てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

林譲治著 『太平洋戦争のロジスティクス』

太平洋戦争のロジスティクス/学研パブリッシング

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 林譲治著『太平洋戦争のロジスティクス』を読む。以前、TLで話題になっていたのはこの本でいいのかしら?太平洋戦争の敗北の要因とは、硬直した組織にある。腐蝕官僚制、腐朽官僚制にあり!と小室直樹が喝破したように、この本も日本の組織の硬直化を問題としてあげており、筆者の主張に同意ですね。

 兵站の重視・軽視と、兵站・補給の成否はイコールではない。結論から言うと、「兵站を重視はしていたが失敗した」。筆者はではどうして重視しながらも失敗してしまったのか、その理由を説いていく。要約すると、国力・生産力が拡大する戦線に追いつかなかったということになる。

 筆者は現代の日本にも通じる問題と書いてあるが、むしろこれこそ日本の問題の核だとも言っていいだろう。兵站に就く人間は重視されていたにも関わらず、キャリア(出世)のルートに組み込まれていなかった。「職務は重視するが人間は重視しない」というものであった。

 無論、これをもってやはり「兵站」は軽視されていたということも可能になるであろうが、問題はこれをおかしなことだという認識がないことであろう。同じような例は潜水艦にあり、潜水艦を重視しながらも敵の補給線を断つという目的は達成されなかった。彼らもまた出世コースから外されていた。

 重視はされながらも、出世はできない。「業務」と「人事」が別の論理で動く。信賞必罰の不徹底に組織の機能不全を見ることができるだろう。筆者いわく専門職として重視しても、総合職としての出世ルートには関係ない。出世には「ガラスの天井」があったということに尽きるのだろう。

 国力の限界を越えた戦線の拡大故に、本来質の拡大が必要な所、それを量の拡大で凌がざるを得なかった。当然それは質の低下をもたらし、兵站の失敗をもたらすことになった。だが、失敗の本質はそれだけではない。未曾有の戦争・戦線にも関わらず、組織の思い切った改変がなされなかった。

 海上輸送路確保のため、海上護衛総隊の下連合艦隊編入する。海軍では、有為な人材を登用するための軍令承行順の改革を行うことも成功していない。既に質の変わった戦場において、旧来のやり方のままで乗り切ろうとした。英のウィンゲート旅団のような存在を想定し得なかった。

 レーダー研究においても、火砲優先で真空管用のニッケルの配給はなく、代用材料にせざるを得なかったなど、勝利する改革よりも既存組織文化を守ることを優先しているとさえ思える。

 日清・日露戦争の反省により、日華事変の間までは兵站の問題は起こらなかった。問題は太平洋戦争で戦線拡大してから。

 変化に応じて対処できない、構造を改革できない。インパール作戦で第十五師団の作戦主任参謀と歩兵師団長が人事の定期移動で入れ替わっている。戦時において平時の人事を行っている。自然災害で復興が遅れるのは非常時にもかかわらず通常の行政処理をするから。非常時には非常時の処理が必要になる。

 国家統制は権力を強めたものの有効な指導ができなかった。権力拡大自体が目的のようにすら見える。全体主義と化していた日本よりも民主主義のアメリカのほうが、本来意見調整が難しいはずなのに、産業界への強い指導力を発揮した。統制せずとも指導できた米に対し、日本は統制して指導できなかった。


 ―とまあ、個人的には納得がいく説明で非常に参考になる話でした。あとは気になった個人的メモ。

p22、兵力の急増は本来の戦争のモデルとかけ離れていたが故。日華事変は早期決着させるはずだったし、南方の資源も占領後即引き揚げるはずだった。海軍の仮想敵米に対しても艦隊戦の短期決着であり航空戦・島嶼戦でなかった。

p50、現地調達は兵站の軽視ではない。第一次大戦の欧などは交通網が発達しているから本国からの補給が可能だったが、日本は海から大陸にアクセスしなくてはならない。更に中国の交通網は発達していない。その困難さを(あくまで補うための)現地での補給は理にかなっている。

p52、近代化・官僚組織化されていない中国での現地調達は難しかった。独が欧州を占領する際、近代化されていたところを占領したのに対して日本はそうでなかったという違いは重要ですよね。更に日本は独より近代化が遅れていた故、兵站ロジスティクスが難しかったのは言うまでもないでしょうね。

p58、補給・兵站のために現地の官憲を使って協力してもらい調達することが基本方針。占領地で嫌われて抵抗されれば戦争の任務遂行に支障をきたすから当然ですね。軍票での支払いが基本で現地通貨も一部認められていた。本国への資源の流入のために高いレートで固定されていたから、日本から離れるほどインフレが深刻になった。大東亜共栄圏の中心日本の経済力がそれに見合った大きさでないため中心の機能を果たせず、参加国の経済ニーズに答えられなかったというのもまた大きなポイントなんでしょうね。

p64、最終的に破綻したとしても、長大な補給線を維持できた日本の補給能力は優秀だったといえる。近代戦・総力戦でそれを維持することが出来た軍隊は世界大戦を含め数えるほどしかないから。最低限国民の普通教育があって、兵站・補給を支える人材がある一定数以上存在しないと出来ないこと。そしてその条件を満たす国は数えるほどしかなった。

p70、軍隊は近代化教育の格好の場所。民主主義と戦争は非常に深い関係にある、近代化と資本主義と民主主義と戦争はそれぞれ相まって発達していったのですが、そういうことはゾンバルトの『戦争と資本主義 』などで有名というか、古典的知識ですが、今でもあまり知られていないことなのでしょうか?ラジオや自動車すら見たことない農村の若者の飛行機の操縦などの訓練を軍隊で出来たことが民間へテクノロジーの素養を持った労働者を供給する手助けになったと。

p71、米も独も輸送の殆どが弾薬と燃料。糧食は20%程度だが、日本は正確なデータがないが、半分近くが糧食だった。

p75、自動車が十分まだない時代に輜重部隊の輸送力の中心は馬。当然そのための馬糧も要求される。

p78、体験記の多くはエリート、大卒・都市のホワイトカラーによるものが多く。田舎や農村の人間にしてみれば軍隊の生活は比較的豊かなものだった。
 近代軍にとって、十分な経済機構があるかどうかは死活的な問題だった。十分な経済機構がなければ軍が自前でロジスティクスを担わないといけなくなる。全体主義統制経済の一端はというかほとんど全てには日本経済の小ささ、弱さにあったということか。

p80、民間業者への委託もあり、ロジスティクスも軍のみの閉じたもの・完結したものではなかった。

p82、1944年で農業部門の人手・労働力は全体の40%を占めていた。戦争で働き手を取られ、農業生産が衰退した。米は対照的に17%のみだった。

p83、兵食技術としての缶詰。ナポレオン時代の発明であり、日本でも同じく兵食として缶詰は普及していった。

p90、陸軍燃料廠が置かれたのは海軍に約20年遅い1940年。これは陸軍の機械化が進んでいなかったためだが、陸軍というよりも日本社会の工業化の遅れ故。満州事変の時点で10万台。シベリア出兵の時に自動車への興味はあったが開発は進まなかった。

p97、石油を巡る戦いであったのに、その石油に対するずさんさ。兵科将校のみの会議で石油の専門家無しで(つまり素人が)、陸海軍の油田の占領配分を決めた。最大の油田スマトラを最も石油を必要とする海軍ではなく陸軍担当になった。陸軍のタンカーは約1.3万トン、海軍は約16万トン、陸軍に運ぶタンカーが十分にないことは明白だったのにもかかわらず。ただ陸海軍中央ではセクショナリズム故最後まで解決することがなかった。ただ現地では指揮官が融通を利かせ合理的な対応をとっていたらしい。

p112、ロジスティクスの中心は輸送部隊ではなく、中央にあって統括する主計・経理
p116、三元制という形で主計候補生は一つのルートとして存在していなかった。1903年に主計候補生制度が導入され、一元化されたが軍縮1920年廃止。もしこれが廃止されずに物事を定量的に分析する経理官的な人材が中枢を占めるようになっていたらどうなっていただろうか?

p136、輜重部隊に二輪馬車の採用が却下されるが、これは国内の道路事情が悪いため。日本国内では駄馬を使わざるを得なかった。いくら軍隊に近代化された装備があったとしても国内の社会インフラが備わっていなければそれ以上の力は出せない。

p139、日露戦争まで補給は2つの組織に分かれて行われていたが、一元化された。その初めての任務が青島攻略。ちなみにこの時初めて自動車が使われた。

p170、C―47に代表される米の10万機の輸送機に対し、全機種合わせても2500の日本。空の輸送力の圧倒的物量さ。

p207、原爆を落とされても広島では一部の鉄道が動いていたという証言がある。また玉音放送国鉄職員は聞いていない。こういう努力が戦時中のロジスティクスを支えていた。

p222、半島・大陸での占領地における鉄道ゲージの統一はコストもさることながら安全保障面でのリスクもあり出来なかった。企画が統一されれば輸送もしやすいが、反面攻めこまれて相手にも利用されやすくなる。

p232、40種も存在する「戦時標準船」。これのどこが標準規格なのか理解できない。そもそも英米にマネジメントで劣っていた。物量もさることながらそれをやりくりする計画、マネジメント能力の欠如も敗因の一つ。

p264、自動車の免許を持つことは特有技能。この能力を持つものをきっちり把握することは重要なことだった。ひょっとしてこの時代の意識を今でも引きずってるんじゃないかな?今の自動車免許制度って…。

p285、日本のGNPは1940からほぼ変わっていない。軍需生産は伸びても民需を圧迫したものだった。