てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

相模原障害者施設殺傷事件の話

●必要なのはセキュリティ強化ではなく、待遇の改善
相模原市 障害者施設殺傷事件|特集まとめ|日テレNEWS24
 このリンクを見ると、施設職員らが防犯訓練をするとか、施設を新しい場所に作るとか、他の福祉施設に注意喚起とか、うーんって感じですね。また、精神障害者の監視が人権侵害にあたると障害者団体が反対しているというのも、色んな示唆するものがあると思います。

 職員の待遇改善、労働環境なり賃金なり、そういうところを見直さないとダメですよね。セキュリティ強化って、①内部関係者の犯行であること。②金銭・物品目的でなく、弱者に対する暴力・犯罪であること。こういうことを考えたら、抜本的な解決になるわけないじゃないですか…。むしろ更に職員の負担が増すことになって待遇悪化になるでしょうに…。

 ああいう凄惨な事件が起こったあとでも、悲惨な労働・雇用環境が危険な犯罪を誘発しやすい要因になっているのだから、それをなんとかしなくちゃいけないという方向にならないのがなんとも…。あんまりこういう事件を政治スローガンに利用するのは好きじゃないけど、「自民の今の政治が間違っているからだ!」として、与党を叩く格好の材料のはずなのだが、どうしてこういうことで追求できないのだろう…。不満をいだいている人を束ねて政治の力に出来ないのだろうか…。

 ―と、つぶやいた当時は思っていましたが、相模原障害者施設19人殺害事件 この狂気を生んだものは何だったのか
を読んで、ああやっぱりそうだったのかという感じになりましたね。

●背景に規制緩和の影響による劣悪な労働環境
 文中の4ページにあるように、
「過酷な労働とバランスを欠く低賃金」が背景にあったのは言うまでもないですよね。そしてその要因は記事中にあるように小泉純一郎政権下で進んだ規制緩和によって 「指定管理者」、つまり民間が代行するようになったこと。かつての職員は県職員に準ずる厚遇だったのが、指定管理者制度になって、労働条件が低く抑えられるようになったと。これが間違いなく背景にあるでしょうね…。

 時給は県の最低賃金レベルで、容疑者の月給も約19万円。「福祉を学んだ経験のない植松容疑者が、介護の延長程度の認識で、強度行動障害など重度の知的障害者の生活と24時間向き合う施設で働くとどういう現実に直面するのか。」と書いてありますが、やはり介護でも大変な事例があるくらいですから、障害者に至っては尚更特殊な対応が必要とされるケースがあるかと思います。それにきっちり対応できたか?上司・同僚のフォローで到底なんとか出来る範囲だったとは思えません…。

●報われないと感じる賞賛なき労働環境
 そして文中であるとおり、東日本大震災で避難していた入所者たちが、5年ぶりに福島に戻ったとき、
高齢者が多いという事情もさることながら、迎えに来た保護者が一人もいなかったこと。避難している間に訪ねてきた保護者も3分の1だけ。

 誰からも褒められないし、利用者の成長も感じられないまま現状維持をずっと続けていく

 これは辛いでしょうね。見返りとして何らかの達成感だったり、周囲からの尊敬だったり、地域や仲間・先輩との絆などがあれば別だったのでしょうけど、彼にそれはなかった、自分が思うような見返り・対価が得られなかったんでしょうね。それこそ、毎日つらいけど、「ああ自分の仕事は大事なことなんだなぁ、こんなに毎日多くの人が見に来てくれる、いつもありがとうございますと声をかけられて感謝される。手取りは少ないけど、こういう苦しんでいる人たちの役に立てているんだな」
 ―というふうに仕事に誇りを持てて、自分は社会から必要とされる人間(職業)なんだと彼が実感出来たのであれば、こういうことにはならなかったでしょうね。

 (※誤解する人はいないと思いますけど、テーマ的に重いので一応補足しますと、国・社会が障害者の人の待遇を悪くしたのはともかく、だったら家族が支えろよ!家族のくせに何やってんだ!見舞いもろくにいかないのか!ということではありませんよ。というかむしろ、そういう人達はそういう環境にないからこそ施設に頼らざるをえないわけですからね。出来たらとっくにやってるでしょうからね。)

●大事なのはやりがい、時に人はやりがいを選ぶ

 やりがいというのは非常に大事で、カルト宗教なんかでよく問題になりますが、自分がこの人の支えになっているというやりがいがあれば辛い労働でも人は辞めないと言われます。明らかに低賃金・劣悪な環境なのに辞めないバイトなどがいるという話がありますが、「君がいないとダメなんだ。店が回らなくなってしまう。頼むよ!」と店長に言われると、断れない人がいるのは、信頼や頼りにされているという現実を見捨てられないからですね。

 店長がバイトを脅迫して「辞めたらどうなるかわかってるだろうな?」と事件化した話がありましたが、ああいうのはおそらくかなり特殊で、多少なりともそこで築いた人間関係上、そこにいる人達を見捨てられない、「弱い人」を見捨てられないから&情にほだされてというケースのほうが多いでしょう。脅迫するようなクソ野郎だったら、やってられるか!とさっさと見切れますが、良い人達が苦しんでいるという状況ほど、義憤にかられて自分が多少損してでもとなると思います。

 彼もそうだったら良かったというわけではありません。これはこれでまた違った労働問題ですし、この情だよりで成り立つ社会システムもいつ限界が来るかわかりませんからね。警備など本質から目をそらした対策でお茶を濁そうというのであれば、次はこの情・義憤を利用しようとする気がしますが、国でさえ手の込んだブラック企業になるかもしれませんね。

●介護など福祉・医療施設問題は今後も起こる可能性が大
 そもそもこういった特殊な仕事で、情を頼りにする=金八先生のように尊敬できる人物を上司として、その人の求心力でブラック環境に耐えてもらうというやり方を導入しようとするとすれば、その中心となるトップ一人がいなくなればあっという間にいなくなりますので土台無理な話ですが。

 辛い労働環境で、教育のように子供の成長も感じられない。彼が子供が好きで教師になりたいという人間だったことを考えれば、「出来の悪い生徒」のように見えていたのではないでしょうか?それでもその「出来の悪い不良」と付き合うことは世に教師モノドラマがあるように、一定の社会的評価・尊厳が与えられるわけですね。彼にはそれがない。むしろ、彼がこのような凶行に及ばない限り、この分野の闇は取り上げられなかったのではないでしょうか…?

 介護・医療、こういう場で弱者をターゲットにした復讐というものは今の低待遇が当たり前の流れではまた起こるでしょうね。バス事故が規制緩和のために生まれた結果と昔書きましたが、まだまだ規制緩和・低待遇労働者の問題は色んな所で出てくると思います。

●弱者=愚者を切り捨てよ!という潮流
 長谷川なんちゃらさんの透析は自業自得!自己負担しろ!とかもこういう弱肉強食の論理を振りかざすものですからね。弱いやつは愚かなやつとイコールにするのはまだしも、その弱者・愚者を救済することを放棄したら社会がどうなるか?言うまでもないですね。

 皮肉なことに容疑者はこの自己責任の弱肉強食の論理をかざして、障害者は社会の癌という理由で凶行に走ったのですが。障害者がいる=社会の負担。じゃあいなくなったら良いじゃない!という論理は、この障害者に当てられている税金を他の弱者に回すべきだ!という論理ですからね。自分こそ弱者なのに、違った弱者を叩くという歪な思考。これは悪者がいるから弱いものが救われないというヒーロー論理なんでしょうね。

 彼の中では「ヒーローの自分が悪者・醜い生き物を倒す」という思考なんでしょうね。それで救われる多くの人がいるなら自分は犠牲になってもいいという、かなり危険な行動ですね。クーデターの青年将校の論理に似ている気がします。あるいはいつもの、病原菌の思想。汚らわしきものが聖なるものを汚していくため、その排除が必要であるという例の反応なのでしょう。

●容疑者は陰謀論を好んでいた
 なんかで読んだ気がしますが、彼は陰謀論にかぶれていてイルミナティがどうしたこうしたとか、そういうものにかぶれていたとか。単純に悪いやつが世界のどこかにいて、そいつが世界を操っている。皆を苦しめている。そんなおめでたい思考をしている人は今でも本当に多い。陰謀論を好んで説く人は彼を見てどう思うのでしょうかね…?(まあ、彼は初等的な誤りを犯したのだ!本当の世界の操る組織と首謀者と犯人とは…!なんてやっていくんでしょうけど…)

 彼は近所の評判もいい好青年。子供の頃から人気者だったとか、幼少期の体験で場の中心にいた人気者の自分という自己像から逃れられなかったのではないでしょうか?正義があって、それを実行するという単純な思考だけでなく、人気者=ヒーローでないと自分を保てなかった。なりたいものになれず、あるべき自分像が崩れて自我を保つためにはそうならざるを得なくなったのではないでしょうか?

 容疑者の写真を見た時、ああやっぱりなぁという顔立ちしていましたね。典型的な犯罪者タイプの日陰者的なタイプではなく、好青年タイプの顔立ちでしたからね。なんというか昔タイプの面倒見の良い義侠の人といいますか…。思慮が足りず行動する、情愛がある分却って質が悪い。清原もまあそうでしたよね。

●障害者が絡んだ事件に対する報道への疑問
 そしてまた先程のリンクの文(
相模原障害者施設19人殺害事件 この狂気を生んだものは何だったのか )から引用で、今回の事件で、犠牲者は41~67歳の男性9人、19~70歳の女性10人と公表されているだけで、県警いわく遺族全員が公表を強く拒んでいるとして非公開。このことについて福岡県の施設長が次のように言っていました。
 「名前を出さないのは障害者への配慮じゃなくて、周囲の都合ではないでしょうか。本来は、障害者が堂々と名前を出せる社会にならないと。今回の事件の背景には、そういう社会全体の風潮もあると思います」

 いつもは、遺族感情など関係なく被害者についてのプライベートな情報を「こんないい人が殺されたんですよ!」or「こんなやつは殺されては当然だ」と何でもかんでも報道しているのに、障害者となると一気に黙るというのはどういうことなのでしょうか?

 社会と言うか世界全体で、障害を持つ人でも通常と変わらないように当たり前に生きられるようにするという方向に向かっているのは確かですが、確実に失敗しているのでは?そういうバリアフリーな社会=弱者に優しい社会が良い社会であるのは言うまでもありませんが、こういう事件を見ると確実に失敗していますよね。

 いくら口で優しい社会を作りましょうと言っても、現実に失敗しているのですから、福祉制度を含めて一度考え直す必要があるでしょう。事件以後報道があっという間になくなっている気がしますが、気のせいでしょうか…。これで再発防止はできるといえるでしょうか…。

 精神科医斎藤環氏が、うかつな強制入院が犯罪の背中を押した先例として、2000年の西鉄バスジャック事件を上げていました。この事件でも措置入院がどう影響したのかしっかり検証すべきだと。こういうプロセスも未だにちゃんとされていないのではないでしょうか…?西鉄バスジャック事件でも、面談もせず強制入院を決めたとありますからね…。とにかく強制して隔離しろ&いつまでもおいとけないからさっさと退院させろ―みたいなことになっていなければいいのですが…。

●差別・偏見は許さない!だけでは本質的な対策にはならない

 また相模原障害者施設大量殺傷事件「植松はヒーロー」とツイートした人物の“生の声を聞いた こういうものもありました。文中の女性は知的障害者が体調不良を起こしたのかな?と声をかけたらいきなり切りつけられて顔に傷を負ってしまった。トラウマで仕事も通えなくなってしまったといいます。しかも相手は無罪。こういう社会・法制度では「障害者なんて死ねばいい!」という声を持つ人は減らないでしょう。

 あんな気持ち悪い奴ら死ねばいい!というヘイトを振りまく痛い人はともかく、こういう善良な人が傷つけられるという事例があるとするならば考えなくてはいけない。そういう点を見過ごしてはならないと思いましたね。

●犯行声明を流すメディアの愚
 それとこういう特異な事件で、
犯行声明をまるまる公開してはだめでしょう。米欧では多分、そんなことしないと思います。メディアで公表されて、その人物の思想が広まれば、彼の望みは叶ってしまいますからね。事実、ツイッターなんか見ると、確実に彼の行動を賞賛する人がいるわけですからね。これがどういう影響をもたらすか…。模倣犯を出さなければいいですが…。

●とにかく怪しいやつ、悪いやつを捕まえろという愚かな意見
 ミヤネ屋さんが、「脅迫文が威力業務妨害にならないのはおかしい!」的なことを言っていました。周知される、公の目に触れる形にならなければ、脅迫や威力業務妨害の犯罪の要件を満たさないのはむしろ普通のことでは?あんな痛い文書を送りつけたから、精神病院行きってのは妥当な気がしますが…。無論、犯罪を実行に移す危険性があるから、監視などケアをきっちりやるべきで。問題はその後の対処の是非だと思いますよね。仮に逮捕して有罪になったとしても、その後出所して間違いなく実行に移していたと思いますし…。問題はなぜ逮捕しなかったのか―ではないと思うんですけどねぇ。

 あと、公人に犯罪計画書みたいなものを通達することで、威力業務妨害罪などが成立するようになったら、どういう世の中になるのか。ちょっと考えれば、その危険性が容易にわかると思うのですが…。でっち上げて「脅迫ありました、事情聴取しまーす」で、事実上の密告が出来てしまいますよねぇ…。



ん、この半分、三分の一の分量の予定だったがぐぐってたら追記することが増えすぎた。色々社会のこれからを考えさせる事件でしたね…。