 ちょっと後の方に一神教のGodが王を支持した王権神授説のように、天の説明、天命の概念が出てきていますが、まさに「天命」という捉え方で現代の政治でも見ていますからね。中国人は意識的であれ、無意識的であれ、天・天命という概念で理解していますね。非人格的抽象神と言われる所以です。この解説もちょっと足りないという気がしますね。一神教との違いを説明するチャンスなのに。

 ○リーダーの公理。で、公理としてトップが有能であること。次に世襲制だからトップが有能でないことがあるから、それを補佐するブレーンが有能であること。そのような公理があるとします。血縁カリスマで統治を安定化させる、がトップが無能という代償が考えられるから、それを優秀な官僚で補うと。

 ※ちなみに儒教官僚が完成したのは宋くらいの話ですね。この点なんかごっちゃになってないかちょっと怖い書き方に見えますね。むしろ孔子のリアリズム的思想から考えると彼は放伐歓迎みたいな人ですからね。弟子の孟子にしてもそれを発展させて易姓革命のロジックを作ったわけで。

 で、その易姓革命の説明になっているのですが、当時の人間がどう理解していたかということであるならば、君子も官僚も無能だ。だからそいつら倒して易姓革命してまえ!という理解だったでしょうけど、実際は無能だから王朝が崩壊するわけじゃないですからね。然るべき理由があって、王朝が滅ばざるを得なくなるわけで。人為、有能・無能という視点から逆算すると物凄い間違い、歴史を誤って理解してしまいますから注意ですね。

 ※こういうように適切ではないたとえというか、解説が引っかかりました。例えば安保を重視するからコストを払って万里の長城を築いたなどの話ですね。あれは安保上というよりも、当時漢人・モンゴル人の差異がなくて文化・経済上のために築いたものですからね。安保上、あんだけ壁作ってもどっか一箇所破られたら全く意味が無いので。

 ○何故文人が常に有利なのか?日本のように武士が実権を握って天下を動かすようなことにならないのはなぜか?ずーっと皇帝&行政官僚という政治ですから、中国史を見る人は三国志的世界観を期待するとがっくりしますね(笑)。というのは中国は平原に大河と交通アクセスが異常に良い。だから簡単に攻め込めちゃうわけですね。本来(?)なら欧州の独・仏・墺とかそれくらいの単位で独立しあってバランス・オブ・パワーを作るようなことにならない。欧州というような単位の中国という単位を統一するのが非常に簡単なわけです。

 で、そのような巨大な国家が出来上がると、それを動かすのには行政官僚を使うのが効率的。でかいから国力・リソースがある。規模の経済が働きますから豊かさも保障されますしね。対照的に日本なんか統一するアクセスなんかかけらもなかったでしたからね。鎌倉以前から武士はいたわけですが、武士政権が全国を統一するなんてとてもじゃないが出来ませんでした。そもそもそんなことを可能にする国力・リソースが全くなかったわけで。そういうことを可能に出来る財力・武力が備わったのはようやく16世紀ころになったくらいから。織田信長くらいの頃でしたからね。中国だと秦のくらい、紀元前に出来たことが日本は16世紀くらいにようやく出来たわけですね。

 その成長性の遅さこそが逆に日本が近代化出来た秘密であって、逆に早さこそが中国の近代化を阻んだといえるわけですね。中国も戦国の七雄みたいにず~っと争いあってるくらいのはずが、地理上だったり技術上だったりの利点で統一されてしまったわけですから。EUに例えるとEUという統一体の下には国家があり、国家の下にそれぞれ自治体があって家族や個人というヒエラルキーを想定することが出来ますが、中国の場合、同じヒエラルキーにEUでいう国家、仏とか独とかそういう中間項がすっぽり抜け落ちてしまっているわけですから。そりゃうまくいかないはずですよね。別に省単位に再編してもいいと思いますが、そこに大幅に権限を維持して中間項を作らないと中国は安定しないでしょうね。

 ○日中のリーダー感、というので日本は無能がいいと。そして中国は有能がいいというような話が出てきますが、ちょっとどうかな?という話ですね。歴史を見て分かる通り興国期や自由競争が可能な時は、優秀なリーダーをどんな組織でも選ぶんですよ。そのほうがメリット・リターンが大きいから、その下にある部下も収入が増えるから彼を指示する。しかし自由競争が成立しない、国土がこれ以上拡大しないという停滞期や維持をすることがメインになると、優秀なリーダーというのは要らなくなるんですよね。

 まあ、優秀というか競争をしよう!攻めるぞ!拡大するぞ!っていうリーダーなんですけどね。で、これ以上拡張できないという時代になるとどこの王朝のトップでも権威化する。権威となってNo2にお前が権力行使しろと任せる形になるわけですね。ですから日中のリーダー感ってのはおかしいなという気がします。あえて言うなら日本はムラ社会の延長で話を聞いて上手くまとめるリーダーを望むために、決断が遅くなって失敗するみたいなことでしょうかね?組織運営が下手くそというのはあると思いますけどね。そこら辺の事情は中国にも似たようなことがあるでしょうけど。

 ○中国共産党プラグマティズムキリスト教に例えるとイエスに従う型か、教会に従うかという違い。中国共産党人民公社・大躍進などその都度方針をコロコロ変える。教会が絶対というタイプではない。方針が絶対ではないけど、政策を変えられるのは政治指導部だから政治指導部が絶対という考え方。ソ連共産党は方針絶対で、それを変えられないから滅んだ。

 ※まあ、そもそも中国共産党にしてから、労働者じゃなく農民に主体を置くという共産主義国家としてはキメラですからね。共産主義じゃなくて農土の小作人への分配を求める土一揆が基本みたいなウリジナル共産主義ですから、解釈を現状に合わせてどんどん変えていくのは自然なんでしょうね。資本家VS労働者じゃなくて地主VS農民ですから。

 ○フランシス・フクヤマはヨーロッパは神から権力を保障されたとしてもそれに対する説明責任があった。しかし天には説明責任がなかったと。毛沢東に一度与えられた天命は不変。丸投げを中国語で承包というが、まさにそれ。※つまり毛沢東共産党に天命が与えられたと考えられているわけですね。逆に言うと経済成長が止まった時点で、天命が去ったことになって暴動や反乱が起こるでしょうね。

 ○ハンナ・アーレント全体主義の起源』いわく、ナチスは党と国家の二重機構によって支配をしていた。党に国家と同じ機構の部所を作り、そちらにより権力を強くし、国家を支配すると。で、党を支配するのはヒトラーだから、ヒトラーに権限が集まると。親衛隊というのが事実上の党の軍隊、粛清など暴力装置として作動した。

 ソ連と違い文化大革命は軍隊が粛清されなかった。粛清されたのは党。文化大革命の混乱を鎮圧したのは人民解放軍。なるほど、この功績があるからこそ、人民解放軍は我らこそ問題を解決する能力がある!国家の最後の砦だ、我こそ礎だ!みたいな感じで偉い顔ができるのか。スターリンは軍と党の要人。毛沢東は党の末端に至るまで全てという違いがあると。なるほど、なるほど。

 親衛隊や秘密警察ではなく一般人が権力者である党員を攻撃した、その恐れが常にあった。これは腐敗を抑止する宦官のような機能があったのかもしれない。まあ被害が大きすぎてとても正当化出来ないけども。そもそも腐敗するような富が当時はないしね。

 ○パーソンズについて―パーソンズは市場はほっておいて健全に作用するという古典的資本主義のテーゼを採用しなかった。まあ第二次世界大戦を見ていればそうなるでしょうね。そして市場を健全に作用させるための社会的装置が必要であり、そういう装置を作って埋め込んで健全化を図れという主張をしていたと。なるほど。パーソンズは政治システム・経済システム・文化システムの三本柱で考えていた。毛沢東は政治に文化の重要性を感じていたから、文化大革命というような行動につながった。

 小室直樹毛沢東の忠孝批判に注目。これまでの儒教思想こそが、中国の規範。それを批判・否定せずして資本主義・民主主義・近代化に必要な規範は生まれない。今の中国の成功に一定の寄与をしていると書いてあるが、丁度日本の「天皇教」のようなエトス導入には成功をしていない。日本の「天皇教」は十分条件ではなく、必要条件の一つだった。それで日本のある程度の成功とその後の挫折、近代化の未完成ということが説明できる。

 毛沢東を丁度、天皇とする。「天皇教」のように、「毛沢東教」を考察するべきではなかったか?「毛沢東教」の場合、民主主義・資本主義ではなく、共産主義を作ることを目的としていた。また革命戦争による世界共産主義革命、資本主義陣営と戦うということが主眼にあったわけで、「天皇教」と所期設定が間違っていたわけですよね。前提・認識が間違っている以上、当然自ずから失敗したわけです。そういう話をなぜしないのでしょう?

 「毛沢東教」死して「鄧小平教」が生まれたと見てもいいでしょう。しかし言うまでもなく個人的カリスマによって奇跡(毛沢東は軍事的奇跡、中国における政権奪取で、鄧小平は経済的奇跡。今に連なる経済成長ですね)を達成するのも限界が来るでしょうしね。経済成長が終われば鄧小平の個人カリスマ、権威が崩壊して共産党への信頼はパーになるでしょうしね。

 何より鄧小平の前の平等、彼が神であって鄧小平の前では中国人民は皆平等の十三億赤子だという論理がありませんからね。ナショナル・アイデンティティの形成に失敗しているわけですから。幇に象徴されるように、中国人は二重規範、ダブルゲマインデであり、同一民族の前の平等がない。「中国人」ならば皆平等に扱うということが出来ていませんからね、ここが一つのポイントなわけです。故に資本主義・民主主義・近代化は成功しないわけです。

 中国の成功は日本のそれと違って、外資依存ですからね。同一視、同一線上で考えるのは危険でしょうね。無論、そんなことは書いてありませんが、今の中国の近代化は日本のそれと明らかに異なるのだという指摘はすべきだったと思います。

 文革はよくわからないとありますが、共産主義の完成と世界革命というイデオロギーのためだと思いますけどね。願えよ!さらば与えられん!という感じで頑張ったら達成されるという信仰に近いものでしたからね。ああ、そうか毛沢東のこういう行動、文革って始皇帝武帝の信仰とおんなじなんだなぁ。統一すると皇帝は神の階段を登り、その後天下に平和・繁栄が訪れるという発想は。毛沢東も頑張って共産主義運動をやったら世界革命が出来る=真の平和と繁栄が世界にもたらされるという発想でしたからね。

 文革が前近代社会を一掃したということはありえなくて、確かにあのショックである程度のこれまでの常識というのは良いものも悪いものも否定されたけれども、その後の空白をうめた規範は別のもの、つまり資本主義や民主主義を成立させるものではなく、再び儒教などの伝統的価値観ですからね。プロテスタンティズムのように、儒教に対する強い信仰は最早形骸化されて消え去っていますが。

 毛沢東の前の平等、皆同じ革命戦士という話が出てくるのですが、例えば紅衛兵としての一体感が「中国人」を生み出したとか、そういう性質が果たして本当に言えるかどうか…?ちょっとかなり怪しいと思いますね。それこそ当時の人間にとって長くても十年とか二十年程度の一時的な現象ですからね。まあ、言うまでもなくその他の社会制度、平等な「中国人」を生み出そうとする装置・システムが重要なのですが。

 ○日本にとってあの戦争が何かわからない―うーん、当時の世界情勢からしてアジアと協力して列強、欧米に立ち向かうという理想は近代化を拒む朝鮮・中国によって挫折。現実の前に一国単独主義に変わっていったわけで。また中国への進出も、自由貿易の崩壊でやむを得ず生存圏を求めないといけないという背景がありましたからね。説明がつかないということはないでしょう。ここらへんは?ですね。

 ○小室博士も朝鮮は儒教や中国文化を日本に伝えた。なのにそれを忘れて自分達を支配した。優越感がひっくり返って下に見るようになった。それで日本について怒っている。また、アラブ・イスラム圏がキリスト教に重要なスコラ哲学の基、ギリシャ哲学などを自分達が欧州に教えた。なのに今の自分達が上だという優越感はなんだ!というのがあるといいます。それと同じことが中国も日本に対して当然あると。

 その視点自体はたしかに重要なのですが、国家っていうのは恩の貸し借りで動くものではないですからね。そういう感情を無視しないこと、理解することはもちろん大事なのですが、そのような認識の上に歴史感を構築することがそもそもおかしいことですよね。

 なんでしょうか?昔は貴族で偉かったが没落してしまった。そこで働いていた使用人、元奴隷が出世して貴族になって今度はその元使用人に自分が従わなくてはならなくなったという感じでしょうか?そういうプライドを傷つけないことは大事なんでしょうが、それに甘んじて自分のほうが偉いんだぞ!みたいな態度・思想を取ることは大問題ですからね。

 そもそも過去の歴史において大国だったから、今小国になっても大国だぞ!というメンタリティを取り続けることがちょっと異常なことですからね。子供の頃ガキ大将で偉かったから、おっさんになってもその力関係を持ちだして、俺に従えと言うような痛い人とでもいいましょうか?ちょっと現実の変化というものについていけていないコンプレックス、劣位感情ですからね。

 ○日本も中国も朝鮮半島も、それぞれの前提「認知地図」が違う。まずそれを抑えないと会話が成立しない。そのとおりですね。

 ○満州国はメキシコを対策としたテキサス州に似ている。独立国テキサスを後合衆国に編入するというやり方が想定されていた?

 ○南京は被害の象徴であって、それを否定すると戦時被害の責任を否定しているように捉えられる。だからすべきではない。―外交戦略としてむやみやたらに煽る必要はない。一々政治家が発言をすればそれでややこしいことになるからあえて取り上げない戦略というのは正解だろう。しかし、歴史的な解釈を巡って事実論争がある南京虐殺ということを、客観的証拠から事実に迫ろうという論争事態を封じてしまえというメンタリティは中国=正や善という誤った前提から始まることになる。

 中国に被害を与えたという点で申し訳ないと感じるのは当然。だがやってもいないこと、事実ではないことを訂正しようというのは当たり前の行動。それを正したから全体を否定したことになるというのは政争や人格攻撃のレトリックにすぎない。

 仮に交通事故を起こしたとします。当然悪意はなく、謝罪も賠償もしますと認めます。ところが、相手側もしくは検察がこれは故意であった。傷害や殺人を目的としたものだと主張します。当然いやそれは違いますと否定します。すると交通事故自体が存在しなかったと言っている!お前はまるで反省していないじゃないか!と言われるようなものですね。傷害についてを否定しているだけで、事故については認めているのに、事故が起こった事自体を否定しているというロジックは明らかに相手側がおかしいでしょう。それは冤罪です、冤罪の可能性がありますからきっちり調べましょうということ自体を認めない。その異常性を認識せずして中国は理解できないでしょう。

 ○A級戦犯について靖国参拝をすべきでない。サンフランシスコ講和条約、サンフランシスコ体制が現在の国際秩序です。その秩序をあえて戦略として受け入れるべきだという選択肢も無論わかります。しかし、己はそれは認めてはならないというか、それを新しいものに変えていくべきだという意見なので賛同はできません。

 そもそもサンフランシスコ体制自体が戦争による力の支配を前提とするものです。東京裁判も同じく勝者が敗者を裁くという正義も法の秩序もない暴挙の上に気づかれたものです。このようなものを、日本人として認められないというのではなく(まあそういう感情がなくもないですが)、「力の支配」というのは脆いからです。自ずと体制に不満が出てきて不安定化するからですね。

 「法の支配」による秩序でなければ、いずれ必ず無理が来る。法と正義は同義とみなされるものですが、正義を伴わない法というのは暴力でしかありえません。法というのは時代によって正義・正当性が伴わなくなり、死ぬものでもあります。ですから絶えず時代に合わせて変えていく必要性があるのですが、今のような時代から見ても、あきらかに法的根拠、正当性は見られない。

 この秩序は戦争に勝ったものが偉い、負けた奴は黙って従えというものがベースにあるわけですから、当然否定し変えていくべきものです。無論、国際力学を踏まえず、ただ駄々っ子のようにわがままを言って否定すればいいというのは論外です。きちんと戦略を持って適切なプロセスを踏まえて徐々に変更を図っていくべきものでしょう。戦後レジームを変えると主張したって、国際秩序相手国がいる。相手国の同意があって始めてできることですから、そんなことをいきなり言ったって出来るはずがないです。当然相手側は、自分達が不利な立場に追い込まれるかも!?と懸念を表明するのですからより拒否反応を引き起こして失敗するに決まっています。そういうアホにはご退場願いたいことです。

 そして何より大事なポイントなのですが、東京裁判を我々が日本が受け入れる・受け入れないというのはどうでもいいんですね。今、世界を動かしている覇権国家アメリカの問題なんです。この東京裁判というのは。彼らが世界を動かす上で、「力の支配」を選ぶのか、それとも「法の支配」を選ぶのか―こういう問題なのですから。アメリカが前者を選んで世界戦略を構築していけば、いずれ必ず破綻するわけです。正当性なき支配は、中立国・同盟国の協力も得られず、敵対国は攻撃の手を休めないですからね。絶対無理が来ますから。

 過去を振り返って、「力の支配」を否定する。そして改めて「法の支配」をしていくことを宣言する。「法の支配」を行う道義国家アメリカとして生まれ変わることをしない限り、アメリカは世界を動かしていけない。覇権は傷つく一方です。

 ですから、暫定的な戦略としてならともかく、恒久的な戦略としては絶対に有り得ません。日本としてこの「力の支配」という図式をいかに「法の支配」に変えていくかという戦略が今後求められるでしょうね。それが日本の「力の支配」に変えようとしているのでは!?と疑われるような人物には絶対無理ですけどね。正義というのは最早怪しい言葉になってしまったから、求められるのは道義や大義ですね。それが重要になることは間違いないでしょう。

 ○近代化、資本主義は成立する!?―で驚いたのが、華僑・留学組・中国人自身の変化という三点の存在をもって中国の資本主義はそこそこうまく行くんじゃないか?という話がなされているんですよね。イヤイヤ、ありえないでしょう。中国の資本主義は絶対崩壊しますよ。近代法=資本主義=民主主義は三位一体の同義ですが。近代法がない、二重規範の打破が出来ていない。民主主義による個人の権利の確保が進んでいない。それらを考えて無理ですよ。

 小室博士は最初無理だと唱えて、最近の発展を見て、どうとも言えないということをおっしゃってたと書いてありますが、そうだったんですかね?おどろくべきことに八十年代の段階で博士は人民解放軍がいるから、その軍隊で資本主義に相応しいエトスを備えた労働者を作って、外資導入で大量生産をやれ。付加価値の低い労働部門アウトソーシングで中国経済は発展するという基本図式をもう見抜いていたんですよね。すんごい昔の本でしたが、あれ読んだ時、さすが小室直樹と唸らざるを得ませんでしたね。

 で、今中国が発展しているのって基本それですからね。外需依存の低賃金労働を受け入れているだけという。ソニーとかトヨタとか世界ブランド企業は出てないでしょ。ですから日本の経済成長とはまるで意味が異なるんですよ。日独が台頭したのは自分達で自前の技術で商品を作っていって成長していきましたが、中国はそうではありませんからね。19・20世紀時代の戦争を前提としたパワーゲームの国際力学と違い、相手の経済発展も許容する。アウトソーシングして中国の経済成長を先進国が促しているという要素を見落としてはダメですね。

 んで、昔の記事に書いたんですけど、今の中国経済は近代化の過程で起こる「都市化」による発展が進んでいるだけ。土地がタダ同然ですから、そこに線路引いて、工場作るだけであっという間に莫大な富が産まれるわけです。んで商品や賃金が発生して生産者と消費者が生まれて、彼らにお金が入って豊かになって更にモノを売買する、富が富を産む好循環サイクルに入っている。

 ロシアだって日本だって、この「都市化」で莫大な経済成長を遂げた時代があったわけです。しかしそれは絶対に永続しない。都市の開発が終わって、田舎から吸収できる人口が頭を打ったら絶対終わるんですから。個人的に「興国ボーナス」と呼んでいるんですけど、この時はセイの法則が成立するんですね。だから無敵なんです。

 古典経済学がセイの法則が通用しなくなったことで、終わりを遂げたように、セイの法則はいずれ必ず潰れるんです。今の中国経済は「都市化」バブルなので、いずれそのバブルは弾けて終わるのです。そしてその際の混乱を、今の共産党が収められるというのは、ほぼ不可能だと思われます。資本主義の失敗をどうやってコントロールすべきかという発想、システムを構築していないですからね。

 日本だって未だに前近代社会的な残滓が強くて、それ故に何時までたっても改革ができない。まして中国においておや。近代人なき近代国家運営はまず無理ですから。

 どうも強大化する中国とその庇護下にはいらざるをえない日本みたいな前提がある気がしますが。まずそんなことありえないと思いますけどね。中国がアメリカのGDPを追い抜くと書いてますが、ありえないでしょう、そんなこと。

 ○今の中国共産党の体制は、儒教的官僚による神政政治。丁度欧州のキリスト教国家がそうだったような段階と看做すことが可能。なるほど。そして問題はそこから絶対王政→(名誉)革命→民主主義というステップでしょうが、そのプロセスを踏むこと、テイクオフは相当難しいでしょうけどね。

 偶然トクヴィル読んでましたけど、絶対王政のもとで「主権」が確立され、教会・貴族以外の第三身分=平民という存在が生まれたことが重要だと。彼らが団結して上の身分に立ち向かっていったからこそ、革命というものが成し遂げられたといいます。非共産党員が団結して共産党に立ち向かうようなことはありうるでしょうかね?中国式の易姓革命にならない保証はあるのでしょうか?やはり多様すぎて無理でしょうね、都市戸籍農村戸籍では別身分ですし。

 ○宮台さんいわく、北とのロードマップはリビアのような核放棄プロセスだった。これをポピュリズムでブッシュ・小泉は台無しにしたと。しかしこれに対して橋爪さんが、オーバードファーを挙げて北が核放棄することはありえないと。倉田先生も核を手放さないとおっしゃってましたし、己もそう思いますね。ただし、リビアの核放棄のプロセスは北との外交でポイントになりますし、北の米との同盟という選択肢もありえるので抑えておくべきかと思いますね。

 ○靖国参拝について―それを止めて中国のシグナルを受け取って、関係改善を進めるべきと。しかし止めたら多くのことで協力できますよとおっしゃってますけど、今の日本の最大の脅威って中国ですからね。それで尖閣や台湾への武力行使を放棄するとか成果が得られれば別でしょうけど、そんなことありえませんからね。

 これがロシアが攻めてくるとかであれば、如何に不当な要求でも安保上その要求を飲むんでしょうけど、現行秩序を力で変えようとしているのは中国ですから、まず中国と関係を改善せよというのは戦略性が無いですね。まあ経済・軍事的に中国が日本の倍くらいになって、米が東アを放棄するような事態になって、中国の干渉を丸呑みせざるを得なくなったら別なんでしょうけどね。

 まあ、どうも中国が米を追い抜く!みたいな誤った前提に立っているので、そこら辺がおかしい論理展開になったと思いますね。仮にそうなったとしたら、東アは米の「力の支配」から中国による「力の支配」に代わるということでしょうけどね。