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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

ロシア・ソ連分析③ 大韓航空機事件 露の欧・日への劣等感 ソ連≠共産主義モデル…

まともな分析 哀悼・追悼 小室直樹

過去記事の再掲、元は10/11に書いたものです。

 

―の続きです。

 

大韓航空機事件は組織の機能不全】
 中曽根首相の一朝有事の際は、三海峡を封鎖する、日本を不沈空母にする発言。こうなるとソ連の世界戦略は根本的に狂ってくる。ソ連太平洋艦隊は太平洋に出られなくなってウラジオ艦隊になってしまう。すわ一大事とばかり樺太(サハリン)とカムチャッカに一大原潜基地を建設中のところへ飛び込んできたのが大韓航空機事件。
 つまり世界戦略を根底から覆される日米中同盟(日中友好条約締結のこと)に、対日米決戦間近!という緊張感から引き起こされた事件であろう。当時の日本からすると、ソ連が何であんなバカなことを?という感じだったが、彼らの中では決戦間近の緊張状態であったのだろう。だからこそ、その後の対応も異常にもたもたした。あるいは欧戦線をにらんで融和派と強硬派で綱引きがあってにっちもさっちもいかなくなったというところか。博士は指導者層の老人化で喫緊の判断が出来なかったことを付け加えている。つまり上が決断を下せないから、勝手に判断した。この点、前回指摘した制度硬直の危険性が当てはまったともいえる。

【ロシアの西欧・日本コンプレックス】
 ロシア人は西欧的なものとアジア的なものを併せ持つ。どちらでもないというコンプレックスがある。この思想基盤を認識することが重要。そして骨がらみの西欧コンプレックス、羨望がある。ロシア最後の皇帝ニコラスニ世からして、半分以上ドイツ人の血がまじっている。十九世紀の中ごろ、ロシアにおける薬剤師と家庭教師はほとんどドイツ人だといわれた。また、ロシアじゅうどこへ行っても、ドイツ人のコロニーが見られた。こんなわけだから、ロシアにおいては、ドイツ人はたいへんに尊敬され、ロシアのインテリはドイツ語を重んじた。その証拠に、レーニンの主要著述はドイツ語によって書かれ、ロシアの首府は、大戦勃発まで、ベテルスブルグとドイツ名で呼ばれていた。*1
 さらにロシアから日本は怪僧ラスプーチンに見える。青酸カリをのんでも死なない。日露戦争であれほどの戦力差があって敗れた。つまり日本コンプレックスがある。西欧・アジアどちらでもないというコンプレックスはロシアを独特なものに決定付ける。欧圏にも中国・朝鮮・日本のアジア圏にも入れてもらえない。

ソ連のゲリラ戦と日本のゲリラ戦】
 ナポレオンにもヒトラーにも西欧的な戦いだけなら、負けていた。補給を断たれても戦えたことにロシアの強みがあった。これは日本も同じで日本軍は補給抜きで戦った。本来より近代的な軍を持ち、西欧的軍事常識で戦っていたソ連が補給を断たれて、ゲリラ戦に転じてその国際的地位を保ったのに対し、日本は補給観念なく戦いながら、本土ゲリラをせずに戦争を終えた。*2

共産主義社会主義ソ連モデルではない】
 当時の有名なテーゼ、重大な問題は貧困の中の自由か、自由なき豊かさか。ローザ・ルクセンブルクソ連憲法を見て、自由な秘密投票の権利が否定されているのを見て卒倒せんばかりだった。共産主義か自由かは非常に重要なテーマだった。自由が否定される代償に、豊かな暮らしが遅れるというのがソ連オリジナルの共産主義。レーニン、スターリンソ連式が本来、純粋の共産主義という誤解が日本にはある。本来の共産主義社会主義はデモクラシーの延長上にある。であるならば共産主義の思想は再び力を持つかもしれない。というかある種社会保障を手厚くしている国は共産主義国家といえるだろう。民主共産主義か、独裁共産主義(権威主義的体制)かその違いしかないのかもしれない。さしづめわが国は官僚支配共産主義か。一応市場の有無ということの違いを強調する上で、社会主義にしてもいいかもしれない。近代資本主義の延長上なら社会主義、市場なければ共産主義という風に。わが国はその理念型の中間に位置することになるのだろう。官僚支配的不完全型社会主義か。まぁ、こんな用語はどうでも良いや。

【戦前の日本が貧しかった例】
 金美齢さんの著作で当時の中国人がいかにモノを知らないかという例としてあった話。金鎚だから、金で出来ていると思って、金鎚を徴収しようとした話や、水道の存在を知らなくて、蛇口を買ってきて、そこら辺にさして水が出ないと怒ったという話がある。それに通じるものがあるので。↓
 アジア諸国のトップレベル、植民地満州と比べても日本のエリートのほうが貧しかった。上海といえば、上流文化のシンボルだった。上海帰りの船乗りはえらく格好がよく、洋服も上海仕立てというとダンディ・ボーイの自慢の種。上海事変のとき漢口を占領した日本兵はクーラーを知らずにビックリした。第二次大戦中、シンガポールを占領した日本軍の兵士は、チーズを知らずに、石鹸と間違えてイギリスの石鹸はちっとも泡が出ないといって怒った。フィリピン上流の人士はスペイン系でヨーロッパ風に暮らしており、彼らのほうがよっぽどものを知っていた。日本軍がホテルを分捕ると使い方がまるでわかっていないから大変。水洗便器の中で洗燿するかとおもうと、ビデに大便をしたりする。風呂も日本式に二、三人がいっしょに入る。オートマティック・ロックがひとりでにかかってしまって廊下に閉め出されてウロチョロ。「毛唐の名酒」ウィスキーの味をしめると、香水を飲んで腹をこわす有様だった。

 ―という時代があったと。まあ田舎農民ならともかく、上の方までも似たようなものだったんでしょうね、当時は。ラジオくらいしかなかった時代でしたしね。

【力の信奉者ロシアは国際法を意識しながら無法行為をする】
 これは非常に重要な概念です。言葉的にも非常に面白い。国際法にのっとって、無法行為をするという矛盾がロシアの特徴。アフガン時も国際法にのっとって善隣友好条約の規定を結んで侵略しましたからね。アフガンは三次に及ぶ戦争を経て独立。国家成立からの歴史が意外と長いんですね。非常に興味深い。アフガン調べようかな~。


 ちょっと強い国に攻め込むと連戦連敗している過去があるので、強いものには手を出さない。外に攻める際には臆病である。ここからその演繹として、ソ連(ロシア)は「力の信奉者」であるということが言える。法学者ホセ・マリア・アラネギ氏はソ連国際法の乱用者であるが、決して無法者ではないと言っているのが、そのことをまこと的確にあらわしている。日ソ中立条約違反ではないと言うのは、国際法を意識しているからに他ならない。日本の学者で九カ国条約の領土保全違反ではないと主張した学者がいないのと対照的である。
 どうして日本の学者で九カ国条約違反ではないと主張する人がいないのでしょうかね…。九カ国条約と当時のシナ事変は別に矛盾しないと思いますけどね。国家が学術としっかり結ばれていないからこういうことになるのか。政治家の外交無能という現象は、やはり官学がまともに機能していないことが大きいのか…。アメリカみたいに、学者が内閣に参与する、高官となる。また高官が学術に行くといったルートが全然確立されていないし…。現実に貢献しないのであれば、一体何のための学問なんでしょうね?*3

*1:ドイツ派という流れが存在したのなら、現在でも欧州派というような、アジア的なものとヨーロッパ的なものの中の、欧を取り入れよう、欧から学ぼうという勢力・因子は働き続けているのだろうか。今のプーチン・メドヴェージェフは何を取り入れているのだろうか?

*2:この逆転現象は一体どういう意味をもつのだろうか?原爆の登場さえなければ、おそらく日本も本土ゲリラで闘いぬいたのだろうが

*3:アイキャッチ用。今回は『最期』の方からの抜粋ですが、最期の「力の信奉者」の件がどこからとったものかわからないな…『新戦争論』からかな?―とこからとったかわからないと書きましたが、さっき見なおしたらやっぱり最期↓の方であってました。

ソビエト帝国の最期―

ソビエト帝国の最期―"予定調和説"の恐るべき真実 (カッパ・ビジネス)