てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

 小室直樹著、『日本国民に告ぐ』 六章 

 

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

 

 

 

―続き、ラストです。

 

【第六章第日本人の正統性、復活のために―事実に基づく歴史の再検証が不可欠なとき】

 さらに何故戦後占領政策が成功したかというと、アノミーになったからだと博士は説きます。己の本場です(^ ^;)。天皇教の教理は、「戦争に絶対勝つ」でしたから、敗戦によってカリスマは深く傷ついてしまったのです。よって日本人全体がアノミーになったのですね。

 フロイトは、どんなに困難でも指揮官さえ冷静さを失わなければ部隊の統制が失われることはない。しかし指揮官がうろたえれば、あっという間に部隊は崩壊すると説きました。ヒトラーはこれをカトリックに見て、ローマ教会が絶対に教義の過ちを認めないから世界最大の宗派、教団であるとヒトラーは言いました。よって別名「ヒトラーフロイトの定理」。カリスマの保持者は絶対にカリスマを手放してはならない。カリスマが傷つき崩壊すれば、集団は崩壊する。まさに連帯とアノミーをよく理解した至言ですね。

 

 学校教育で侵略戦争、大虐殺を叩き込まれることで誇りを奪われた。戦前の日本では軍隊は誇りであった。軍備品を横流しすることなんてもってのほかだった。陸軍・海軍大将になるというのが子供の当たり前の夢だった。その軍隊が実は悪魔だったと知らされた日本人はどういう気持ちになったか言うまでもない。

 三島由紀夫英霊の聲で「などてすめらぎは人となりたまいし」と訴えた。単に特攻隊の代弁をしただけではなく、その裏には国家の正統性を手放してはいけないという警告の声があった。世界中どんな国にも正統性があり、教育で子供にそれを叩き込む。

 まさに占領政策によって日本人は滅んだんですね。戦争で負けたんじゃなく、戦後統治で敗れた、ズタズタにされたんですね、わが国は

 

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

 

p303、天皇イデオロギーとともに日本を支えていたのが村落共同体、前者が全体に及ぶ構造なら、後者は底辺で支える構造だった。難しく言わなくても、横溝正史江戸川乱歩の小説を読めば、当時の関係性が「村落」に基づくものだと分かる。そこでの葛藤が動機になっている。ところが戦後松本清長や森村誠一の小説を見るとそれが「企業」になっている。天皇システムだけではなく、村落共同体も解体していったのである。高度成長とともに昭和三十年代に解体した。これで日本を支える共同体が破壊され、人の帰属する共同体、帰る場所がなくなり、アノミーがはびこることになる。

 破壊された共同体は企業・役所、機能集団functional groupに吸収された。普通企業が葬儀をやることはない。企業がそこにかかわってくるのはそれが共同体化したから。共同体化して二重規範が適用され、薬害エイズのように非合理的に行動するようになる。これに己の意見を追記すると、いわゆるリストラという言葉が流行るようになって、その最後の砦・会社共同体すら崩壊することになった。膨大な自殺者数はこの本来の人間の行き先である共同体が破壊された結果。本来その担い手たる核家族の崩壊は言うまでもない。*1

 

 日本人は無条件降伏をわかっていないですね。無条件降伏は軍隊と書いてある。決して国家に対するそれではないし、何でもかんでもやりたい放題(=犬の仰向け、服従のポーズ)になるということでは決してない。それをわかってない人がいかに多いことか。むしろわざとそうしてるのか?と疑いたくなります。ポツダム宣言には条件がちゃんとあって、その第五項にいわく、吾ノ条件ハ左ノ如シ(以下略)。たとえば、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザル(以下略)(第十項)。日本人を奴隷にはしない、皆殺しにもしないと条件を付けていた。ここを読み飛ばしている人が多い。

 実質的に日本がアメリカに無条件降伏したのは、戦後。日本が本当に戦争に負けたのは、戦後である。軍事同盟に関係なく、湾岸戦争で金を出せといわれて、ホイホイ金を出したりした。そういうメンタリティこそ本当の無条件降伏であり、敗北であるわけですね。*2

 

受験について重要なので抜粋↓

p310、戦後日本に発生した「急性アノミー」を拡大再生産したのが、いわゆる受験戦争である。受験勉強は、なぜいけないのか。子どもたちが泣くのが可哀相というだけではない。最大の問題は、友だち、同世代の人間が全部敵になることだ。子ども同士の連帯がズタズタになる。若者にとって最も大切なのは、同じ年齢の人びととの連帯感。それが破壊されてしまった。

 決定的だったのが、共通一次試験(現在のセンター試験)。共通一次が導入(昭和五十三年)されてから、早稲田、慶応をはじめとする私立の入試が急激にむずかしくなった。昔は「三流、四流」と評されていた大学まで「一流校」になった。

 戦前の受験勉強は、中学校四年生、五年生が潜る試練だった。それですら弊害が大きかった。ところが戦後になって入試がますますむずかしくなった結果、高校三年間、大学入試の勉強に集中しないと、いい大学に合格しなくなった。さらに、一流の高校に入らないと東大に合格できなくなった。その結果、一流高校に入るための激烈な受験戦争が生まれ、受験勉強が中学まで拡がった。これが大問題。

 三木内閣の文部大臣として共通一次試験の導入を推進した永井道雄こそ、戦後教育の「戦犯」である。もう一人の戦犯が、小尾斤雄(東京都教育長)。「十五の春(高校入試)を泣かせない」と称して、学校群制度をつくった。そのとき、筆者は「今度は十二の春(中学入試)を泣かせることになる」と反対したが、この声は届かなかった。はたして、実際そのとおりになった。日比谷高校などの都立特権校がなくなった代わりに、私立特権校が誕生した。東京では、「御三家」と称される麻布・開成・武蔵などの有名私立校が中高一貫教育のシステムを採用していることから、「十五の春」は「十二の春」まで繰り下がった。

 かつて共通一次試験や学校群制度の導入を提唱した人びとには、ぜひ、現在の中学受験の実態を研究してもらいたい。小学四年生が、四谷大塚などの受験塾に日参し、模擬試験を受けている姿を、その目で確かめていただきたい。

 

 p314、実生活で直面する問題に「正解」があるとはかぎらない。むしろほとんどの場合、「正解」は用意されていないと言ってよい。仮にあったとしても、「正解」が一つであるという保証はない。正解が一つであったとしても、求める方法がないために、近似値にしか近づけない場合もある。まさに「一寸先は闇」なのだ。その闇に果敢に立ち向かっていくための土台を築くことが本来の教育の目的。

 ところが、受験勉強の解は一つだけ、こんなことで正解のない問題に対処できるはずがない。結果すぐに思考停止。けっして自分の頭で考えようとしない。右往左往しながら、誰かが正解を教えてくれるのを待ち望み、教えられたことだけを従順に信じこむ。一流大学を卒業した四十代の医師が、「教祖」から地下鉄にサリンを撒けと言われたら、「ハイ」と撒く。「アメリカ」を「教祖」に置き換えれば、現代日本の構造と全く同じ

 

 アメリカで家庭内暴力に走る子どもは、まずアルコールを飲む。つまリドランカーになる。それから麻薬を使って、その常習者。中毒者(ドラッグ・アディクト)になる。そして、チンピラの子分になる。親としては放っておけない。家庭内でも大論争になる。親子紛争が高じて、家庭内暴力。だから、アメリカでは家庭内暴力事件が起きた時に、周囲の人が「アイツなら、やりそうなことだ」ということになる。

 しかし、日本の場合はあの子がまさかということになる。誰かと一緒に犯罪をやれば連帯ができる。だから、そこで止まる。ヤクザの子分になったり、暴走族になったら、確固とした連帯ができる。そこで止まる。だから、親を殺す必要がない*3

 ところが、酒も飲まない、麻薬も使わない、万引もしない、ましてや暴走族やヤクザなんてという人は、どこにも連帯ができない。そういう子が、極限状況に行けば、親を殺す。新左翼が求心力を失った結果、急性アノミーが家庭内に向けられた。今でも新左翼の残党がいるが、ほとんどが、四十代、五十代。ほかに行き場がないから残党になっているだけ。

 

 新左翼が若者にとって魅力がなくなった結果、生まれたのが家庭内暴力。さらにそれが昂進したのが、いわゆるいじめ。世界中どこでもいじめはあるが、いじめはガキ大将が子分にすれば終わる。ならないから続くものである。

 いじめられたくなかったら、ガキ大将以上に強くなれ。ディズレイリ(英国首相)は「ユダヤ人の子だ」といじめられたから、ボクシングの稽古をやって相手を張り倒した。これがベスト。セカンド・ベストは、子分になれと言われたら、忠実な子分になる。とりあえず、解決する。

 ところが今の日本のいじめは主体も客体もない空気が原因であるから。どうしようもない(博士は戸塚氏に任せれば解決するといっているが、これはおかしい、国家的アノミーをそんなことで解決できるはずがない。むしろクラス内に連帯というものを作りようがないから、確固たる連帯、紐帯が生まれようになく、時々刻々と空気で変わってしまうから、いじめというものが絶えず問題になる。日本の閉鎖空間では絶対いじめはなくならない。ただ文部省よりはましという意味ならそうだろうが)。

 

 p329、ルソーは、「人間は二度生まれる。一度目が誕生、二度目が青春だ」と語った。ゲーテは、「全て偉大なるものは青春において作られる。その後の人生は注釈に過ぎない」と言った。人間にとって、青春期とは、何ものにも掛け替えのない貴重な時期である。それが受験、受験、受験。学校に行けばいじめがあり、家に帰れば、親子の断絶、家庭内暴力。授業で教わることは、GHQが残していった「東京裁判史観」。日本人であることに誇りを持てず、心を許せる友だちもいない。人生の目標は「一流大学」に合格することだけだ。完全なアノミーである。無規範無連帯ではないか(生きる目的そのものの消失、フェティシズム)。

 このままでは、子どもたちが危ない日本人が危ない。放っておけば、みな、狂者、いや狂者より狂的になってしまう。一日も早く、アメリカのマインド・コントロールから脱却しなければならない。大東亜戦争は本当に「侵略戦争」だったのか。「南京大虐殺」は本当にあったのか。日本軍は「従軍慰安婦」を「強制連行」したのか。伝統主義から脱却し、合理的に考え、判断してみれば、誰にでも分かることだ。

 

 ―いかがでしたでしょうか?見事に日本の問題を抉り出したと言えるでしょう。アマゾンのレビューで、何を今更?なんて感想を書く人もいましたが、この本が書かれたのは1996年ですからね。今更じゃなくて、その問題が起こったハシリなわけですね、そこを理解しないとこの本の偉大な所、価値はわからないでしょうね。まさに、従軍慰安婦問題が持ち上がってきたくらいの時代でしたからねぇ、当時は。慰安婦問題とか歴史認識問題とかを経て、ネトウヨ的な人が出てきたわけで。安倍政権みたいなのが誕生している今とは時代がまるで違うわけですね。今ならどんなことを説くのか、是非聞いてみたいですねぇ。

 まあそんなことはさておいて、本書で見られた問題発見能力は、社会学者の本領発揮といったところでしょう。日本の危機これにあり。特に青春とはかけがえのない何よりも大事な時期。それを台無しにする今の教育システムは本当に腐っているとしか言いようがありませんね。この人間を人間でなくさせる、心を折りにくる日本教育を何とかしなくてはいけません。まぁ、己が何を言おうとも、読めば一発で氏の凄さがわかりますよ。チラッと見ても凄さが伝わったでしょ?とりあえず、このシリーズはこれをもって完結です。知らず知らずのうちに博士の作品を読むようになるでしょう(笑)。Drきのこるの呪いです(笑)*4

*1:ちなみに小林よしのり核家族化による、家族の解体に警鐘を鳴らす目的で『逆噴射家族』という作品を1984年に作っていた。全く恐るべき慧眼といわざるを得ないだろう。もちろんヒットもしなかったし、世の中を揺るがしもしなかったが。果たしてアノミー問題を人口に膾炙させる&解決策を提示する天才・大衆芸術家(=アニメか漫画しかなかろう)はいずこにありや

 つまり日本人の精神・心の基本構造、OSは天皇との結びつき、ムラ社会との結びつきで成り立っていたわけです。そもそも核家族なんて本当にごく最近の出来事ですし、家族であるべき父とか、母などのそういった理想像なんていうのは今まったくありませんよね?そういえばクレヨンしんちゃんってそういう意味で、現代核家族像のあるべき姿を模索した作品でしたね。うすいさんがネタ切れで苦しんでたときは家族ってええやん~的なオチが多かったでしたし。あとマンガ家以外でそれができそうな人間といったら、松本仁志、そのコント位でしょうか

*2:なんか、ここ尻切れで終わってましたね…

*3:ここらへん以前アノミーの説明でまんまパクリましたね(笑) 

*4:この意味がわかるくらい作品を読んでくれるとうれしいですね