てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

小川和久著 『ヤマトンチュの大罪―日米安保の死角を撃つ!!』

 そういえば、読んでつぶやこうと思っていてつぶやいていなかった小川和久さんの本を読んだ話を。最近つぶやいても別に反応ないし、めんどくさいからまあいいかなとツイッターで感想をつぶやくこともなくなりましたね。

 あと、芸能ネタ幸福の科学清水富美加さんの話や、金正男暗殺の話やら、「親共左翼」「反共右翼」の話を書かないとね。漫画ネタも書いてないし、ポイントサイトの話もまだ。自作PCのラスト編はいつになることやら(笑)。野球の話も開幕までに終わるか怪しいし大変だこりゃ。

ヤマトンチュの大罪―日米安保の死角を撃つ!!/小学館

楽天リンク→ ヤマトンチュの大罪 日米安保の死角を撃つ!!

 昔の本で今と事情が異なるところもありますが、昔の本であっても読む価値がありますね。小川さんはツイッターで知って以前から読んでみたいと思ってたので、図書館にあったのを借りてきました。古いものから順に読みつくそうと思ってます。

 ヤマトンチュの大罪。沖縄に日米安保のツケを押し付けてきた罪、日本の国際的評価を下げた罪、平和主義を貫けなかった罪の3つの罪があるという。

 沖縄少女暴行事件で17条C項が不平等条約だという声が上がった。しかし当然米にも主権国家(国民国家)として自国民保護の義務がある。よほど確実にならない限り引き渡せない、その調査に時間をかけるのは当然。仮に条文が日本に引き渡すというものに文面が変わっても大きく変わることは考えられない。対等に近い条約にして日本の警察が友好的な通報によって基地内でも自由に取り調べが出来るというふうに変えるのが筋。
 そもそも安保とは主体的な選択によってなされるものなのだから、不断に自分たちに有利なように交渉すべき。それを怠ってきたツケが今回の事件。米政府には沖縄と日本が区別されている。そういう不平等を是正してこなかったからこそこういうことになった。

 英では、一歩基地の外を出た米兵の犯罪は英の法律が適用される。独の場合は、ボン協定で好意的な配慮を払うと明記されている。韓国の場合は日本よりもひどく、米が裁判を行い、場合によっては強制終了もあるとなっている。

 日米安保で基地を駐留させている以上ある程度特別な配慮がされるのは当たり前。なんでもかんでも不平等条約というふうに被害者心理で捉えるべきではない。なにが占領状態を引きずったものなのか、きちんと区別して論じるべき。例えば基地の取材で米だけでなく日本の許可が必要とされなくてはならない。韓国はそうなっているが沖縄ではそうなっていない。韓国の基地は反米感情を煽らないようにペイントなども控えめだが、沖縄は米と同じ華やかさがある。韓国も比もその軍隊が基地を警備して、内部は米の憲兵がという形になっているが、日本は一切米がやっている。これでは米本土と同じ。西独国営放送のクルーが、当時の独の規模のほうが基地の規模が大きかったのにも関わらず取材をして、これでは占領状態ではないかと言ったのも宜なるかな。

 日米安保の交渉の欠如として事前協議を要請してこなかったことがある。配置・装備の重要な変更、戦闘作戦行動において日本の基地を使用する場合事前協議が必要となるとある。日米間の事前協議に関する交換公文には米から出来るとあるだけで、日本から事前協議を求められるとは書いていない。事前協議ができるように交渉すべきなのに、こんな重要な問題をこれまで提起してこなかった。イランの大使館人質事件で日本の基地からヘリを使用したのが明らかだったのにも関わらず、外務省は抗議しなかった。湾岸戦争で空母ミッドウェーが投入された時も、途中寄港地を目的地と好意的に解釈して事前協議の対象とはならないと好意的に解釈する有様…。

 3つの選択肢、日米安保破棄、沖縄の分離独立、そして有事駐留という負担軽減策があるという。嘉手納基地の民間航空化でアジアのハブとして経済を活性化させる。関連して那覇空港自衛隊と米軍で共用する。空港を拡張してこれで普天間も解決と。那覇基地へ一部移して、大部分は千歳基地に移すべきと。

 個人的にはODAなど援助とセットで海外基地移転を図ってもいいと思うが、他国への押しつけはイメージダウンに繋がるので、米領域内への移転でとおすべきと。軍事的知識を無視したような馬鹿な反論が多々あるが、本当にバカなのか、米流の交渉上のテクニックなのか、利権を守ろうとする一派によるものなのか、どれだろうか?その全てかも知れないが。

 有事駐留で抑止力の低下というのは当たらない。台湾の防衛能力から現中国軍が上陸制圧することは不可能。有事駐留で米が介入する可能性だけで十分抑止力は機能する。半島・北に対しても同じ。古い兵器で性能的に劣るし、岩国基地の部隊がもともと半島情勢から作られたように約40分で38度線まで到達できることは変わらない。米韓と北の戦力差は10対1とも15対1とも言われている。これで北が開戦することはありえない。湾岸戦争でその効果を発揮したトマホーク型巡航ミサイル在日米軍基地に配備されており抑止力が低下するわけがない。朝鮮戦争は38度線の防衛が殆どなされていなかったので起こったこと、現在の防衛体制では北が正面突破することは難しい。ありうるのは10万人の特殊部隊による後方撹乱。米韓日の基地を急襲して、航空戦力を機能不全に陥れること。また同じ民族の韓国軍になりすますこと。これをやられると基地の家族や韓国民衆を人質に取られるリスクがある。ただこれは抑止云々とは別の話で、韓国が民政の安定に力を入れることで防止すべき次元の話で関係がない。故に北朝鮮の脅威があると言ったナイ国防次官補の反論は全くのナンセンス。*1
 韓国において民政の不安が最大の軍事リスクということを考えると、昨今の国内情勢は北に付け入る隙を与えているということですね。軍事費じゃなく福祉や教育に回せという当たり前のこと、本来我々が北に言うべきことが日米韓に跳ね返ってくるとはね…。

 外務省に存在する安全保障課は米の言うことを聞くだけになっており、高度な専門知識を持っている人物がいるほうが珍しい。防衛庁自衛隊でも同じ、陸上幕僚監部調査第2課にソ連を研究するセクションはあっても米を研究する班はなかった。同じく日米共同訓練を担当するセクションがあっても、米の戦略戦術面の研究をするものはない。こういうお寒い状況だからこそ片務性という安保感の錯覚が起こる。

 そもそも超大国米と対等な同盟を結べる国などありはしない。どの国だって片務的にならざるをえない。そのなかでどうやって双務性を高めるかという問題になる。
 米は世界中で同盟を結んでいる。その米と同盟を結ぶ以上集団的自衛権の行使は避けられない。憲法を変えるか日米安保を止めるかのどちらかしかない。同じく非核三原則も米が核を持ち込んでいる以上成立しないはず。米が親告しない以上持ち込んでいないとみなすという例の事前協議の発想で解釈している。
 陸海空軍・海兵隊4軍を横並びと理解するのは誤り。国家によって軍隊の重要性は変わる。共産党が巨大な陸軍を持っているのは「党を守るための暴力装置」だから。インドネシアも本来なら島嶼国家として海軍に力を入れるはずだが、国の防衛よりも治安維持のために陸軍に力を入れている。海洋国家の米は海軍・海兵隊に最も力を入れている。任務担当区域も広い。それについで、空軍が「戦域空軍」を担当して陸軍は最も狭い「地域陸軍」という性格を持つ。
 
 「極東」という地域に限ろうとしているから、第7艦隊など地球の半分を担当しているものを無理やり在日米軍ではないという解釈をして整合性をつけている。沖縄と山口にいる海兵隊も同じ、ハワイに一部常駐させているだけで、結局日本の海軍・海兵隊が世界戦略の重要な役割を果たしていることに変わりはない。専守防衛という思想も誤りがある。本来防衛は相手に攻撃の意図があると察知した瞬間にこちらが先制するものだから。
 専守防衛、対日不信感をかわそうとする不純な動機という話がありまして、それゆえに信頼回復できていないという話がありますが、この時期だけなんでしょうかね?関係ないと思いますけどね。軍事と対日不信云々、アジア諸国中韓を含んでいるが故なのかな?まあ冷戦直後で、いよいよ日本が東ア一帯に進出する・米に変わって力の真空を埋めるのでは?という背景がありましたので、そういう時代特有の論理だと思うのですけどね。小川さんは平和ボケ・米依存論理に厳しいので日本の論理をまるまる一括して批判する傾向があるということかもしれませんね。対日不信云々は日本側にのみ問題がある話ではないので、これはちょっとピントがズレた指摘に思えますね。まあ、だからといって間違いだというわけでもないですが。
 
  微妙に長いので分割します。更新もろくに出来ないので少しでも更新日数を稼ぐために今後はどんどん分割していきましょう。分割アクセス稼ぎ詐欺ですね(笑)。せっかくなので、引きとしての煽り文句を書いておきましょうか。日本の基地は根本的に他の基地とは異なる。米は日本の基地からだけは撤退をするということは出来ない。つまりトランプの撤退論というのは根本的に戦略を理解していない虚妄に基づく発言である。では、なぜ日本の基地は他と異なる重要な戦略的価値を持つのか!知りたい方は続きをご覧あれ!
 続き→
続、『ヤマトンチュの大罪―日米安保の死角を撃つ!!』

*1:以前から気になってましたが、小川さんはナイ発言・論理をよく否定していますね。ナイがそういう無知な人間ということか、交渉上平気で嘘をつくいつもの米タイプのやり方をするという人間なのか。どちらでしょうか?

今月の読んだ本(2016/11)

 相変わらずもう今月ではないですが、お気になさらずに(^ ^;)。荀子の下巻読んで、それについて単独で一本書く予定もありましたが、大して量がないので単独で上げるのは止めました。荀子上巻のところに追記することで済ませました。興味のある方はチェックしてみてください。→新釈漢文大系〈5〉荀子

 全然本読んでないなぁ…。老子と莊子は読んだんですけど、文字起こしがこれまた大変で、それを上げるまでに労力が色々かかるなぁ…と今から結構ゲンナリしております。しかし本読めなくなってますなぁ…。困った困った。

「反日」中国の文明史 (ちくま新書)/筑摩書房


 『「反日」中国の文明史』、文明史ってなんだろう?反日の源流・背景を探るとかじゃダメだったのかな?文化史という本も最近読んでアレだったけど、~~史ってハズレ多いのかな?まあ、内容自体は普通の本でハズレとはいえませんでしたけどね、これは。

 平野聡さんは尖閣を単なる領土問題ではなく、近代国際秩序以前の「中華秩序」「華夷秩序」に引き戻す戦略の一環と考えているようですね。対等な主権概念が存在せず、明確な上下の差異がある秩序に組み替えようとしているのだと。尖閣を「奪い」、日本を屈服させるもくろみがあると見てますね。

 出版が2014年当時なので、当時の韓国もその中華秩序に擦り寄っていると。まあそういう見方は当然存在するわけですが、 果たして今の中共指導部に現行国際秩序を破壊して、中国独自の秩序を東ア一帯に確立するという戦略性があるかと言われると怪しいですよね。

 むしろそういう戦略性があったほうが、これは実現不可能だと認識すれば途中で諦めるので、そちらのほうが好ましいんですよね。そういうロジックや構造を理解せずに、ただ今の成長をバックに調子こいて、「取れるものは取ってやれ!」という場当たり的な対応にしか見えないんですよね…。戦略性なき驕り≒暴走かと…。

 若手研究者だからでしょうか?日本からの視点・主張で、中国の主義・主張を否定するという体裁の研究者の本は珍しいですよね。若手のこういう本は今後増える傾向にあるのでしょうかね。あとどうでもいいんですけど、また黄巾&戦乱で人口が1000万人に激減してしまったという誤解がありましたね。

中国の論理 - 歴史から解き明かす (中公新書)


 大して気になったりすることもなかったのですけど、一応メモ。欧陽脩が五代は「嗚呼史」というように「嗚呼…」という史家の嘆息によって成り立っていると。当時の歴史家の傾向という意味で面白い話ですね。

 刑は士大夫に登らず=士大夫のような社会の上の階級と、庶民は別の秩序で存在している・動いているというのが元の言葉の意味なのだが、どうかな?まあ現在は高官には刑法が適用されない、二重規範みたいなそういう意味で用いられているのだけど。科挙の士を唐は内面バカにしていたというのはどういうことを言うのだろうか?

 士大夫が自身の利権を守るために抵抗する。その時の決まり文句が「人心を失う」。その結果士自身が軽視されるモンゴル・元の時代になるという流れ。

 皇帝=唯我独尊という理解もどうなのだろう?秦漢・唐宋・明清それぞれ皇帝の地位だったり、権威だったり、機能だったり異なるから、そんな簡単にざっくり行ってしまって良いのだろうか?まあ唐と宋ですら違いが大きいとか行政制度から云々すればいくらでも言えるだろうし、ここらへんそんなふうに言って大丈夫かなとか思いましたね。

 攘夷や夷務といった言葉が西欧諸国と付き合わなくいけなくなって、「洋務」という言葉に変わっていった。夷→洋という価値観念の転換は地味にポイントになりそうですね。中体西用、あくまで中心は中国の価値観念。エリートなら諸子百家などの知識を知っていて当然で、文書中にそういった古典の引用が所狭しと出て来る。

 康有為は儒教を「孔(子)教」化しようとしていた。教会の必要性を認識していた。当時は宗教なき国民国家はありえませんでしたから、非常にポイントを理解していた取り組みだといえますね。その康有為の改革が頓挫したことが中国の大きな挫折になったといえるでしょうね。翻訳に「雅」の壁があった。「雅」でない文章は明文・良文とされず、受け入れられなかった。

 しかし、梁啓超の文章にはもはやそのような「雅」は見られなかった。そういう伝統に引きずられずにただ淡々と論じる文章に変わった。よりプラグマティズム的な方向に進んだわけですね。陳独秀辺りにはまだそういう伝統的な傾向を引きずっていたと。梁啓超国民国家の必要性を説き、旧史からその淵源を探そうとするも、中国にはその先例がないと嘆いた。彼が来る国民国家のための新史観を打ち立てたのでしょうか?気になるところですね。

 あとどうでもいいことですが、若い頃の梁啓超って、楽天イーグルスの則本に似すぎですね。亡命→野球選手説を作ろうか(笑)。※リンク先に写真があります。ページ内容とは一切関係ありません

梁啓超(りょうけいちょう、Liáng Qǐ chāo) | 横浜国際オークション | 書画の部 | 出品受付のご案内 | 出品者ガイド

藤田勝久著 『中国古代国家と社会システム』のメモ

 

中国古代国家と社会システム―長江流域出土資料の研究 (汲古叢書 85)


 藤田勝久著『中国古代国家と社会システム』のメモ。居延漢簡の研究で永田英正氏が「敢言之」のような、文書のフォーマットの存在を指摘しているとのこと。やっぱ永田氏の研究がここらへんに与えている影響は大きそうですね。まあ読んでも分からなさそうなので読みませんが(^ ^;)。

 中央から各県に伝達された命令は、木や竹簡で副書・保存される。この保存されたもの、過去の事例を頼りに新人・下級官吏は勉強したんでしょうね。こういう行政文書を墓に入れるのはあの世に行って、自分が役人だったとPRするためだと。現世=来世という中国人の価値観が反映されてるわけですな。

 ある書物の成立とその伝播という問題*1があるわけですが、伝播を担ったのは、諸子や外交の使者以外にも封君の客=遊子や賓客がいた。封君・貴族レベルより少し身分が低い人でも『日書』などの占いの本を持っていた。戦国中期以降、楚で書物を広めたのは客が中心となったかもしれないとある。

 今から考えられないことですが、当時の書物というのはそれこそちょっとした電化製品・冷蔵庫くらいのデカさと重さがあるわけですよね。紙ではなく大量の木簡を持ち運びするわけで、移動だけでも大変。更にそれを読み書きできる人材は貴重なわけで、大事な客として扱われるわけですね。当然書いてある文書だけでは無意味で、注釈・解釈が必要になるので重宝されると*2

 文中に呂不韋の『呂氏春秋』があったので思いつきましたが、客を集めて編纂させた次には伝播の段階がある。この『呂氏春秋』を各地に伝え広める客も当然想定されるわけで、各国のトップ要人・封君にも客が行き来したんでしょうな。世を時めく権勢者ならば尚更*3

 楚墓に祖先の系譜や紀年・祭祀関係が入っているというのは理解できるが、卜筮も一緒に入っているというのは現代的価値観からすると理解しがたい。おそらく占い=あの世・異世界からの指示という価値観なのだろう。古代・中世において夢が重視されるのは珍しくないし、意外と占いもある段階までかなり重視されていた気がする。

 太史、太祝、太卜とセットで考えられている。史官が星暦・天文だけでなく、祭祀・占いまで担当する。漢初では同じ「史」の括りだった。これ前者と後者が別れていく契機は何だったっけ?んで王莽辺りでまた一括化していったような気がしたが、どうだったかな?まあいつか調べよう(調べるとはいってない)

 『法律答問』に鬼神の話が出てきている。鬼神に豆爼を祀ったら処罰するとある。奇祠の処罰も書いてあって、王室の規定する祭祀以外に鬼神の位を設けることが奇祠だと。大衆は鬼を祭りたがると。そういうことを考えると前漢末、後漢末に鬼神を祀る集団が発生するのも当然の流れになるわけですな。

 張家山漢簡によると、蕭何は相当優秀だったとわかる。中央の太史がテストをしてトップを県の令史とする。また三年に一度のテストでトップを尚書の卒史とする。その間の郡の卒史であったというのはかなり優秀。しかも御史から中央に召されて固辞とあるから尚更。周昌、周苛も元卒史なのがポイントかな。

 藤田さんは秦の郡県制の原理の不備ではなく、運用において偽造・不正を上手く防止できないところに問題があったのではないかと考えているみたいですね。まあ史料があるわけでもないのでどうとも言えないところですが、漢みたいに初めから県と国の二元制・二重規範じゃないところに問題がありそうな気がしますね。

 中央から地方への伝達においては①壁書、②扁書、③使者派遣による口頭伝達、というものがあると考えられると。そういや地方の官府の壁になんかあったら文書を書くっていうのは中国伝統のスタイルって話を聞いたっけか。②は広場などに文書を提示すること。それぞれ伝達の違いが意味するものを考えるのは面白いところかも。

 大庭氏いわく、古墓から発見された通行証のようなものは、冥土への旅券。前漢中期頃から埋葬品に日用品が増えるとのこと。統一帝国になって「あの世」感が変化したということでしょうかね。

 旅行の際、決められた郵などに向かう=ルートが大体決まっているわけですが、ルートの変更によって経済の繁栄・衰退とかありそうな気がするのですが、実際の所どうなっているんでしょうか?国を郡にしたり、その逆にしたりというのは、その公的なルートを変更させるという意味合いも含まれたりがするのかな?やはり。

 サラリーマンの出張じゃないけれど、定められた任期までに文書を届ければ良いというのなら、ルートの過程においていろんな遊びが出来ますよね。まあ統一されたらそんなにはないだろうけど、戦国時代はそうやって客が色んなところに出入りして、情報収集とか交遊深めたりとかしてたんでしょうね。

 呂后のパパの呂公や項梁が仇を避けて移るとあるが、この時代はやっぱり罪・仇を避ける事例が多いのかな?郭解の事例があるし、彼が死ぬまで民間の空気は相当フリーダム&無秩序だったのかな、やはり。項羽の生地って泗水郡なのか、そこら辺がきっかけで劉邦・沛県集団と結びついたのかな?

 項梁は、獄吏の曹咎や司馬欣と結びつくわけですけども、ある一定の身分の人間には免罪・赦免する権限があったのかな?曹咎や司馬欣が全くの私的な利益・コネのために彼の罪を取り消したというより、その後の会稽での顔役みたいな活動を見ると、調停役として取り立てる的な要素もあった気がしますな

 徳政碑・墓碑・祠廟碑など、県社会・地域社会の結びつきを示すためのそれが後漢に増えてくる。いわゆる豪族化と石碑はセット。まあ有名な話なわけですが、仏教の石窟寺院のようなそれの先駆けという発想はなかったですね。なるほど、言われてみればたしかにそうだ。

 司馬遷は中央の文書・書籍を素材として史記を書いた。地方の行政・裁判などの史料は利用していない。そこら辺から史記史料批判が出来ると良いんでしょうけど、文書が少なそうですね。筆者が言うように、木簡が紙に変わればスリム化が進んで文書行政も大きく変容する。面白そうなポイントですね。

 注にあった岡村秀典『中国古代王権と祭祀』が気になった。こういう祭祀関係は必ず抑えたい。が、昔チラ見してポイ~した可能性も…。このジャンルは当たりハズレが大きいからなぁ。己の好き嫌いが激しいだけなのだがw

*1:書物が実際に成立した時期と、その書物が周知されるまでには間がある。書物・思想が成立して長く時間がかかるケースもこの時代だとザラにあるわけですね。短い時間で伝わるほうが少ないでしょうね。呂氏春秋のように大々的に発表でもしないと短期間で広まることは難しいでしょうからね。まあでもいくつか急激に広めるパターン事態はあったでしょうね。斉で学者として名を上げるとか、何処かの国で大臣・将軍として召し抱えられて結果を残すとか、まあ幾つかあることはあるかと思います。

*2:こういう書物・大量の木簡を持ち歩く姿はちょっとした移動図書館ですよね。当然それを運ぶ下人のようなものがいて、弟子や共同研究者としての兄弟分のような学徒がいたり、スポンサーとしての出資者が同行したり、それはレアケースでも情報や商売目的で旅費を出して、そのついでに物資を取引する商人が付き添っていたり、それを護衛する武人=士としての侠がいたり、墨子の教団のように技術者を伴っていたり、その土地の同郷の人間が同行していたり、ちょっとした旅団・サーカスみたいな小集団だったわけですよね。そういう移動する集団の画を想像すると、なかなか面白いですよね。創作物で格好のネタになりそうな話なんですが、聞いたことないですね。まあそんなに小説読まないんですが

*3:そうか、雑家と呼ばれる『呂氏春秋』の思想というのは、世をときめく大国秦のトップ呂不韋がどういうことを考えているか=今後の秦の政治・外交方針を読み解こうという動機以外にも呂不韋のもとに集まっている諸学者達による思想のアップデートをチェックしたいという思惑もあるのか。あらゆる思想を取り入れて、そこに記す。そして一字千金という方針を打ち出したのは、それこそ間違いなんてありえない=最優秀学者を集めて、最新学説の検討をしてあるという自負そのものだろう。万一、最新学説・新進気鋭の某学者の主張が反映されていないという突っ込みの1つでもあればその学者に即誘いをかけていたんでしょうね