てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

過去の菅談話に見る日韓外交の「お恵み」の構造

公開日時設定をミスって一日前に公開してましたのでずらして再掲。

 菅直人首相の時(2010年)の菅談話についてこんなことを書いてました。外交とは善意の発露ではない。戦争も外交も所詮利益の奪い合い。兵器を使うか言葉を使うか。戦争とは一時期の国家間の抗争・紛争・殺し合いにすぎないが、外交は恒常的なやりとり。戦争と違って表面上争いがなくとも、ずっと絶え間なくその交渉は行なわれ続ける。血生臭いことをいかに上品に取り繕っても結局やってることはケガレ仕事に過ぎない。それが外交の本質。戦争を言葉でやっていることを決して忘れてはならない。
 ※注、ここまでは、リアリズム的なゼロサムゲーム観念の発想で論じていることがわかります。そんな価値観で外交を語って意味あるのと思う方もいるかもしれませんが、あくまで一面の話にすぎないとして、ご愛嬌として下さい。


 外交に善意を持つのは禁物である*1。別にどんな外交をしようが構わないが、仲良し感覚・お友達感覚で決してやってはいけない。反省するだとか、謝罪をするとか、そんなことでいったい何の成果、利益があるのか。外交は国家、国民の利益のためにやることでなくてはならない。謝罪&賠償は対価があって始めて成立する。喧嘩して悪かったから謝るとかそういうレベルではない。そういう感覚でやられると国家戦略はむちゃくちゃになってしまう。何よりも実利の取引が重要。

 半島と一切関係を持たずにいたい。彼らは中立にとどまっていてもらえば良いと考える人もいるかもしれないが、地政学上・外交上からかなり難しい*2。ロシア・中国を見据えて、双方とも利害がかなり一致する。従属であろうがなかろうが、韓日両国とも米の極構造の傘下にある同盟国で、双方が協力して関係を深め、米の様々な不当な要求を跳ね除けることは両国にとって悲願&現実の要求にかなうものである。

 謝罪をして、歴史認識が問題であるとして、靖国を参拝せずに、未来志向と訴えることは言葉的に、いや論理的にものすごい矛盾していると気づかないのだろうか?上三つは全て過去を問題にしている。未来志向といいながらそこに現実・将来を見据えた戦略はない。戦略的同盟関係こそが成熟した関係であって、それが論じられない以上結局毎年恒例の、風物詩になる*3

 そもそも謝罪をする。日韓基本条約で本来解決された請求権問題を持ち出して、特例を積み重ねるということ自体が上下関係を意味する(彼らは勧善懲悪の視点でこの話を捉えているが)。本来優位にあるものが善意を発揮するということは、宗主関係をつなぎとめようとする宗主国=属国関係の延長上でしかない。

 

 善意を発露するのはいつだって、階級上優越した特権階級だけだ。そこに現実の利益が発揮されないのだから、交渉相手は上司・主人になる。善意を施すのは、恩恵・お恵みを与えるのは、特権階級しかいない。脱植民地・属国を意識して対等外交をしているつもりかもしれないが。実際は、お恵みを請願するものでしかない。もしくは企業の弱み・不祥事に漬け込むクレーマー外交とでも言おうか。謝罪&賠償外交(教育or戦略)は結局韓国人、半島人に日本に対するコンプレックスを永久に根付かせることになる。それに気づかないのだろうか、半島の人も、いわゆる進歩的文化人も。*4

 

 この構造に向こうの人がいつ気づくか?集合意識=「韓国人」というアイデンティティが強いから無理だろう。矛盾した言葉だが、韓国の愛国者はまず「韓国人」という集合意識を超えないといけない。いつの世も既成概念を打ち壊してきたのは天才。そのような偉人が出るものだろうか?人の心を根本から変える預言者が出るか出ないかが、韓国の分かれ道になりそうだ。<了>

 

 ―ということを書いていて、確かに謝罪・賠償を要求することは自分たちの無力さを逆説的に意味することだなと思ったので、再掲。そして何より、昔から民主党政権時の菅政権でさえ未来志向という戦略で一貫していたことを強調したかったので。民主党政権に代わって対韓外交に何らかの変化があったのか?細かい点ではあったとしても、大枠では外交の専門家出身の総理でもない限りありえない。金大中なんか外交のパラダイムを変えたことで有名でしたけどね。そういう人でもない限りありえない。

 

 日本サイドからして、対韓路線が変わることはありえない。対沖縄にしてからそうで、鳩山失脚以後もう流れは10年以上変わらないでしょう。政権交代可能な野党が出てきそうもない以上そうなるでしょう。未来志向を訴える・構造を変えようとする日本外交と、過去を引きずる韓国外交という視点がこのころには永遠につづくだろうなと思われていましたが、まあ日韓以外の大枠、世界構造の変化があってようやく進んだということですね。そこに韓日の主体性は殆ど無い。韓国に至ってはほぼゼロですね。日本はまだ未来志向を昔から訴えて、そこに利益がありましたから。

 

 韓国は挺対協のような、国内世論が外交を無意味に制約してしまう構造から脱却を図りたいところですが、果たして出来るのでしょうか?かの団体が存在しなくなるまでひたすら持久戦を挑むということになるのでしょうか…。

 

 また日本外交としては既存の戦略が通ったのでいいと思われますが、やはり韓国に対して「お恵み・お情け」をやったと一定の国内世論は受け取りますから、対韓感情は悪化するでしょう。これについてどうするのかという点も問われることになるでしょうね。それこそ「9条護れ!&戦争反対」と連呼する勢力と同じように「韓国人利権をなぜ守るのか!」と連呼する勢力が育ってしまうのは必然でしょうね…。

*1:戦略性のある「善意」、価値観外交としての理念があるのなら、また話は別

*2:昔は地政学と書いているが、軍事戦略上・地形上と今なら書くところ

*3:ああ、またなんかやってんな。成長なき日本経済どころか、成長なき日韓関係。外交こそが失われた~年という表現がふさわしい。長い時間をかけながら、戦略的な利害を共有しながら一向に関係が進化していないのだから。ここでこそ馬鹿の一つおぼえみたいに、オーボエクラリネットカスタネットみたいに失われた~年と連呼するところ。

*4:謝罪・賠償・反省を要求すればするほど、旧欧州列強の帝国主義の略奪型植民地の構造になる。つまり「優秀な人種が未開人に文明の恩恵を与える」というものになってしまう。