てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

清水美和著 中国が「反日」を捨てる日

中国が「反日」を捨てる日 (講談社プラスアルファ新書)/講談社

¥920 Amazon.co.jp

 清水美和さんの『中国が「反日」を捨てる日』は良書ですなぁ。新書形式でありながら、日中関係を論じる上で極めて有益。学術書でも?がある中、貴重な書き手。この人も東京新聞系なんだ。東京新聞やるなぁ。コロンビア大の研究員というのが良かったのかねぇ?ジャーナリストでこういうの書ける人ホント少ないからなぁ(´-ω-`)。細々メモってきます。

 p18、中曽根以来首相・官房長官外相以外の閣僚の参拝には文句をつけないという黙契があった。靖国は東アジアのヘゲモニーをめぐる「力比べ」の様相を呈していた。これまで首相が参拝しても問題にならなかったのはソ連という主敵がいたため。准同盟国との摩擦を避けた。日本の対中感情も悪くなかった。

 2003年江沢民胡錦濤という指導者の転換が行われ、胡錦濤日中関係のハードルを下げようとした(これまで江沢民は日本に関して謝罪を前提としていたハードルの高いものだった)。日中関係が好転するチャンスの時期があった。この時期に小泉政権、対中強硬派政権であったことは非常に不運だった。日本側はそれに応えず親日政策が効果を見せなかったため必然江沢民の盛り返しで結局、胡錦濤の対日関係改善政策・外交は挫折した。2005春以降の反日デモでいかなる歴史問題の淡化もタブー視されることになった。

 p20、問題はそれぞれが高度な戦略判断に基づいた結果の外交ではなく、国民感情・強硬論によって動かされていること。ナショナリズムを抑制して、あるべき筋に導くのではなく、それに迎合して安易な支持固めに移っている。歴史問題以上に、急激な社会の変化とそれに伴う指導者内部の矛盾がある。

 歴史問題ですべてを説明できないのは当然。昔っからあるから。問題はパワーシフトや覇権移動。19世紀以来の強くて豊かな日本と弱くて貧しい中国という図式が崩れて日本側が中国に対してえも言われぬ不安を抱いている(=中国はその図式を抜けだせず、「強いand悪い?日本」警戒のママ)。

 リーダーが友好を唱えていれば済んだ時代は終わった(いわば政治・外交が民間レベルにまで波及した負の側面ですね、正の面ばかり強調されますけど)。そういうノスタルジーは捨て、現実を見ること。衝突は新しい東アジア関係の創出に避けられない陣痛のようなもの。これを超えれば東アジアの地域協力や共同体などが見えてくる。小泉時代は中国内部に鈍感で結果的に反日を更に助長してしまった。

 序章終わり。実際何があったか、外交を振り返って分析されている。このところは非常に参考になるので目を通すべきだろう。日中相互の細かいやりとりがしっかり抑えられています。要約すると中国、胡錦濤が日本に対して関係改善を図っていたこと、小泉がそれを袖にしたことになりますけどね。あとは要点だけ。

 p41反日共産党が維持できる時代は終わった。成長のために外資・日本は必須。反日デモは改革開放政策を潰しかねない愚挙=権力闘争。共産党を単純化・一枚岩して考えないこと。今や利害調整機関。過去の視点のママ考えると決定的に見誤る。

 p42常任理事国の割り当てが日本に行くというアナン発言きっかけの反日デモではなく、事態はもっと複雑。要人を集めて決議した方針は強硬にくるなら強硬で、柔軟なら~という玉虫色の決着。もし日本が対中外交で関係改善を図る意志を見せていたら…。反日デモに間違い無く官製の要素はあった。だが早めに取り締まった地域は芽のうちで終わり、そうでなかった地域は拡大した=党で一致した方針がなかったのは確か。上海でデモが大きくなり、権力闘争が疑われたため市は徹底弾圧に切り替えた。

 p61上海の機関紙『解放日報』で黒幕のいる陰謀と糾弾。対外的には愛国・自発行動としたのにも関わらず。内外で説明のスタンスが一貫しなかった、これは前代未聞の出来事。すぐ撤回されデモを愛国的とする論文が発表され、陰謀と糾弾した論文は削除されたが、この新聞は鄧小平の南巡の際保守派を批判した新聞。その意味は大きい。党の不一致は確かにある。

 p64天安門以来、大衆運動に情勢報告会を開く。前例に習えば外相の李ではなく首相が行うべきだった。温が対日批判をその後公式の外交の場で繰り広げたのは党内保身上。p71反日運動の火消し。急速に反日肯定熱が引いていく(大衆抗議が認められる反日には中国民主化運動の性質があるんだよなぁ)。

 p78呉儀の外交キャンセルは共産党内部での反日に火がついた形。胡錦濤直轄の彼女が関係改善みえないままで会談することは非常に危険だった。一枚岩の外交部が靖国のため、緊急公務のためと説明が二転三転したのも一つの声で語ることを強みとする中国外交で異例のこと。

 中国の外交レベルにおいてすら対外的に一致した方針をとれなくなってきたという性質の転換は抑えておくべきポイントでしょうね。内政においても、どうやって次期リーダーを選出するかといった権力闘争の面ではある程度ルール化されていると言えますが、では党内でどの政策を選択すべきかといった政策決定はこのように安定していないと。まあ、胡錦濤だから親日習近平だから反日なんて言った単純選択できるような時代じゃなくなった、政治環境・地域環境、時代が変わってきているということが大きいのですけどね。そういった時代の急激な変化に、旧来の一党独裁体制では追いつけていないというのがありますね、アップアップ感が半端ないですね、今の中国共産党

 p82、江沢民の南京訪問。彼は歴史問題を取り上げれば取り上げるほど中国に有利になるという思考。胡の反日沈静化に対する政治的デモンストレーション。鄧小平の南巡のようにトップの重要な動静が報道されないときは必ず背後に権力闘争がある。対日関係で胡の孤立は深まり、上海派は生き延びた。

 引退・失脚すると見られていた黄菊・曽慶紅が序列5位6位と生き残り、改革派の伸長は妨げられた。但し上海派の仕掛けであるとは一概には言えない。李長春胡錦濤失脚の後を狙っていた権力闘争かも?p89上層部が一致しているときに動揺はないが、対立が激化すると下からの不満が吹き出し動揺する逆も真なりで、上が一致しているときは下もどうすることもできないが、上が揉めている&対立しているとなると、早急&強行な対応・弾圧が取れないから、ここぞとばかりに不満の声を上げるのでしょうね。もう常に不満がパンパンになっている風船みたいなもんですから、勢い良く空気が噴き出るのでしょう

 p101、SARSに対する支援に感謝すると記者の前で明言、ゴルバチョフの前で鄧小平に図ると重要機密を暴露して失脚したことになっている趙紫陽の時代から鬼門の首脳会談の冒頭で思い切った行為。これはSARS収拾で上海派が逃げて、自分達が権威を高めた自信の表れ。知識人の中にはあと半年続けば江沢民派を完全に圧倒できたのにと悔しがるものがいるほど。

 前述の歴史問題はこのような胡錦濤派(国際協調)の躍進&上海派の没落という事態からの焦り、巻き返しという性質があるかもしれない。要するに一発目の「対日新思考」外交のデビュー戦で友好関係を築こうとした胡のサインを見過ごした小泉外交の宿痾が日中関係混乱の始まりというところかな

 p242中国の外交は伝統的に二国間関係を主体とするものだった。それが多国化マルチなものに変化した。それはクリントン政権天安門以来の首脳会談が実現して、米中パートナーシップでやっていけると考えた。が、ベオグラード誤爆で米国圧力の緩和が焦点になった故。そして多角化路線の最大の誤算が対日外交

 本当優れた書き手ですね。日中関係をやる人は必須ですね。こういった分析の基本ができている人は読んでいて、スムーズに進められるのでホッとするわ。何考えてるんだ?という書き手は読んでいてああ、これがわかっていないんだな~、なんでそっちにいっちゃうかなあ?ということが多いんで、見習ってほしいものです。

 ツイッターで教えて頂きましたが、他界されているんですね。なんでこのように優れた人はすぐに無くなってしまうのか (´・ω・`)ショボーン。優れた分析家・学者は国家レベルでプラスをもたらしてくれるのに、こういう人材がいなくなってしまうとほんとうに困りますねぇ…(涙)。