てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

黒バス脅迫事件の犯人の話


 あまりにも更新が滞っているので穴埋めにちょっとした思いつきを更新してごまかしておきます。アニメ・マンガカテゴリーに入れてもいいのだろうけど、そうもいかない話。そういえばこの人捕まっていましたね。他の方のブログにおじゃまして、見返していたなかでこのことが取り上げられていたのでちょうどいいやと、これをネタに一本書こうと思いました。

 今話題の冤罪という線もなさそうです。自白だけで信頼性に乏しいというわけではなさそうなので、その点はまず安心していいかと思います。

 一つの作品について執拗に嫌がらせを繰り返すという際立った特徴がある本事件ですが、有名なグリコ森永事件のように今までのはたいていターゲットになるのは「企業」であって、個人ではありませんでした。この点今までとは違った社会の変化を見出すことができるので、社会学的には人々の心理の変化を分析できるので面白いところでしょう。まあ、探せば俳優・アスリートのようなスター個人への嫌がらせのような事件はあるのでしょうけどね。今回はまた違った性質をそこに見いだせるのではないか?と思います。

 音楽家だったり、熱狂的なファンが嫌がらせをするのは、ストーカーの言葉が出来る前からあったと思います。この前こまどり姉妹の話題を取り上げた時のケースはまさにそんな事件でしたしね。しかし漫画家・一つの作品についてこうまで嫌がらせがされるということはあまり例がないと思います。作り手「個人」、本人の主義主張ではなく「作品」がターゲットになっているわけですからね。一つの漫画作品が社会的な成功者の事例として妬まれるようになったというのは、大きな社会の変化でしょうね。どこぞの企業のトップでもなければ、俳優・ミュージシャンでもないんですからね。

 動機とか事件の背景は今後はっきりしていくと思うのですが、漫画家を目指して挫折。作者は成功していて自分にないもの全てを持っている事が動機だとか。どうも過去のいじめ体験などが大きな影響を与えているようですが、個人的な注目点は社会によって傷つけられた、見捨てられたという疎外感でしょうか。こういう動機は社会的に注目される犯罪に共通することだと思いますね。

 今後このようなタイプの犯罪は、成功者とともに子供のような弱い者をターゲットとして起こる気がします。自分が傷つけられたという衝動を向ける対象は成功者か、
失敗した自分とは違い明るい未来がありそうな若者、もしくはそういう風に豊かで楽しい暮らしを送っている人になるんでしょうね。

 政治行動でそのような衝動を正しい方向に向けていく。政治運動を通じて世の中をあるべき正しい方向へ導いていくというふうに昇華するルートが日本は乏しいですから、そういう人が政治活動をする事によって不満・いらだちが解消されるとは考えにくいですからね。まあ、そういう発露の仕方をする人は政治活動をしてもまともなことができるとは思えませんけども。

 脅迫のターゲットに同人イベントが選ばれていること、ネットでの評価を気にしていることなども、これまでとは違った社会の変化でしょうか。ネットでの評価なんて言うものが果たしてどれほど意味があることか個人的にはわかりませんが、ネットの評価というものがかなりある特定層にとっては意味があるものになっているということですね。まあそれはこの事件以前からそうだろと言えるかと思いますが、それとは違い同人という世界がかなりの人にとって非常に重要な意味を持つこと。この点、今回の事件で社会の変化を象徴する出来事として言えるのではないでしょうか?もしかしたら何言ってるんだ?もっと前から同人の世界は重要なものとして、社会的な地位を与えられて根付いているよと言われるかもしれませんが、個人的に同人という世界がまだまだそうであるという気はしないので。またそうだとしてもこの事件が同人という世界が重要になってきているぞと示すことに違いありませんしね。

 そうそう、個人的に言いたかったのは、もしこのような成功者、作者の藤巻さんが自分の名声・富を使って社会的な貢献をしていたらどうだったか?ということ。井上雄彦さんはスラムダンク基金ということをやってましたが、バスケへの貢献ではなく、漫画家というのは最早スター職業と言っていいわけで、そのようなスターが社会への奉仕で当たり前のように貢献していたら、こういうことはまず起こっていなかったんじゃないか?ということ。

 漫画家でワンピースの尾田さんなんかまあそりゃ相当稼いでいるわけで、リアル海賊王なわけで。彼自身が私財を使っていじめで学校通えなくなった子達にフリースクール作ったり、そういう所に寄付したりするようなことが根付いていたら、一体どうなるんだろうな?と思わずにいられないんですよね。民主主義&資本主義社会では社会の上層は責任が問われる。社会への貢献が重視されると何回も書いてきましたが、日本はそれが根付いていない。

 もし、それが根付いていて藤巻さんのような成功者が別に他の活動でもいいのですけど、中・低層労働者への保護のための援助・救済のようなことをやっていたら、まず今回の事件のようなことをしよう!とはならなかったんじゃないでしょうか?

 勘違いする人はいないと思いますが、そういうことをしない藤巻はダメだ!クソ野郎だ!とか言いたいわけじゃないですよ。犯人が考えているのは、自分と作者が敗者と勝者で断絶しているということ。自分が劣等、ダメ人間として彼や社会から見下されていると考えていることが事件の背景にあるわけで、その断絶感がなければ起こらなかったという気がするんですよね。自分はダメだったけど、藤巻さんのような成功者は自分のような人間のために色んなボランティア活動で貢献してくれている。また基金で助けてくれているという評価が根付いていればまあ起こらなかっただろうと。

 日本の社会だと上と下がガッチリ断絶されている。下のものは断絶感を感じやすい。子供で言うと自分は見捨てられたいらない子だと感じるようなものですか。そういう感情を何とかしない限り、こういうことはなくならないし、社会は絶対良くならないと思うんですよね。

 まあ、いつも言っていることですけど、穴埋めに。