てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

マンガ・アニメの目の表現

マンガ・アニメの目の表現で気になった小ネタです。

 チャンピオンの『クローズ』というマンガを昔読んでたことがあるのですが、今はもう読まなくなりました。今は違うマンガなのかな?同じ作者さんがチャンピオンで連載していると思うんですけど、それがちらっと目に入って、その時抱いた印象が目がなんかおかしいな…というものでした。

 目がおかしいというか瞳がものすっごく小さい。まあそういう人がいないわけではないんですが、傾向として瞳が小さいというのが目につく。まあ不良喧嘩マンガなんで、強さを表現しなくちゃいけないから、そうなっているのかな?という印象。怖い顔=瞳が小さいというのは『エンジェル伝説』の北野くんなんかが有名ですね。

 ワルそう、やばそうという印象を与えるということで、瞳を小さくしているということなんでしょうけど、普段の日常シーンまで瞳が小さいのでやっぱり?という感じになりますよね。気持ち普段の会話や日常シーンは大きくして、バトル・喧嘩シーンになったら小さくするという使い分けをしたほうが違和感がなくなるのではないでしょうか?

 多分、格闘家なんかが試合で脳内麻薬とか出まくると顔つきが変わって、キレたような目・表情をするのでそれをイメージしているんでしょうけどね。

 そういや『特攻の拓』なんてマンガは、読んだことないんですけど、目の周辺にグッとシワよせて睨みを表現して、まわりの空間を黒くして殺気や狂気を表現していましたね、アレはやりすぎて逆に浮いてしまってる感がありましたけど、まあインパクトあって印象には残りますね。

 で、アニメの方なんですけど、マンガはワンシーン、1コマで時間を表現する。そのために、止めた顔のシーンでも読み手が想像で補って読むので問題がない、補完効果・補完機能が働くので、そんなに違和感を抱かないのですが、目の微妙な動きや重心、身体の揺れというもので日常、私達は人の存在を生きていると認識するわけですね。

 良く、死んだ魚の眼というような表現で目が死んでるということを表現しますが、死んでるような目、生気の感じられない人間というのは目の動きが著しく少ないわけですね。逆に言うとアニメで、イキイキとしたシーンを表現する、このキャラが生きている!と認識させるにはそういう瞳の微妙な揺れや身体のゆらめきなどを表現しないといけないと思うんですよね。

 だから、それをやれ!といいたいわけではなくて(アニメの予算や技術上不可能ですし、将来そういうのが可能になるといいですけどね)、『ダイヤのA』のアニメ見た時違和感がすごいんですよね。モブの観客のシーンがたくさんあるアニメなんですけど、人が死んでる感じがモノスッゴイするんですよね。スタンドの客がずっと一方向を見ている、動きがない、応援している人間は声の「よっしゃー」みたいな声援でごまかせるんですけど、セリフがないときは違和感がすごい。

 表現をうまーく工夫することでなんとかならないものでしょうか?楽器を演奏している人がずっと一方向見て、目を動かさずに演奏しているのが、からくり人形みたいで怖かったんですよね。

 そういえば刃牙宮本武蔵もそうですね。目を見開きすぎ(笑)。いっつもガン見してますよねw。だから人間という実感がしない。修羅の門の川原さんも武蔵描いた時にああいう狂気というか迫力を描こうとしていましたけど、人間なんですから、常日頃ぶっ殺すぞ!みたいな気合い入りまくってるわけじゃないですからね。抜くとこは抜くわけで、普通の人モードが当然あるのに。キャラとしての幅が全然ないんですよね。武蔵のユーモアというかふざけたところも当然人間としてあるはずなのに、なんというかあれじゃ人間じゃなくて単なるSFチックなバケモノですよね。

 肖像画にあるぐるぐる目くらいしか武蔵だ!と読者に印象付けるものがないんでしょうけど、もうちょっと何とかしてほしいものですね。笑う所、楽しむ所を表現しないといけないですよねぇ。