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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

小室直樹著 『これでも国家と呼べるのか : 万死に値する大蔵・外務官僚の罪』

ブログ引越し&見直しの再掲です。元は10/09に書いたものです

検索ワードが天才  小室直樹 死去、逝去で来る人も結構いるので、追悼企画で要約を載せることにしました(全然要約にならんかった…む、難しい…)。(天才社会学者―小室直樹 死去 の続きで書いたものですね。これを書いとかないとつながりが理解できないですね、失礼) 

これでも国家と呼べるのか―万死に値する大蔵・外務官僚の罪

これでも国家と呼べるのか―万死に値する大蔵・外務官僚の罪

 

 これでも国家と呼べるのか : 万死に値する大蔵・外務官僚の罪を取り扱います。読んだのは、クレスト社(1996.2)なのですが、どうもすぐに再販されたようですね。4年位で新版ってどういうことなんですかね?なんか追記、修正があったのでしょうか?全く同じ…?

 一応要約形式です。本文メモが六万字いってたので、全文掲載は無意味なのでやめることにしました。メモは自分用なので、他人が見たらかえって分かりづらいですしね*1

第1章 謝罪外交は国際法違反―無知・無学の日本の政治家・マスコミ人を告発する

第2章 誰がデモクラシーの敵か―中国・韓国の内政干渉を看過する“この国”の異常性

第3章 日本官僚制 腐蝕の構造―大失敗の責任を取らない集団を許しては、国が滅ぶ

第4章 大蔵省・外務省が日本を破滅に導く―財政危機下に海外援助を増やす国賊的行為

第5章 日本経済、再浮上の原理―根本を見忘れた対応策では、もはや救われない

第6章 ただちに、大蔵省を解体せよ―金融業界を自由市場にすることこそ焦眉の急

 ―という章立てですね。

【一章】

 第一章ではいかに謝罪外交というものがおかしいか、虚妄であるのかを述べてます。まぁ、簡単に言うと戦後民主主義教育の史観自虐史観は誤りであるという話。国際法・当時の常識からそれがいかにおかしい史観であるかを指摘するものです。下の文は、まぁ、次の感想を書くのに必要なので、書きました。特に読まないで飛ばしても結構。

 何故謝罪をするのか?根本的に誤りである。当時の国際常識を考えれば、国際法国債倫理は侵略・植民地を是としていた。戦争すら国際紛争処理解決の一手段として是認されていた。その当時どこからどう見てもおかしくない普通の行動をした日本が何故謝る必要があるのか?国際常識、国際政治のセンスのかけらもない村山外交を指弾する。
 韓国併合について―この併合は有効である。当事の講和条約は力で結ばれ、不平等なものが当たり前。望まないとか意に反したとか、不平等であるとか、そんなことは条約無効の理由にならない。戦間期国際法の変化において無効になった。もしくは亡命政権によって正当性が引き継がれ、その時をもって併合条約は無効となった―という論旨ならまだしも、初めから無効であるという主張は意味がない。当時併合条約が無効であるとするならば、大韓帝国以外の主権者が必要となる。それならば人民主体の革命政府。つまり李王朝の正当性を否定する革命政府である。もちろんそれもないからこの論理も成り立つことはない(p24~)。

 植民地を持ったことを非難しようとも、当時は世界中侵略国家・植民地保持国家だらけだった。現に中国は今でも侵略国家。白人の植民地主義国はジェノサイドだろうが、植民地だろうが、謝罪も賠償もしていない。それが国際法であり、慣行である。
 土下座外交は何より恐ろしい。それは挙証責任を認めることであるからだ。国際法上、国際条約もしくはそれに該当する条約が締結された場合、それ以前のことは一切なかったことになる(日中共同声明日韓基本条約など)。それが土下座外交により、挙証責任が降りかかって、あることないこと賠償を要求されることになる(挙証責任については違う本で詳しくやるのでカット)。*2

【二章】
 第二章でリベラルデモクラシーの解説をする。そもそも民主主義とは何か?近代民主主義とはリベラルデモクラシーであること。リベラリズムが確保され、その上にデモクラシーが成立する。近代民主主義の解説と、その原則から言って歴史認識という問題を外交ルートにのせることは、内政干渉になる。そのような内政干渉をすることは、本来民主主義ではありえないことの説明。

 下はまた、適当要約。イチイチ読んでられないよ、って人はこの、章立てで流れを抑えるだけでも。次の感想のためにね。

 

 宗教戦争によって、信仰の違いで人々は殺し合いをしまくった。これはいけない。もうやめようと、そこにおいて信仰の自由が成立した。自由主義の最初の要求は信仰の自由。パウロがキリスト教を外面規範から内面規範に変えたように(外部上の行動はどうでもよく、内面・心を重視する)、内面は絶対に干渉しない。これが重視されるようになった。
 さらに主権の観念が発達する。主権の観念を持つ国家は何でもできてしまう。だからこそ個人の内面だけは絶対に干渉してはいけないという観念が発達したのだった。
 内面の自由を「良心の自由」(freedom of conscience)という。「良心の自由」は、初め宗教の自由(どの宗派を信じてもよい)という意味であった。が、しだいにその意味が拡大されて、意識の自由(freedom of consciousness)という意味になった。すなわち、何を考え、何を感じても、まったく自由であり、そのことについて権力から責任を問われることは、まったくない。そういうことになった。
 この大原則が確立された結果、人間が責任を問われるのは外(外部的行動。行為など)だけになった。内(内面における意識、無意識など)については、いっさい、責任を問われることはないのである。たとえば戦国時代には(あるいは幕藩体制下にも)家来が主君に「異心を抱く」ことが、処刑の理由とされた。物的証拠が皆無でも、謀反の計画が少しもなくても、「異心を抱いた」こと、あるいは「異心なき」ことが証明されないことは、死刑のための充分な理由とされたのであった。こういうのはリベラルデモクラシーではありえないのである。
 「良心の自由」なきところにリベラリズムはなく、デモクラシーもありえない。良心の自由こそ、近代デモクラシーの最終的判定条件である。
 どんな自由でも何らかの制限がかかることが多い。言論の自由だって何やかんや制限がかかる。しかし、「良心の自由」だけは絶対に制約されてはならない。いわんや侵害などもってのほか。
 良心の自由の反対は洗脳文化大革命時、反対派を攻撃しただけではなく、反毛沢東思想を内面に抱いているということさえ許せないと攻撃をした。洗脳は文字通り、脳を洗うと書いても、実際に物理的に肉体に干渉するわけではない。まさに相手の脳、心の中に介入するのである。人間の内面、良心(conscience)の責任を問うのである。良心を平気で蹂躙する中国が、デモクラシー足りえるわけがない。このことに中国どころか日本も気づいていない(p53)。
 すなわち日本の歴史観を改めさせるといった金泳三と江沢民はリベラルデモクラシー、近代民主主義の敵なのである。ちなみにこのリベラルデモクラシーの対偶が、前近代国家・全体主義国家。法に関係なく事後法で、権力者が都合の良いように判断する。事後法で裁こうとする韓国は民主主義国家とはいえないのである。

【三章】
 第三章で構造的腐蝕という観念を説明する(腐敗や汚職と異なる点に注意)。現代日本の問題はこの構造的腐蝕であり、大東亜戦争時の軍隊の構造的腐蝕が今また官僚制において、特に大蔵省に起こっている。この点まったく同型(isomorphic)。だからこそ経済危機が起こるし、問題が一向に解決しないのである。
 構造的腐蝕に陥ると問題を把握する能力、解決する能力がなくなる。軍人は戦争が分からないし、大蔵官僚には経済・財政が分からなくなる。大東亜戦争はやり方次第では勝てた*3。勝てなかったのは、この構造的腐蝕、腐朽官僚制にこそある(ここら辺は別書参照。)下はまた、こっから適当要約、抜き出しね。次の感想用

 問題はエリートで主流に立つ人・「実質上、戦争指導をする数人のグループ」には、他の人びととは違った特別な規範が適用されたこと。「急性アノミー」=冷静な判断、合理的決定ができなくなる―が発生してしまった。生活環境の変化によって、連帯が失われることをアノミーという。アノミー状態になると、全く普通の人間が異常で凶暴な行動をすることになる。信じていた人に裏切られたときや、教義を否定されたときのことを、特に急性アノミーという。
 ○寺内寿一元帥は現場で指揮を取らず、豪遊暮らし。しかも山下大将の適切な判断を捻じ曲げて、三十七万人の兵士の内87%を餓死させた。戦史を読んで、この件に至るたびに書をなげうって悲慣発狂せざるをえない。まさにそのとおり。それだけではない、日本本土から、愛人の赤坂の芸妓を陸軍軍属として、あろうことか軍用機に乗せてサイゴンに呼び寄せたのであった。
 ○第四航空軍司令官富永恭次中将は特攻隊を送り出すときに、いよいよ最後には自分も行くといっておきながら、敵前逃亡をした。これに対して、陸軍当局は軍法会議すら開かなかった。それどころか、当時、安全とされていた満州(東北)の軍司令官として復活させた。
 ○連合艦隊参謀長・福留繁中将は米比軍ゲリラの捕虜となってしまった。このとき常識中の常識、機密書類の破棄をしなかった。もっと驚くべきことはこれによって、作戦を根本から変更しなかったことである。既存のまま作戦を遂行した。捕虜になっても死刑であったはずなのに、最高機密を喪失したのにもかかわらず、無罪放免。そしてまたそれどころか福留中将は、第二航空隊司令長官に栄転した。同じく山本中佐は、進級して大佐になったうえ、これまた栄転して、第二艦隊先任参謀(ヒラ参謀のトップ)に任ぜられた。福留は連合艦隊参謀長で戦争の中心、主導人物であった…。

 捕虜について、戦うことに意味がある場合とない場合の比較考察があり、面白いが省略する。氏の著作はまさに宝庫なので、イチイチ書いていたら本当に終わらないから。というかよめ!

 「最後の一兵まで戦う」ことは兵士にとって、たいへんな名誉である。例外的状況においては、それが要求されることはたしかにある。しかし全く無意味な場合においてまで捕虜になることを許さないという目的合理性を失ったルールを適用する。そこまで規律を高めたのにもかかわらず、エリート集団に対しては一切の責任が問われないのである。捕虜になった兵に死刑同然の命令を下したのにもかかわらず、自分たちは決して責任を取ることがないのである。
 以下の文は至言である。肝に銘じておきたい。
 当時も今も日本は、伝統主義社会である。目的合理性は、まだ一般的エトス(行動様式)として確立されていない。伝統主義社会における教義は、トーテム・ポールのごとく、物化=エア・ザッハ・ルンクされる。客観的なモノとして作動するようになってしまうのである。そして、その結果、人間疎外が産み出される

 危機において必ず現地にいない日本の大使。湾岸危機時、駐イラク大使片倉邦雄、駐クウェート大使・黒川剛二名ともに任地にいなかった。任地にいなかった理由は、休暇で休んでいたから。大使とは特命全権(extraordinary plenipotentiary)大使である。つまり大使一人が交戦権を持つ。日清戦争小村寿太郎の独断による宣戦布告で始まっている。すぐ戦争になったからよかった。いつまでも日本政府が腰を上げなかったら、小村公使戦争犯罪人切腹しないわけにはゆかなかった。もちろん小村はその覚悟で決断したのである。
 ↓本来削る、まとめるべきだが至言過ぎて削れないΣ(゚∀゚;)
 大使とは、本来、こういうもの。「四方に使いして、君命を辱めざる」*4者でなければならない。危機に際して、国を代行して適切な措置が取れる者でなければならない。危機こそ大使の正念場である。不確実なときに有効に機能するところに、大使の存在価値がある。そうでないのならば大使の必要はない。領事(領事は大使と違って、通常の外交ルートとなるものでない)さえいれば足りるではないか。危機に正念場があることにおいて、大使は軍人と同様なのである。

 だから、有事に際して任地にいない大使は、敵前逃亡の軍人と同断である。必ず、銃殺されるべきである。つねに、任務中on dutyである。休暇をとるかとらぬかの決定自体、任務の中に含まれる。が、片倉駐イラク大使も、黒川駐クウェート大使も処罰されなかった

 日本は罪刑法定主義の国である。刑法にも関連法令のどこにも「任地を離れたる大使は銃殺に処す」という規定はない。だから、銃殺はできない。いったいどうすればいいのか。 当然になされるべきことが、法令の不備によってなされないとき、民衆は、「天へ訴える」appeal to heavenと称して実力行使に出る。この実力行使は、形式上は非合法でも、やはり本質的には合法であるとされることになる。英国もフランスも、この論理で多くの革命を乗り切ってきた。

 でも、天へ訴える前になされるべきことがある。 日本政府による二大使の処分。これである。日本は、二大使をいかに処分したか。クビに(本来、絞首刑だが、せめて罷免)したか。いや、何にも。日本政府は二大使を処分しなかったのであった。それどころか黒川は後に駐オーストリア大使に栄転した
 その一年後のソ連のクーデター(一九九一年八月十九日)に際して、日本の枝村純郎駐ソ大使はモスクワにいなかった。理由はやはり、休暇。そして何の処罰もされることはなかった。

 ※注、感想)みよ!このすばらしき腐れきった官僚を!まさに腐れ官僚のIT革命、腐れ官僚の宝石箱。ウェブスター大辞典!己は歴史を語るときに、無能がいる、汚職政治家、悪者がいる、こんなやつがトップにいたからダメだったんだ!ΩΩΩ<(ryという歴史観を強く否定します。それでは何の考察にもならないし、そこで思考停止してしまい、歴史学の探求にならないから。ところが何この海皇記でみたことあるような話は…。これこそが腐朽官僚制、腐蝕というものなんですね。組織を根底から腐らしてしまう。肝に銘じておきましょう。

 パールハーバー、アメリカ人が日本人を語るときに卑怯の代名詞として語るこの事件。これも外務省の怠慢。宴会で酔いつぶれていたから、通告が遅れた。そうならないように、一時に野村大使とハル国務長官の会見予約が入っていた。実は、もうこの時点で宣戦布告以外ない。航空艦隊が40日の航海を果たした後、正確な時間を守ったというのに、駐米大使は遅れた(゚Д゚ )。既に文章は送られている。ちょっと見ただけで、いつもと違う重要文章だと気づくはず。それに気づかないのか!致命的失策の責任者たる井口貞夫参事官と奥村勝蔵書記官は・・・もういうまでもない。二人とも事務次官になり、勲一等を得た。
 野村駐米大使、来栖特命全権大使もまた、何故文章解読に手間取るなら、開戦通告以外仔細はどうでもいいではないか。目的は開戦通告なのだから、そこだけ文章を作ればいい。またそうでなければ、会談予約は取ってあるのだから、その場で戦争宣言をすればいい、かの小村のように。こんなことなら大使は要らない。少使でいい
 
 これと対照的に杉原千畝のケースを見てみよう。訓令に違反してユダヤ人を救った。たしかに命令違反である。しかし人道に基づく行為であり、世界中から賞賛されたことである。そして伊東祐亨長官のように、たとえ訓令違反であれども、立派な行為だと賞賛されることはあった。相手のナチスももういない。つまり処分する意味はない。それどころか人材抜擢、大昇格の本命中の本命の人物だろう。ときまさにイスラエル外交が問題となる石油ファクターが重大なとき。対米関係でもユダヤ人脈が非常に重大なとき。彼を抜擢する以外ありえないではないか。さてどうなった?クビである!結果を出した歴史に名を残す偉大な外交官はエリートでない。ただその理由一つを持ってクビにされた…。
 ちなみに杉原氏の名誉が回復されたのは海外で騒ぎ出したから…(゚Д゚ )。この顔を何回使えばいいのか…。死後五年経った1991年初めて名誉回復された。ちなみにその名誉回復の主導人物はいわずと知れた鈴木宗男である。

 アメリカにだって年功序列はある。それが機能集団である会社で働かないだけなのである。日本は機能集団、職場が共同体化する。そしてその共同体化した集団で二重規範を作る。内と外で異なるルールが適用されるのである。上記の問題は機能集団が共同体化したことにあるのだ!共同体化することで、組織にあるべきルールが作動しなくなるのであった。

 第四章ココからの経済の話は昔の話なので、あまり参考にならない話もあります。ただエッセンス、その重要性は全く変わりません。

ちょっと長いな・・・いったんココで中断。分割します。あんまり分割したくないんだけどな~。

*1:見やすい要約が出来るとは言ってない

*2:無論、これは、―であるから戦前の日本の行為が正しいものであり、正義であるから、道義的責任なんかな~んにもない。謝罪する必要なんてどこにもないという話ではない

*3:博士がいう説に当時は納得しましたが、今ではまあ無理だろうなという感じですね。理論上可能であるとしても、当時の社会事情などを考えて全戦力を最初の作戦に投入するのは無理でしょうからね。したとしても米は必ず日本に復讐したでしょうし。さらなる危機が来て同じ悲劇を招くだけという気がしますね

*4:論語』子路第十三