てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

2014年ノーベル賞ネタ

 ノーベル賞の時期が来て、また受賞したからというくだらない理由でマスコミが騒いでうんざりする季節ですが、一応そこら辺のちょっとしたネタを。

 スターリンヒトラーノーベル平和賞候補者という話がRTで回ってきたけど、知らない人多いのかしら?平和を作れるのは「戦争の決断」を下せる立場の指導者だから、当然回避の決断をすれば平和の構築者になるんですよね。開戦と平和は同じ指導者の決断によるもの、コインの裏表みたいなものですね。

 まあ、そんなところからもわかるように、土産物的意味合いが強いノーベル平和賞が日本の憲法9条に授与されるとなったら、それに反対の立場の人は、ノーベル平和賞の価値の無意味さを徹底的に宣伝して、平和賞の無価値化に走るでしょうね。そのリスクを平和賞与える人たちが犯すと思えませんけどね。

 憲法九条受賞→そーらノーベル平和賞サマがお墨付きをくれたぞ!と宣伝して改憲を阻止する→反対派はそもそもノーベル平和賞なんかに価値はない。それを受賞した人でいい仕事をした人がいるか?(民間人、私人を除けば)いないだろうが!―という流れになるに決まってるのでね。オバマ然り、EU然りね。受賞後あれよあれよという間に外交立ちいかなくなってますから。もはや逆フラグ状態になってますね、ノーベル平和賞は。

 ノーベル平和賞を、オバマさんが受賞して中東外交で上手く行ったわけでもなく、EUが受賞してウクライナで危機があった。むしろフラグのような匂いがするノーベル平和賞をもらおう!というメンタリティが良くわからないですよね。

 モハメド・アリのように、金メダル獲ったって社会は何も変わらないじゃないか!と言って川に金メダル投げ捨てるように、ノーベル平和賞もらったって社会は何も変わらないじゃないか!って(川に捨てることは出来ないけど)憤って社会を変える戦いを仕掛けるようなメンタリティがないと無意味のような…。

 日本の憲法9条にノーベル平和賞を与えれば安倍政権の危険な動きを抑制出来て国際秩序を維持できる。―なんて考えもあるんでしょうけど、日中衝突が怖い欧サイドが、それを防げるのならノーベル平和賞を授与する(9条受賞)というのは合理的になるんでしょうけどね。間違ったメッセージを発信しそうなのであまり効果的にならないと思いますね。それなら習・安倍同時受賞をもちかけて首脳会談やらせるほうが効果的な気がしますね~。  そういや今の香港での民主化を求めるリーダー、学民の女神と呼ばれる周庭さんとかにノーベル平和賞とかそういう話はあるのかしらね?まあ、そうなったら中国政府は神経逆なでされるし、彼女の人生にも係るだろうし、そんなことやらないでしょうけどね。劉暁波さんだっけ?そういう人にノーベル文学賞(でしたっけか?)与えたりしましたし、ちょっと間をおきたいでしょうからね。まだ香港の民主化運動の結果も不透明ですしね。

 結果は言うまでもなくマララさんとカイラシュさんだったわけですが、二人共自分の体を張って平和というか、理念に準じて正義を実行してきたわけですね。カイラシュさんがマララさんのためにあまり脚光を浴びなかったですが、児童労働の廃止や改善を訴え、時に児童売買のために、身体を張って工場に乗り込んで子供を救ってきたわけですね。そういう立派な活動をしてきた人にこそ与えられるべきでしょうね。ノーベル平和賞というものは。

 そもそもマララさんとカイラシュさんのように、ろくに他者のために目に見える具体的な活動もしていないのに、抽象的な理念を掲げてそれで世界的に有名な賞を受賞しようっていうのは少し虫が良すぎる話だと思いますよね。憲法九条にノーベル平和賞っていうプランは。それでその威光をタテになんたらかんたらしようってことでしょう?ちょっと魂胆があれですよね。安倍&習の同時受賞で戦争を回避ならともかく、九条改正が高度な政治問題となっていて、内政に多大な影響を与えかねないということになっている時に、賞を与えて政治の流れを左右しかねないという状況でそんな軽率に賞を与えることは出来ないでしょうね。

 中国に憲法九条を作らせよう、そして中日(非戦)平和共同体を作る!みたいな具体的な行動をした方がいいんじゃないでしょうかね?そういう九条にノーベル平和賞を!みたいな活動をしている団体さんは。


※いつものように分けるほどのことでもないのでまとめて掲載。
 秦漢法制史の研究に手こずって更新がままならないので小ネタでごまかします。ノーベル平和賞ネタを書いたのでその話でそういやこんな話があったなぁと思い出したので、その話でも。

 他のノーベル賞文学賞以外、自然科学分野であり、そこには客観性がある程度確保されます。が、ノーベル平和賞は米欧価値観の反映という要素があります。まあ当たり前のことなんですが。米欧的世界観を是とする価値観があって、当然それがノーベル平和賞にも反映されます。彼らには米欧的価値観が最も進歩していて素晴らしい物で、それに世界が適合していくべきだという驕った思想が時にあります(まあ米欧と一緒くたに出来るかという問題はありますが、個々の領域においては衝突するでしょうしね)。

 まあ、そういう驕りをサイードなんかオリエンタリズムとして批判したんですけどね。今でもそういう優位思想はあまり変わっていないという気がします。無論、そういうものを厳しく批判する流れもあることはあるのですけどね。関係ない話ですが、そういう姿勢である彼らですから、植民地支配や侵略などについて日本ほど反省というようなメンタリティは乏しいですね。中国なんか反省を示している日本に対して歴史認識で責め立てるのに、反省も謝罪もロクにしていない欧州については歴史認識をことさら言い立てないという不可思議な図式もありますね。

 で、マララさんがノーベル平和賞を受賞した時の図式、なんかスピーチしている時の画だったかで、誰だか知らないですけども、白人の女性が彼女に受賞告知だかなんだかをしていまして(モノすっごいあやふやですいません)、それが君たちもようやく進歩したねという啓蒙してやったみたいな思いあがりを感じさせるものだったんですね。

 彼らは基本的に中東とかそこら辺の文化や国柄について、後進的なものだ、劣ったものだというふうに見ている。否定的なイメージしかないでしょう。そういう中で一刻も早く「文明化」「欧化」されてほしい、されるべきだ!という思いがあって、そういう行動を推し進めようとするマララさんを「よしよし」と歓迎するというふうに見えましたね。

 自由化されること、民主化されること、近代化されること、それ自体は好ましいことであると、現代的な世界に生きる我々は思いますが、その背後にある米欧的価値観、異文明を見下すものがあるということは理解しておくべきかなという気がしましたね。まあいちいち言及するほどのことでもないですかね?

 彼女の精神性も行動力も素晴らしいものだとは思いますが、彼女のNGO的な運動で社会・国家がそう簡単には動かないという気がしています。国や社会が変わる時というのは彼女のような人物・社会運動がもっともっと波及して連鎖して初めて実になるものですからね。良い方向に向かえばいいですが壁は相当厚いんじゃないかな?という気がしていますね。
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