てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

対中脅威から、韓国に竹島を譲歩して関係改善を図ることは有益なのか?

 過去記事の見直し&再掲です元は10/09に書いたものです。

 「国益」のために、あえて竹島を韓国に「譲渡」してでも、日米韓の3国間の同盟関係の緊密化をはかれという主張について、この是非を論じてみたい。

 

 対中国の観点から、日米韓の三国同盟を強化の障害になるくらいなら、目先の利益・領土にこだわらずに、竹島を韓国に譲渡してもよいのではないか?こういうことを言うと、批判される昨今、おおっぴらには言えないが、そういう手もありなのでは?という疑問を抱く方は意外といるのではないだろうか?単なる岩みたいなもの、漁業権や資源の権利さえ確保できるのならメンツにこだわるべきではない。安保上の利益・実利を優先すべきなのでは?と思っている人がいてもおかしくないので、まあそんな話をしてみたいと思いました。

 

【まず書評から】

この記事を書く前にちょっと日本の戦後外交に関する本として

戦後日中・米中関係

戦後日中・米中関係

 
竹島密約 (草思社文庫)

竹島密約 (草思社文庫)

 
考証 日ソ中立条約――公開されたロシア外務省機密文書 (岩波オンデマンドブックス)

考証 日ソ中立条約――公開されたロシア外務省機密文書 (岩波オンデマンドブックス)

 

*1 の三冊を読んだ。三冊程度で日本の戦後外交を理解した気になっていけないのはもちろんだが、重要なのは現在の国際関係を過去の流れから捉える視点。そのために少しでも流れを理解しておこうと手を出した。まあ、根本的に見方の変容を迫るというものではなく、おさらい感覚だが。

 やはり重要なのは、日本は中国・韓国・ロシア―この三つと領土問題を抱えており、それがどういう性質を持つものなのか理解することであろう(台湾は除く)。

 

【領土問題で重要なのは実効支配

 中国の尖閣への領有権の主張、さらには沖縄―というのと、韓国の竹島のそれは、同じようで実は性質が違う。尖閣はこちらが主権を握っている。領土問題で重要なのは法的正当性がいかに正しくとも、実効支配をしている方が領土を所有し続けるということだ。中国がいかに言い分を立ててこようと知らん振りをしていれば、この問題は解決される。鄧小平時代の国交回復交渉で、棚上げという決断をした時点で、殆どこちらの勝利である。よっぽどのことがない限り、尖閣を失うことはありえない。現在巷を騒がせているような、中国が尖閣を攻めてくる!などといった非現実的な出来事はまず考慮に入れなくて良い。起こるとしてもアクシデント的なものでしかないだろうから。

 

尖閣竹島北方領土の違い】

 次に竹島北方四島この領有権の法的正当性は日本にある*2。しかし実効支配をしているのは韓国・ロシアであって、よほどのことがない限り領土は返還されることはないであろう。領土問題とはつまるところ勝敗が一義的な問題だ。この問題においては日本が勝つか、ロシア・韓国が負けるかの二者択一。それならばロシア・韓国は絶対に乗ってこないに決まっている。その問題に交渉の席に着かせるとしたらどうなるだろうか?どうすれば、相手が交渉に乗ってくると思うだろうか?

 

 先ほど法的正当性の話に触れたが、つまり軍事力を持つ大国のやったもん勝ちになるのか?そんなことで国際法、国際倫理・道義が正せるか!?と思ってしまうだろう。しかし、そこにはやはり不法国家・非道国家というレッテルが貼られるわけで、信義を失うわけである。ソフトパワーでもいい。信頼を失えば、その分諸外国はこちらを疑い、交渉に良い返事で応じてくれなくなる。またわが国の対露感情の悪さを見てもわかるように、昨今の反中感情の高まりを見てもわかるように、好意より悪意が勝る国については特別な利益がない限り、友好的な外交(その国にとってプラス)はなされない。負の感情がいずれ目に見える形(カネ、軍事援助、色々な取引、国際制度・規制や、安保理議決などの決め事での賛成支援など)になって跳ね返ってくることは火を見るより明らかだからだ。わが国がいかに冤罪といえども、根拠がなかろうと、平和国家という虚像を追って戦後賠償・謝罪という行動をとっていることからもわかるだろう(戦後賠償・謝罪がいかに不合理かは前述、重要なのはその後の問題を解決したことのアピール。日本は信義ある国という情報戦こそにあるだろう)。*3

 

【領土問題の性質、根本的解決法の欠如】

 この二つのケースにおいては法的正当性を持つ上、相手が不法占領、不当支配をしている以上。こちらに利がある。火事場泥棒と、中立条約無視という負い目がある以上。これは交渉上の大きな材料になりうる。これは間違いない。19世紀の戦争がいかに領土を変化させてきたかは周知のとおりである。領土変更はパワーゲーム、戦争の果てにあり、日常茶飯事の出来事だった。

 現在は戦争による領土変更が認められてない、解決方法が未整備であるゆえにこういうトラブルになりやすい。解決方法が未整備故の過渡期的現象と考えても差し支えない*4。そして19世紀であれば、まさしく次の戦争の要因として、戦争前の大義名分の一つとして考えられるものだ。その次の戦争が60年以上も起こらないサスペンドの状態と理解してもかまわない。いずれにせよ、現在は領土問題が開戦の要因にならない。領土問題単独で戦争が起こることはないと考えてよいだろう。

 領土問題は基本的に二国間関係を停滞させ、それが顕在化した時には二国間の関係断絶にまで引き起こす深刻な問題だ(協力関係の凍結などで国交断絶ではない、勘違いする人がいるかもしれないので、一応追記)。現状においては問題を起こさず、解決すべきときに一気に事態を進展させる。これが欠かせない交渉態度となるだろう。無論、時に戦略的にワザと外交問題にするということは十分に考えられることだが。交渉の結果、領土問題をめぐった解決法は後述にまわして、竹島を巡る当時の状況を振り返ってみたい。

 

【日韓国交回復と竹島

 特に国交回復の事情を見てみると、竹島については当時の密約は当事者同士、定期的に日本が異を唱えて、韓国側が黙殺して終わる―そういう内容で合意した。この問題については、もうミサイル一発で粉々にしてしまおう。その方が早いと諦観を抱く高官さえいたが、それでも決して譲歩することがなかった韓国に対して、日本側は全く覚悟もなにもなかった。むしろ念頭にあったのは漁業権であって、外交は票にならないために、領土を放棄しても何の問題にもならず、国民も領土に対する関心は薄かった。しかし現地の漁業は現実的利益にかかわってくるため、こちらが争点となっていた。当時の国交回復担当に当たった河野一郎がいかに、領土奪還を念頭においていなかったからもわかる。これについては、彼一人を責めようとは到底思わない。むしろそれが当時の日本人の大勢だったのだから。後付の理屈で彼を責めるのは、当時の通念・常識を無視したヤクザの因縁ツケである。

 

【不当占領の理由=韓国のプライド】

 韓国が竹島を不当占領したことは上書からあきらか、GHQもこれは日本領と認めている。1965年という戦後から20年も国交回復を遅らせたこの領土問題の本質は、国が苦しむことになっても、国民が不利益をこうむっても、竹島という領土を決して放棄しない韓国の勝利としか言いようがないだろう。成否がどうであれ、彼らの民族・国家としての歴史の栄光は日本に見事に奪われ、叩きのめされた。その屈辱の歴史をホンのわずかでも覆しうるストーリーになるのが竹島だった。だからこそ現在でも竹島にこだわり、強烈な反応を引き起こすと考えるべきだろう。彼らのナショナルヒストリー、韓国人のアイデンティティのシンボルとして機能しているということに我々は注目すべきだろう。

 日本からの勝利の果実(実際は火事場泥棒に過ぎないのだが)である竹島を決して手放してたまるかという覚悟の結果が20年後の国交回復での棚上げ。事実上の韓国の竹島領有。あの資源も何もない小島に血道を上げることは、朴正煕を見ても明白である。竹島は唯一日本から勝ち取ることが出来た目に見える結果なのである。それが韓国の国威と結びついている以上、彼らがこれを放棄することはいかなる対価があってもありえないだろう。竹島領有がいかに不合理であったか。そして今後も不利益をもたらすにしても、彼らは決して放棄はしないだろう(ナショナリズムの低下・変容がない限り)。*5


【現実主義者朴正煕ですら竹島を放棄することはなかった】

 朴正煕の言動、対日外交を見ると本当に優秀なリーダーだと思わざるをえない。混迷に陥った日韓関係を打破すべく、国家を建て直す上で対日関係改善を図り、流暢な日本語で当時の交渉相手をたらしこむ一言、一挙一動が見事。対して日本の側は朴正煕を弟のようと迂闊な発言をした。日本でならば、単なる親愛の現れであるが、儒教文化を考えれば親子・兄弟の順番は絶対的な身分の違いに等しい。相手を自分より下のものと宣告するに等しい暴言だ。そんなことを平気で言う始末。朴正煕はそのような侮辱発言もサラリと流した。

 

 その朴正煕ですら、経済復興・国力第一・戦争対策に血道をあげた朴正煕ですら、竹島を放棄して早期国交回復に着手しなかったのである。国が崩壊するかしないかの瀬戸際かもしれないのにだ。徹底した軍人・リアリスト朴正煕がかくの如しの振る舞い。いかに竹島領土が韓国にとって、韓国人にとって重い存在であるがこの一件だけでもわかるというものだろう。

 

【対照的な日本戦後外交、主権・領土意識の欠如】

 日本人は敗戦の最中、北方領土どころか、シュムシュ島に至るまで、その後沖縄の基地建設で米軍に蹂躙され、リンチ裁判が開かれ、国家主権が侵害されようとも平気であった。戦前の歴史より、戦後の屈辱の歴史をもっと教育の現場で教えない限り、日本の国家の正中は糺せないであろう。*6

 

 それにしても、『竹島密約』を読んで思うのは、当時の政治がいかに有力者によって動かされているかということだ。その都度その都度、出てくる児玉誉士夫やら、渡辺恒夫やら、コネを持っている人間が重要な人物として出てくることだ。このようなコネ社会がいかに日本の国益を傷付けているのか、政党の大物とか、わけのわからない役職の人物が影の権力者になってはいけない。第三国の交渉の担い手、パイプやルートになってはいけない。そして時に外務省が邪魔者となって彼らに頼らざるを得ない事実を見れば、何をかいわんや。官職・役職にあるものが、それにふさわしい権限を持つべきだ。このようなあいまい性がいかに日本政治を傷付けてきたか。思い半ばに過ぎよう。

 

【領土問題を見る上での補助線―第三国を念頭に外交は進む】

 竹島問題を考える上で北方領土を考えずにはおけないだろう。北方領土問題は竹島問題を理解する上で、有効な補助線となる。戦後の日中・米中関係を見てみると、両国ともいかに中国との関係を改善するか、どの時点で国交を持つのかということが主眼となっていたことがわかる。さてこの当時、何故日米は関係改善を進めたのか、中国は米日にすりよったのか?この関係改善の背後にはソ連という脅威があったからである。ソ連という第三国の要素がなくして、関係改善はありえなかっただろう。特に中国が日中共同声明に反覇権主義を盛り込み、これをソ連が日中同盟に値するものとして、猛烈に抗議してきたのは記憶に新しいところだ。ナニッ!全然知らないだって!愚民教育ですねぇ…これは。((記憶に新しいって書いてますけど、己は生まれてないですけどね(^ ^;)))

 

まだまだ終わる気配がないので、分割。続編で続きを書きます。

*1:考証 日ソ中立条約については読んだのは旧版。リンクは新板

*2:100か0かで考えるのは危険だが、このケースではかなり日本有利と見ていいと思う。日本の正当性は80・90、いや100と言ってもいい!と判断できるほどの知見はないが、日本にかなり理があるとみていいだろう

*3:―と昔書いていますが、賠償も謝罪も戦略をちゃんと立てて実行していれば無意味とはいえませんね。道義や大義という筋を通すことは、それこそソフトパワーになって還ってきますから

*4:解決方法が整備されるようになるとは思えない昨今の国際情勢ですがね。

*5:むしろ、彼らの無知無意味なナショナリズムにつけこんで、竹島の領有権を放棄する代償として、韓国の不当性を訴えつつその賠償として何らかの特権と交換するほうが良い気もする。海外基地とか、海洋ルートの防衛義務とか。日本が簡単に手に入れることができないものを韓国が提供できるという条件がつくけども

*6:現在のネトウヨ事情を見るとそういう変なのが出てくるリスクを考えると…になるのが昨今の事情。どうしてこう右左で変なのが出てきてしまうのか、頭がいたいところである