てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

啓蒙の話、啓蒙=真理の追求は「洗脳」ではない+おまけ

 左翼も右翼も啓蒙・啓発を基盤においている!気をつけろ!的なツイート見たけど、愛国も労働者の団結でも結局真実に目覚めよ!自覚せよ!、本当のあるべき社会はこうだぞ!それにもどれ!あるいは作り変えるぞ!ってことになる。だが、キリスト教なんかも神の教え、愛に気づくべしって論理だし、真理に気づけ!ってのは結局のところ宗教でも、学問でも、なんでも全てに通底するところではなかろうか?

 啓蒙・啓発、真理の探求などはありとあらゆる物に共通することだと思うが、問題はそこから先だということでしょうね。いくらでもご自由に啓発・啓蒙して良いが、マナーをわきまえること。自分はそれを知っている、それを知らない相手は愚か者、格下なんて見下すかどうか。あと非賛同者に対して排他的攻撃を仕掛けるかどうかとか。

 いわゆる愛国とか大衆運動とか宗教勧誘に対して、一般的に拒否反応が根付いているのはそういう所にあるんでしょうね。啓蒙を唱えるものは最低限のマナーもわきまえずに暴走するから付き合わんに限るワイという世間知ができてしまった。マナーを守って行動しよう!じゃなくて、それ自体を禁止する・遠ざけるという変な方向に進んでしまった。学問の世界は流石に反対意見を攻撃とか排除とかないですから学問足りうるんでしょうけどね。まあ最近まで結構あったようですが。

 まあ要するにそういうマナーを守れない人ってのは、なんかしんないですけどものすごい短絡的に、直結的に物事を考えますよね。それは真理に気づいた啓蒙されたんじゃなくて、真理と思い込んでいるだけでしょう。そんな簡単に真理にたどり着けないですよ。ある時点にたどり着いておしまい、じゃなくて絶えず探求していく態度でしょ?真理は。真理というか真理を追求し続けようという態度とセットで初めて成立するものというか。

 結局そういう人は真理を悟った、気づいた・理解したんじゃなくて、単純なそれっぽいロジックに洗脳されたってことでしょう。今流行の陰謀論みたいに。啓蒙・啓発が危険だというのもその洗脳をさして危険だって言っているんでしょうけどね。

※「啓蒙の話、啓蒙=真理の追求は「洗脳」ではない」という枠で一本書いたのが、ここまで。んでその続きみたいな感じでもう一本「空気の文化とか社会運動への参加の危険性の話とか」という題で書いたのが↓の以下文章。おまけでセットにしてまとめました。まあ、なんとなく似た内容で残しておくのもありかなという気になったので。

 日本の空気を読むという文化を「思いやりと察し」というっていうのをみました。そこでインスパイアされたことを徒然。

 そこまではいいんだけど、今後この空気と違う意見の持ち主でも尊重するっていうのが加わらないといけないですね。んで更に「相手の話を聞く、集団のそこにある空気を最優先するのではなく、集団もまた個人に合わせてルールを変えていく」そう変わらないといけませんね。

 意識高い学生が社会正義みたいなのに目覚めていく―ってのをみて、さらにこれを加えてまたひとつ。そういう人は急激に理想・理念に燃えていく、ガソリンに火がついたみたいにごわっと燃え広がりやすいので上に上げたことをわきまえないことが多いので、社会運動&政治に携わるのはいいことですが、それを踏まえてもらわないと困ったことになりますね。現に次の参院で消えそうな、っていうか間違い無く消える社民のようになりますからね。

 昔は大学とかの教育現場でそうなっていたのが、また職場や社会の実際の出来事で問題・関心を高めていたのが、今はネットでの情報が主流になっているのかな?社会運動・政治参加へのきっかけが?若い=経験が浅い故に長期的な流れを知らないから、すぐ結果が出るようなものだと錯覚しやすい。真実を広める→国民の覚醒!みたいな、直ぐに結果が出ると誤解する。故に一気に燃え上がりさえすればいい!と勘違いして暴走してるっていう性質がありはしないだろうか?

 んで「誰かがなんとかしてくれるだろう」という、その真逆にある無関心の態度・スタンスがある。そういった「誰かがなんとかしてくれるだろう」という社会というのは、実は今「自分が大事な何かを、誰かに変わってなんとかしている」社会でもある。自分自身はそれを担わないで済ませて「ありがたいな~自分はだらけて生きよう」となるか(=フリーライダーのことね)、自分も「それを担って社会に貢献していこう!」となるか?どちらが多いかがその社会の未来の分かれ目という感じがしますね。

 まあ、だからといってその精神が暴走されて変な活動家になられても困るんだけどね。それが正常に発露、結晶化する社会こそ良い社会というか。

 「俺たちは反権力だけど党派には忠誠を誓え」という反権力的な人・組織のスタンスがある。この発想はブラック企業の経営者の「国家はあてにならないから企業に忠誠を誓え」というのに似ている―というツイートを見て、日本の組織というのはどこも対外的には立派なことを言うのだけど、対内的には批判する事を平気でやる身内に迷惑をかけるのは当たり前、平気というメンタリティがある気がしますなぁ。

 ※ブラック企業繋がりで、日本も銃社会だったらブラック企業はここまでのさばっただろうかという話を追加。
 アメリカにブラック企業がないのは銃で武装する権利があるからだ!ブラック企業倒すためにTPPで銃輸入して社会を変えるんだ!ってアメリカ人が言ってきたらどう反論しようか…。まあ日本もTPPで核武装禁止だけじゃなく、銃規制も主張していいかもしれませんね。今丁度銃社会の問題が起こってますし。オバマさんも核なき世界とか、銃なき社会とかアメリカの有り様を変えようとしていますし、アシストついでに主張してみたらいいんじゃないでしょうか?