てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

西岡参議院議長への哀悼文

 西岡武夫議長は言うまでもなく、選挙制度に歪みがあったとはいえ民意によって否定された菅首相に一貫して噛み付いた人物です。立憲の常道から言って、民意によって否定された菅直人がその地位にあり続けることは憲政を踏みにじることになる。国民の直接の選択・信任の手段がない以上、事実上の信任選挙である国政選挙において、そんなことは許されないに決まっている。

 己は安倍は結構支持していたけども、その言にそこそこ言い分はあったにせよ、選挙で敗れた以上居座ろうとしてはならないのだ。それが憲政のルール・不文律なのであるから。そんなことも知らない政治家があまりにも多すぎる。結局マスコミ&官僚の汚いネガティブキャンペーンとは言え(もちろんこれを絶対に肯定しないけども)、その後辞職という道に踏み切ったのだ。あれを健康の理由などとしたのは彼の評価を著しく下げることだった。しかも解釈次第で副総理を設けることだってできたのだから。

 菅直人牛歩戦術ならぬ、毛虫の歩みのごとし虫歩戦術は憲政の常道を著しく踏みにじる卑怯極まりない劣悪な行為であった。これを敢然と非難し続けた氏の行動は憲政を、憲法の精神を守るものであった。

 尖閣諸島における政府の筋の通らない判断、地検が政治的判断を下したのを良しとする、それをそのまま受け入れるという法プロセス・行政プロセスから逸脱した行為を在り得ることではないと敢然と否定・非難した。検察という機関が外交上の問題であるからと勝手に判断することなどありえない。それをしたならば明確な法違反、司法分野の行政侵略である。そんなこと絶対に許される行為ではない。

 また小沢裁判の異常性、国会での対応も憲政の精神に適ったものだった。一貫して国会で小沢尋問にどのような意味があるのか?司法に問題が移っている以上、裁判に変な影響を与えないように、裁判の判断を尊重するために国会であれ、メディアであれ、経緯以外は下手に騒がないのが欧米などの民主主義諸国の常識、イヤ自由民主主義の原則である。そんなことも知らない・弁えない民度の低さの中、懸命に死んでいる憲法・民主主義を何とかしようとその身を盾に、小沢一郎を、いや日本の立憲の常道を守ろうとしてきた。

 日本政治史では総理以外の、有力者以外の言動はあまり取り上げられない。見るべきポイントを理解していないから。よって氏の偉業をここに記し称える。

 西岡武夫こそまさに、良識の府である参議院の代表にたるふさわしい政治家であった。天は悪人を罰せず、氏のような善人を連れていってしまった。顔回が死んでしまうように、有徳者はかくなるのであろうか。かくなる不条理が氏を襲ったが、せめて氏の偉業を己のような浅学非才の一凡人が称えることで餞になれば幸いである。

アイキャッチ用画像

新自由クラブの展開―保守再建構築の道 (1979年)