てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

浅野裕一湯浅邦弘著 『諸子百家〈再発見〉』

諸子百家〈再発見〉 浅野裕一

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  浅野裕一・湯浅邦弘著、『諸子百家〈再発見〉 掘り起こされる古代中国思想』のメモです。ずっと前にメモっといて、まとめておくのを忘れていました。個人的メモになります。

 p10、「挟書の律」、焚書などが思想に大きな制約をもたらしたという見方。学団の解体と書いてあるように、そちらがメインで。焚書はあくまで手段に過ぎないと思う。思想統制こそが目的で焚書という事業を全国的に徹底的に展開したとは考えにくい。統一帝国・秦に草の根レベルで抵抗して統治の障害になる学者集団の母体の解体こそがメインと考えるべきだと思う。

 公式に挟書の律が廃止されたのは文帝のとき、それまで厳格に取り締まったりしなかったから、漢代の学者は諸子百家を研究できたとある。がしかし、挟書の律について「学者を取り締まるべき」「いや、思想統制はすべきでない」とかそういう学者や思想統制政策について論じられていない。一大テーマだったという記録が残っていないことからして察しだと思うんですけどね。

 まあ、学者が自由に活動しづらかったという点では違いはあるんでしょうけどね。秦の治世も始皇帝死後は不安定化しましたし、そんなに長期間学問の自由が奪われていたと考えるべきではないと思いますね。始皇帝死後反乱が起こるに連れて次の時代を睨んで、新しい世のための学問・学者活動は徐々に活発化していったと見るべきだと思います。

 秦時代の思想統制焚書などが大々的な影響を与えたとみなすべきではないと思います。

 p12、河間献王・魯共王が古文研究。共王の場合は孔子宅から出ただけで、それを王国単位で熱心には研究しなかったんだっけかな?河間献王が熱心に研究したという先例がこの河間国に大きな意味合いをもたらすのかしら?封国が時代によって全然場所違うから要注意なのだけど、後漢まで続いている、封国のアイデンティティとして引き継がれているとすると面白い話。

 儒家墨家・兵家・道家、ほぼ時を同じくして出現する。兵家を除けば、三者は君主・国家権力の恣意的な行動を制限することを目的とした思想。兵家・孫呉の兵法は、それがまるでないわけではないが、斉から新興国呉に渡って、大国楚を五度に亘って破るという大々的な実績を以てPRするのが前三者と異なる所。

 要するに兵家は仕官してなんぼ。高官となってその思想を現実に実践できなければ、その思想の有効性が発揮されることはない。このような姿勢は合理的な思想をする荀子や法家に受け継がれていく。縦横家も同じ立場。思想家として政治に強い影響力を与えたのはこれらの立場であることは言うまでもない。前者(儒家墨家道家)は所詮思想家で、後者は政治家・実践家(兵家・法家・縦横家)。もちろん人・時代によって違いはあるのでしょうけどね。道家なんか後に現実的に政治を動かすにはどうすべきか?という者達が出てきますし、墨家もいかに城・国を守るかと現実主義的な色彩を帯びていくわけですね。まあ教団化の方向に行って結局は滅びましたけど。儒家儒教の変化は今更言うまでもないでしょう。

 p61、汲郡から魏王の墓から大量の文書が出土、この汲冢書の古文研究がなされ、邯鄲淳の古文、伝承されてきたものがやはり正しいと認められることに。正始年間に三字石経と呼ばれる学問の正統化がなされていたこと、その裏付けが与えた影響は面白そう。正始の音に間違いなく反映されてるだろうし。

 p75、この時代、紙や木簡はめったにない。殆どが竹簡、繊維質で加工しやすい。殺青、竹を炙って防腐処理をする。木の腐りやすさとどれほどの違いがあるのだろうか?それでも竹の加工しやすさ、厚さが0.1cmで済むという利便性は大きかっただろう。木ではまず無理だし同一に整えるのが大変。

 p91、郭店楚簡『窮達以時』には荀子の「天人の分」の思想がある。それまでは荀子が初めて人格神的な天を否定したと考えられていた。都市国家から領域国家へと変貌を遂げる前提に大きな思想的下積みがあると考えるのが普通で、孔子老子以前に思想的前提があったと考えるほうが自然だと思うのだが…。まあそういう理解をする時代があったということですね。

 p101、五十にして天命を知る=革命の天からの指令と解釈する。当時の常識的な寿命を考えるとかなり考えづらい。孔子が天命理論・易姓革命に天の指令がありうることだと考えていたとしても、大臣ですらない人間にそんな声が聞えるはずがない。聞こえていたらもっと痛い言動・DQN言動が多かったはず。

 『窮達以時』は個人の禍福の話だが、荀子は政治・社会レベルにまでその論を引き上げている。が、天命・易姓革命を明確に否定はしていない。それをしているのは商鞅。彼のロジックに「天」はない。「力」のみに注目している。周の文字・制度を取り入れていた秦は「天」も取り入れていた筈。その「天」思想の否定をした。

 徳・礼と政・刑が対立している(p156)とか、老子の思想はアンチ儒家だとか(p191)、どうしてこう硬直的な捉え方が多いのだろうか?特定の思想・学説が10か0かで他の可能性を考慮しない、排他的だったとするほうが想定しにくいだろうに。6:4とか7:3とかそれくらいの割合でいるものだと考えたほうが自然。なんででしょうね?普段から自説と違う立場の人とケンカばっかしているから、そういう捉え方しちゃうんでしょうかね?(笑)

 p194、馬王堆帛書や郭店楚簡の老子には「大道廃れて仁義あり~」のくだりが、「安」=いづくんぞを加えて真逆の意味で書かれている。大道廃れていづくんぞ仁義ありになっている。また忠臣の箇所が、それぞれ貞臣・正臣となっている違いもある。こう読むと大道がなければどうして仁義が保たれるだろうか~など、真逆の意味になる。しかし、「安」をつけて読んだ場合、あまり意味がある句にならない。逆説的な警句として意味がある文。本来の思想の逆説性を取り除くために、安の字をあとから付け足して換骨奪胎を図ったのだと個人的に思う。

 老子本人・本来の思想が儒家と相容れないものだったとしても*1、折衷派は当然いる。折衷を図ったそれぞれの思想のいいとこ取りをしようとする中間派が「安」の字をつけたのではなかろうか?黄老ならぬ孔老派かな?

 p218、公孟子墨子に向かって孔子は天子となるべき人物だったことを説くのだが、詩書・礼楽・万物に詳らかという事をもってその証拠としている。また古代の帝王伏犠や周の文王・周公旦などが易を作っており、その易に精通するのも孔子が天子となるべきだったという説の補完になっているという。

 師匠である孔子の絶対化・権威化を弟子たちは図った。そこで孔子=聖人だったとか、天命を受けていたとか無茶な話になってくるのだが、ゼロではないにせよ孔子にそういう意識はそこまでない。弟子たちがそういう主張をしていたのを以って、孔子がそういう痛い思想を持っていたとするのは無理がある。


 そうだ、「忠」といえば、忠とか性とかの話があったのだけど、そういうのはあまりこの時代の思想でポイントじゃない、優先順位高くないと思うんですよね。孔子が君主への諫言について語っている内容からわかるように、無条件の忠義を君主に尽くせという発想は出てこないし、そもそも当時には必要ない。

 君主は仕官を求める人材が毎日のようにグイグイ押しかけてくるわけで、誰を雇うのも大臣にするのもまあ自由だった。忠義よりも能力・結果を求めた。仕官を求める士も同じ。自分の主張が受け入れられなければ、さっさと次の土地へ行って重用される君主を探すだけ。そこに君臣の忠義云々という思想の需要は殆どない。

 まあ、今話題のブラック企業社畜に絶対の忠誠、全人格的服従を要求するようなそれはなかったわけですよね。ですから孔子も君主が自分の話を聞き入れないと思ったら、諫言は辞めなさい。そんなブラック企業辞めなさいと説くわけで。国家体制・王朝が絶対の前提にならないと「忠」云々は出てこないかと思えますね。

 孔子先生が教える!ブラック企業時代の社畜の生き残り方!!―なんて本でも作れば売れるかもと一瞬思ったが、じゃあどうやってその教えを実行して給与・高待遇を確保するかと言われれば、顔淵的生活をしなさいオチになりそうなので、売れるわけないなとすぐに素に返りました(笑)。

*1:親近感を覚えていなかったとしても、儒家を特別に敵対視していたとは思わないが

小室直樹・山本七平共著 『日本教の社会学』の推薦文

 前回*1でようやくTポイントの話をし終えました。ああ、そうか更新しても最新日時で公開していないのから、読者の人でも知られていない可能性があるのか。穴埋めで書いてたし、内容もまあそんな大したことではないので、まあいいか。個人的に気になってしまってTポイントを入り口にして思いついたくだらないことを延々書いただけですし。追記しまくったので、もはや最初に書いたオリジナルの原型をとどめていないかもしれません。あの話がなかなか面白いなと思っていただいた方はもう一度読んでいただけると幸いです。そんな奇特な人いるのかな?(^ ^;)

 で、この前書きたいなと言っていた話を書こうと思っていましたが、先にこんな話を消化したいと思います。レビューを書いたらTポイントが50ポイントもらえるというキャンペーンやっていたので、復刊ドットコムでレビューを書いたんですね。そしたら字数制限があって物凄い中途半端・消化不良なレビューになってしまったので、せっかくなので書いたものをこちらに載っけたいなと思いました。あとメモ帳に保存してあるのが邪魔なのでさっさと消したいのでこちらから先に手を付けたいとおもいます。

 小室直樹山本七平共著の『日本教社会学』です。

日本教の社会学/ビジネス社

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 再販されたことで気になっていたことと、この本を復刊ドットコムで自分でリクエストしたので、まあ読んどいてオススメですよ!とPRしないとせっかく再販なされたビジネス社さんに悪いかなと思ったので。復刊してほしい!とリクエストしたわけですから、ちょっとでもPRに協力したいなと思いましたので駄文を書いておきます。


 今から30年以上も前(1981年)に出版された本でありながら、その内容は未だに古びて廃れてしまうことがない。それは両著者の優れた視点・指摘もさることながら、日本の抱えた問題が30年以上も未解決のままであるということである。巷間では「失われた10年・20年」という用語が広まっている。この「失われた~年」というのは本質的には変化をすることができなかった「変われなかった~年」と言える。

 バブル期の日本において、既にこの「変われなかった」という性質は存在していた。バブル崩壊後に「失われた」のではなく、日本社会と言うのは元々近代社会・民主主義社会において重要な「変革」という因子が存在しなかったのである。失われたのではなく、元から病理や危機を日本社会は孕んでいた。ただ単純に未曾有の好景気・経済成長が存在していたために、内在的なリスクが発露しなかっただけなのである。

 この日本が抱える潜在的な危機がいつか爆発するということを見抜いていた小室は、日本社会の預言者として、警鐘を鳴らし続けてきた。その姿勢は一貫して変わらず、単著を初めて出したときからその主張を唱えていた。日本社会はこのままでは深刻な事態に陥る。内在的な危機が発露して大変なことになるということを小室は『危機の構造』(1976)で既に指摘していた。小室を一躍有名にしたのは『ソビエト帝国の崩壊』(1980)であり、ソ連の崩壊を経済体制・共産主義思想・アノミー・技術力・組織の機能不全性など様々な要因から論じ、それが現実化したことで小室直樹の学問・論理は文壇の注目をあつめることになった。

 前述通り小室は既に日本の危機を指摘していたわけだが、当時の時代の空気ではまだまだ十分には浸透していなかった。故に日本の国家や社会に警鐘を鳴らすために、民主主義国家として近代国家としてあるべきはずの常識がない日本社会の異質性・特異性、つまり前近代性を改めて論じることになる。そのパートナーとして「日本教」や「空気」で有名な山本七平氏が選ばれ、共著を出すことになった。

 小室は山本七平を、丸山真男同じく「浅学非才」(もちろん否定的なニュアンスで使われたものではない)でありながら、正当な学問を修めたわけでもないのにあれ程の発見・業績を残すことが出来た点を高く評価している。が、しかし個人的には山本七平には学術的な「方法論」が存在していないと思われる。小室は社会学的な構造機能分析を山本が行っているというが、山本には学問を行う上での方法論が欠けているゆえに、それぞれ論じる内容に一貫したロジックが見えにくいのである。

  「空気」の研究や、本人の体験に基づいた上での日本軍に関する分析、ユダヤ教と日本社会・「日本教」を比較分析したものなど、それぞれ素晴らしいものではある。しかし、では、それらの発見・結果を総合的に、体系的に学術の形としてまとめ上げることが出来たかと言われればかなり疑問が残る。

 学術的なアプローチ、いかなる手段・方法を持ってして問題を論ずるか、対象領域を研究し、重要な法則を発見するかという「方法論」が確立されていないがゆえに起こるものといえるだろう。故に山本の指摘、分析は断片的であり、優れたものとそうでないものの差が激しいと個人的には思う。

 ―と、以上のような山本批判をしながらも、それでもやはり山本の指摘には優れたものも数多くあるのは事実である。それをもって山本の主張に触れずに捨て去ってしまうのは惜しい。当時の時代を知る上で参考されるべきものであることに異論はない。


 出版以前の状況や個人的な山本への評価はさておいて、本題に戻って、日本社会はなぜ変わることが出来ないのか?それは民主主義社会ではないからである。日本人は民主主義というものをまるで理解していないと言っても過言ではない。民主主義とは何かと言われれば、皆決まって戦争や専制主義の真逆の概念である。自由と豊かさと平和がセットになった、なんとなくいいものが民主主義であるという浅薄な思想が本書で記されている。もちろん民主主義とはそんなものではない。現代でもこのような浅薄な理解で民主主義を捉えている人は珍しくはないだろう。それこそ日本社会の危機の源泉、社会の病理なのである。

 小室の学問とは、多岐に及ぶが一つだけエッセンスをあげよと言われれば、それは資本主義や民主主義とは何なのか?ということである。民主主義や資本主義が素晴らしい、素晴らしいからそれを守りましょうなどという事を言いたいわけではなく。そもそも現代のシステム・社会の基礎となっている民主主義や資本主義というものの論理を知らなければ、それを使いこなすことが出来ない。

 民主主義や資本主義というものに批判は昔からある。共産主義というものが力を持って世界に広まったのも、その批判が人々の心を捉えたからこそである。資本主義・民主主義に欠陥があるがゆえの現象であった。が、しかしその失敗を見てわかるように、現状の制度をより良いものに改革をするには、その民主主義や資本主義というシステムの本質を正確に抑えておかなければならないのである。今の制度の本質がどんなものなのか理解をしていなければ、制度を改革するのも、全く新しいシステムを創り出して行くことも出来ないのである。

 まず現代の社会の基本的なロジックを正確に抑えなくては、社会を変えることも良くすることも何も出来ないわけである。社会を政治を経済を良くしていこうと思うものはこの基本を何よりしっかりと抑えておかなくてはならないのである。

 小室の学問の真髄は問題発見能力もさることながら、優れた現状認識・現状分析にある。であるが故にその価値は未だに廃れてしまうことがない。継承するにせよ、批判するにせよ、その論理はどこにでも応用が効くものである。是非一読されたし。 対談本という性質上読みにくさもある。小室直樹の本は多数あり、読みやすいものは多いので他に読みやすいものから読むことが良いかもしれない。読みにくければ無理せず読みやすいものから手を付けることをオススメする。


 当時の日本は軍国主義などではなかった。軍国主義であれば国家のありとあらゆるものを総動員して戦争相手を研究していた。そして勝てないとわかれば戦争をするはずがない。何故軍国主義がそんな戦争をするのか?軍国主義だったのならば、戦争は避けられた・戦争をするはずがなかった。多くの日本人はそんなことも理解できない。―とまあ、そんな肝心の中身には触れずにおしまい。いずれ内容読んで追記するかもしれませんけどね。

*1:

続、『ヤマトンチュの大罪―日米安保の死角を撃つ!!』

 前回の小川和久著 『ヤマトンチュの大罪―日米安保の死角を撃つ!!』―の続きになります。

 韓国・比などの基地は脅威対処型の基地にすぎない。日本は戦略的根拠地で次元が違う。脅威がなくなれば実際そうなった比のように、朝鮮の米軍もなくなる。しかし日本のような戦略的重要地はむしろ増強される。今後もなくなることはない。燃料・補給などロジスティクスの観点からその重要性は言うまでもない。湾岸戦争ロジスティクスを担った戦略的根拠地だった日本の重要性は、約7万人送り込んだ英と比べて、どう低く見積もっても英の3~5倍に相当する。それくらい後方支援という任務は重要。無知だからこそ日本は貢献していないという声を真に受けてしまう。数々の文献に日本の貢献が記されていないのは、国防総省の公式記録に記されていないが故とも言える。「日本外し」で意図的に書かなかったのか、日本の軍事的貢献を取り上げないでほしいという日本政府との談合の結果なのか記されていない。議会が税金の使い道をきっちり調査するという感覚から突っ込んで調べていれば、こんなことにはならなかっただろう。これも民主主義機能不全の結果。湾岸戦争は第二の敗戦である。

 米のチャーマーズ・ジョンソンなどリビジョニストは日本の安保タダ乗りを主張する。これは自衛隊が米を守っているということを理解していないが故*1。米を敵に回すのは日本も敵に回すこと、抑止のハードルを上げることを理解していないが故。
 自衛隊の空軍は世界第15位程度だが、そのアンバランスな戦力で米軍基地を攻撃するリスクを高めている。空軍力を図るものとして敵国を爆撃する能力、制空権を取る能力と並んで敵を自国に侵入させない要撃戦闘能力・要撃密度がある。日本のその能力はイスラエル・米に並んで三位。海軍も対潜水艦戦(ASW)に特化している。掃海能力が世界一で肝心の攻撃的戦力が抜け落ちている。これもシーレーン・米の戦略ルートを守ることを念頭に置いているため。

 防衛予算と基地予算、あわせて約5兆で米の戦略的根拠地を支えている日本が最も双務性が高い国であることは論をまたない。西太平洋からインド洋の戦略分担比率は米6:日4になる。外務省北米局の高官が「でたらめ言ったら困る。横須賀はスービックの50分の1程度の役割でしかない。日本から撤退することはあっても比から撤退することはない」と言った。根拠を尋ねたら米がそう説明しているからとのこと、現地に足を運んでいなければ国防総省の公式資料に基づいたものでもなかったという…。米の政府の当局者と安保の確認作業をする機会があったのでそのことを尋ねた。やはり予算は二次的なもので戦略上の重要性が第一だと認識していたとのこと。

 このような戦略的重要な要衝から撤退はありえない。セキュリティー・バキューム(力の真空)はありえない。ビンのキャップ論・日本の軍国主義が復活するというのも歪な軍隊の戦力を見ればありえないことは一目瞭然。むしろそのように撤退をちらつかせて米の駐留を望む声を上げさせるのが目的。ベトナム戦争後のカーター政権の撤退論で韓国のみならずアジア諸国から駐留維持を望む声を引き出したのがいい例。むしろこのような論にデータなど示してきっちり反論できない日本の問題。

 95年、仏・中が核武装に踏み切ったのは核=政治力の裏付けがあるから。88年、印は核武装を関係国に通達した。翌年中国は印のラジブ・ガンジー首相を招待し歴史的和解に踏み切った。政治的価値・効力がある以上核武装の誘惑は常に付きまとう。その国が米にとって核を持って良いか悪いかで「良い核」か「悪い核」か判定される。米にとってインド・パキスタンイスラエルは「良い核」イラク北朝鮮リビアは「悪い核」。ソ連にとってはこの良し悪しが逆になり、ソ連にとっての「悪い核」の国々をなんとかして味方に引き込みたい。「良い核」にしたいという外交が行われた。

 平和主義・非核政策を外交に掲げる日本は一時的でも国交を断絶して強い抗議をするべきであった(それ自体に疑問はないが、断絶後どういう風に国交回復をするのか、振り上げた拳をきちんと降ろさせる、着地させる方法はいかようなものなのだろうか?)。豪・NZと核実験を非難してきたのにもかかわらず、仏に常任理事国入りを求めて特使を送った。外交的誤りである。

 仏国民に訴えかけるのに仏製品不買運動のようなものはあまり効果的ではない。それで倒産企業でも出そうものなら逆効果、相互の友好を損なうだけに終わる。新進党の意見広告「核実験が最初に破壊するのは仏への信頼である」という大国のプライドをくすぐるのはセンス抜群。中国に対しても友人としての相手を思った忠告でない限り、このような抗議は効果を発揮しない。危機管理の基本は人を見て法を説く事、国際関係でも同じ。

 日米安保の根本的認識を誤っている指導層。朝鮮国連軍という認識の欠如。核開発疑惑についての安保理での経済制裁。中露は積極的ではない。韓日米で安保理を回避して独自制裁は可能。効果を発揮しなければ、次の段階として軍事制裁の性格を含む海上封鎖になる。そうなるとPNR(引き返し不可能地点)になる危険性をはらむ。海上封鎖からそれをかいくぐろうとする北の艦艇との小競り合いが実戦にエスカレートする可能性がある。軍事制裁となると安保理決議が必要になるため、強力な経済制裁は出来ない。

 半島での有事には国連安保理決議がいる。日米安保条約と米韓相互防衛条約には国連安保理の決議が必要という歯止めがかけられている。在日・在韓米軍は「国連軍基地」として位置づけられており、8カ国からなる朝鮮国連軍の合同会議は形骸化したとは言え現在でも存在している。国連地位協定5条2項には、日本国内の基地を朝鮮国連軍が使用することが明記されている。そして24条・25条には国連軍が撤退しない限り、在日米軍基地の朝鮮国連軍としての基地という性格は消えないことになっている。安保条約6条で米軍の基地の使用を認めているものの、1条で国連憲章に定めるところという国連の歯止めがかかっていることがわかる。国連憲章のほうが日米安保よりも優先する構造になっている。だから沖縄のホワイトビーチには日章旗星条旗と並んで国連旗がある。米韓相互防衛条約があろうと、国連軍の性格を持つ在日米軍基地を(注:安保理決議抜きで)半島有事に使用することは不可能。

 社会の官僚化による民主主義の不在。米では一人平均40人いる政策秘書。議員に年40万ドルの手当がある。だから優秀なブレーンに支えられた有力な議員は政策を立案でき、一人で政府の方針をひっくり返すことも可能。また会計検査院のようなチェック機能、ジャーナリスト・シンクタンク・アカデミズムなどの問題の指摘。軍事問題に精通した人物が足りない。

 最後に氏による「平和国家モデル」の提唱がある。歴史認識に基づく戦後処理、南京のような賠償に踏み込むことで信頼醸成をするというプランがあるが、それ自体は賛成するものの、しっかり賠償しても信頼醸成・日本の不信感といったものが解決されるとは思わない。中韓のそれは日本の対応のまずさというより、彼らの自身に内在する問題だから。また相互原則、日本が賠償するのは同じように自国の罪・戦争犯罪に向き合う国に限定するという歯止めが必要だろう。

 凶状持ちであるから信頼回復は難しいとあるが、他国の実利などを無視した視点のような気がする。勿論この時点ではこの見方で対して問題はないのだろうけど。中国の台頭で日本のプレゼンスが求められるようになったように、彼ら自身の国益によって日本への見方は変わるに決まっている。ものの見方が日本中心主義的にすぎるのではないか?まあ本のテーマからそうなるのも致し方ないのだろうけど、もっと「平和国家」がいかに日本の戦略としてふさわしいのか、実利をあげられるのかという話が欲しかったかも。
 1996年という時代的制約があれど、今に通じる論理があるので非常に興味深い本でしたな。続き読もうと思って12月くらいから続き全然読んでないなぁ…。そういえば(^ ^;)。

*1:流石、小川氏自衛隊は本質的には「米」衛隊であるということをよくご存知ですね