てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

自民党について(4) 世襲政治(2)―世襲・名望家行政は成立するか?

 一つの組織をうまく取りまとめるのには年功序列という体制が最も公平です。ただでさえ、確固たる階級=政党がないため、自民は寄り合い所帯政党でした。それに加え戦後日本では、安保上の機能を大幅に失ったため安保・外交で実力を発揮する場がなくなりました。実力を発揮する場があまりない以上、年功序列プラス党内・派閥内でどういう実績を作ってきたかということが重要になるわけです。それだけならばまだいいのですが、派閥の長が子に世襲した場合その実績が引き継がれてしまうというおかしな現象が起こるわけです。そうでなければ安部・福田・麻生の三人が総理・総裁候補として上げられることは殆どなきに等しかったでしょう。

 これまでの政治状況では、コロコロ総理大臣という総理のイスの回しはある程度許されていました。これは次のようなプロセスによって生まれました。実績を上げる場がない→優れたリーダーが育たない→元勲=過去に優れた実績を上げたリーダーたちによるサポートをする人たちがいない、イザというとき話を取りまとめるシステムがない→派閥の長が横並びで突出しないからその長たちの話し合いで決めるシステムになる。結果順番の力学になる→ブランコの順番のように総理のイスは順番に回される

 内輪の論理で時の政権があっさり崩壊するのを見て憤る人はもちろんいたでしょうが、当時の政治に対する民意は高い経済成長率からそこまで高まることはありませんでした。現在でも政治家・政治に対するダーティな一面的表現から、民意の成熟はそれほどないと思いますが、当時は政治家というものを雲の上の人のようなある種別物として、政治という世界は歌舞伎のようなある種の伝統世界の一つとしてネタの一つとして消費されていた感がありました。そして今でも残っているでしょう。短期政権に対する世論の憤りは少しは民意が成熟した証拠であれば、幸いです。嬉しいことこの上ありません。

 世襲・名望政治家がその親のコネによって、親の政治家から受けた恩のために、その世襲政治家をリーダーに選ばなくてはならないということになれば、これはその党内における人材育成、人事制度を著しくゆがめることになるため、決して許してはならないものです。少なくとも前述の三人がどうして麻垣康三といわれる次期リーダーに選ばれたのか、まったく分かりません。少なくとも訴える政策では石破、小池、石原といった人物の方がまともであったのに、なぜ選ばなかったのか…(この点はいずれ詳しく)

 危機にあっては、序列でなく能力で選ぶ。これが組織の鉄則です。 

 これを無視した結果、発足即レイムダック政権となって、自民は政権と共に死に体に陥りました。長い歴史を持っていたがゆえに、政権の支持率が低下しても政党の支持率はそうでない、別物であるという思い込みから脱却できませんでした。というよりも、やはり自民党内で総括プロデューサーのような存在がいなかったために、チーム内での勝手なプレーをまとめ切れなかったというのが実情でしょうが…。

 党内をまとめきれないという自民のこの実情と、世襲政治・名望家行政体制は一つの帰結にたどり着きます。有力者たちは別個に存在し、意見をいつまでたっても集約できない。そうである以上世襲政治家というものは改めなくてはならないでしょう。自民としては世襲宰相・名望家行政が立て続けに失敗したわけですから、この名望家行政は党内で何らかのルールで制限しなくてはならないでしょう。世襲政治家であるならば、話題になっている献金政治資金問題上、父の時代からある政治団体とはつながりを持たないこと、同一選挙区から立候補しないこと、これがあると他の政治家とスタート地点が違ってくるため、これだけは制限しなくてはならないでしょう。

 自民・民主ほどの巨大政党になればどの地区にも、地盤=選挙のための政治団体を持つわけですから、政党である以上どんな候補者を有力選挙区に配置してもかまいません。例えばA世襲政治家とB世襲政治家を単に入れ替える、江戸の国替えのようなことをやってもかまわないわけです。ただし党の公認なしで戦国大名のように個人間で勝手にやるのはアウト。個人や家が持つのはアウトで、政党ならばセーフになる。それが政党政治の原則です。なぜなら失敗したときのリスクを背負っているのは政党だからです。もし有力選挙区に単に世襲政治家であるだけで選ぶならば、そのリスクは確実に政党に跳ね返ってくるのですから。だから個人・家が恣意的に、自己の利権のために、決定する可能性があるのでどうして党がそういう決定を下したのかという理屈・理論をしっかり記録しておく。その保存と決定プロセスの公開という透明性をしっかりしておくことが必要不可欠です。個人や家ではその透明性というものをやりようがありませんから。そもそも潜在的に家・個人というシステムが政党システムを凌駕するシステムになりうるわけがありません。現代の民主主義を採用している社会において。

 政党政治とは政党がしっかり見識を持った政治家を育てるというシステムです。これまでは、政党内でそれを統一してやるしっかりした部署がなく、有力者=派閥がそれをやってきました。あるいは戦国時代のように、大名が勝手に同盟・婚姻を結んで個人同士がそれぞれ勢力を拡大していった状況にあったといえましょう。打破すべきなのは世襲政治家ではなく、きちんとした原則に基づく人材の育成システムと、その政党の運営にあるのです。

                                              (了)

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