てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

続『平和の代償』

 

J-49 平和の代償 (中公クラシックス)

J-49 平和の代償 (中公クラシックス)

 

 

の続きです。

Ⅱ、ダレス・アイクの核戦力に寄る大量報復作戦は53東独、56ハンガリーで慎重になったこと、またインドシナ・台湾・レバノンなどで通常戦力の脆弱性の問題が明らかになり、核に頼る手段を放棄せざるを得なくなる。またスプートニク・ショックで、米が最早世界の第一パワーでないことがあらゆる情報網が伝えていた。今の核戦略では、破滅か屈服かの二つの選択しかないとその危険性を、大統領選挙で常々ケネディは訴え続けた。ケネディマクナマラが目指したのはそのノーチョイスからの脱却であった。マクナマラアイビー・リーグの俊秀を集め軍事官僚機構、「世界で最も荒涼で陰鬱な蟻塚」を自分の王国に変えた。

 

 マクナマラはオプションという言葉を好んだ。世論や状況、相手の意図を誤って受け取り、一つ一つ取るべき選択肢が少なくなっていくことを避けるためにマクナマラの戦略は構築された。最悪の戦争、全面核戦争の勃発を防ぐこと、ノーチョイスの状態に追い込まれて破滅か屈服家の選択をするような状況をそもそも作らないことを念頭に置いて作られている。そのためには相手を追い込んではならない。エスカレーションしないように使える戦略の多角的体制を整える。説得・交渉が重要であるから、敵との交渉は常に開けておき、有利に進めるために通常兵器の拡充をする。

 

 全面核抑止戦略・局地戦略・特殊戦略(ゲリラ戦)という段階に抑え込んでいくというのが、マクナマラ戦略。最悪の手段から、より害悪が小さいものへ抑えこんでいくエスカレートしないようにしていくというもの。60年頃、米ソ共に核先制使用によって絶対的軍事優位に立てる時期があった。その第一撃、相互の恐怖からくる反射的・偶発的な行使をいかに抑えこむかということにマクナマラの全神経は注がれた。

 ※だからこそベトナム戦争というズルズルがあったわけですね。核戦争という最悪から比べたら、局地のゲリラ戦で封じ込めることくらい大したことないという感覚になるのも必然でしょうか。

 

 57年、フルシチョフスプートニクの成功を背景に米人記者のインタビューに、我々のミサイル、工学技術がどこまで進むか限界はないと恫喝し。59年には通信員に世界中の敵を一掃するだけのミサイル・原水爆があると述べ、60年の初めにはソヴェトは世界最強の軍事力を持つと言った。しかし61年、マクナマラはミサイル・ギャップの神話を否定し、マリノフスキー国防相も米ソが対等だと表現が弱まった。

 

 そこで61年フルシチョフの西ベルリン自由都市化宣言からベルリン危機が起こり、結果失敗し、フルシチョフの面目は丸潰れとなった。そしてキューバ危機に至るわけだが、どうしてフルシチョフキューバに核ミサイルを持ち込もうという冒険に出たのかは謎(書いてあるとおり、おそらくはベルリンでの失敗による自身の権威の失墜とその回復だろう。偉大なカリスマスターリンを否定して、自分がそれ以上のカリスマにならなければいけなかったフルシチョフとしては当然の判断だったのではないか?そもスターリン批判も安保の要請上、このままでは西側に勝てないというものから出てきてそう)。

 

 マクナマラは強硬派の即時基地攻撃を主張するのを退け、海上封鎖に出て相手の選択に任せた。敵の退路を断たずに理性的な選択を迫ったのだった。強硬に出てもカリブ海周辺の制空権・制海権を持ち、OASラテンアメリカ諸国が米を支持している上で勝ち目はなかった。臨検・拿捕の屈辱を避けるには対決を避けるしかなかった。キューバ危機はマクナマラの多角的オプション戦略の完璧な例証となった(※一度完璧な成功・結果を残した以上、これをさらに変化・変更させてベトナム戦争で答えを導き出すのは難しかったということですね)。

 

 核戦力や通常戦力の優位、及びその両方というだけでは説明がつかない。キューバでは通常戦力で優っていても、ベルリン危機では西ベルリンの人質、通常戦力では劣位にあった。マクナマラの戦略の正しさがあってこそ。そして結果生まれたのは、米ソともにお互いの既得権益を承認しあう、現状維持の積み重ねだった。

 ※冷戦→ベルリン・キューバ危機→二大国の合意・冷たい同盟の成立。ただし、ソ連のような革命勢力によって、世界の変革は至上命題であって譲れないという国内構造を持っている。故に、この合意はあくまで「核戦争」をしないという合意になり、ソ連ベトナム戦争以後、中ソ対立にケリがつけば再び「通常戦力による限定戦争」による新冷戦を開始する―とまあこんな流れですかね。

 

Ⅲ、毛沢東戦略の挑戦、がしかし、そのマクナマラ戦略が毛沢東の戦略によって最大の挑戦を受けている。1400万中、1200万人が農民という国家構造の中、いくら大衆と隔離された政権を支援しても、米のそれが実ることはない。北ベトナムを北爆して、なんとか中国の支配を除きたい。米ソ間ではある程度の合意が達成されたため、ソ連の指導下に追いやって、そこで合意を取り付けたい。人民日報の社説にある通り、米がそのままいれば帝国主義であることが明らかになるし、退けば張子の虎であることがわかるので、中国にとってはどちらでも好ましい。米としても、ベトナムの重要性故にわかっちゃいるけどやめられない。

 

 リースマンはソ連とは合意できても、中国とは不可能と考えたし、キッシンジャーは75年までに中国がソ連並みの核を持つことに恐れおののいた。中国には相互抑止の概念が通じないから。毛沢東は核戦争で世界の半数が死んでも、その半数は生き残って帝国主義を打倒し社会主義を作ると言ったし、周恩来は核戦争では、米が1000万、ソ連が2000万、中国は3億5000万生き残ると言った。また反唯武器論というものがある、兵器や原爆は戦争の勝利を決定づけない。最終的に重要なのは人であるという考え。人命を尊重する米の工学的戦争観とは真逆の発想であり、それゆえに米の戦略は通じなくなり、無効化されてしまう。もたざる階級の「助けてくれなければ死ぬ」という脅迫戦術をうまく用いている(上層階級は、下層を救うことが出来なければその指導性、リーダーシップ・社会運営・経営能力を疑われるから)。

 

 リデル・ハートは30の重要な戦争の内、24が主力との正面攻撃を避けた「間接的・迂回アプローチ」によるものと結論している。毛沢東の持久戦論も同じ、勝てるまでは徹底的に対決を避ける。これも米の即戦即決主義と真逆。米の戦略は見事なまでに中国とは咬み合わない、思考のベースがまるで異なる。

 

 中国は最終的な対決まで、後進性を克服するまでの時間を稼ぎたいと考えている。また内政との関係上、対外危機を利用して政権の求心力に転嫁している。人民公社に大躍進、多数の民を統治・管理するのに危機を利用するのは国内統治上必要不可欠。

 ※文化大革命(66~76)は、ベトナム戦争(トンキン湾事件64~終結73)と確実にリンクしているでしょうね。その影響を考慮するのをこれまで忘れていました。なんでこんな当たり前の事スルーしていたのか?泥沼のベトナム戦争という背景には、中国の強行的な姿勢・狂気があったことを考慮しなくちゃいけませんね。そもそも中国と合意が引き出せれば戦争する理由がなかったんですからね。

 

 人間は堕落するもの、そうさせずに自力更生で技術的劣位を追いつくためには、西側のような異国の情報を遮断する必要がある。中国はそういう意味では封じ込められたい。※しかし、自力更生で技術的劣位を覆す、追いつくということ自体がまず無理で、堕落しなければイケるとかそういう問題じゃないですからね、そもそも。

 

 カール・ドイッチェ教授は、南ベトナムの喪失は日本が第一線になることを意味するから、日本も自衛隊を派遣すべきではないかと言った。西欧知識人には常識からくるこの客観的な認識が日本にはない。スタンリーホフマン教授は、リースマン教授の目の前でリベラルの平和運動を激しく批判した。こういう厳しい知的雰囲気が日本には欠如している。

 

 非武装中立という言葉は「丸い豆腐」とでも言うような語義矛盾を含んだ言葉で、ドイッチェ教授に説明してもわかってもらえなかった、そもそも概念としてピンとこない。防衛とは自分のためにやるものであることは前提だが、それは他者のためでもある。妙齢の女性が最低限の自己防衛を心がけるようなもの。過少防衛で力のバランスが崩れれば、相手の攻撃を招きかねない。その迷惑さは言うまでもない。※非武装中立というものは素晴らしいとは受け取られない、むしろ問題を引き起こしかねない困ったものと受け取られると。

 

 

二章、日本外交における拘束と選択、66年ソ連の要請による椎名外相の訪ソ、日ソ接近。「自主外交」への期待、対米従属外交への反発というムードに基づく中国との国交回復論に不安を感じざるを得ない。

 

 戦前の外交の失敗の基本図式とは、外務官僚の石橋を叩いてもわたらないという保守主義、そして何も知らないがゆえになんでも可能であると思う国民の全能感、及びその両者の認識の際に基づく齟齬と。ハロルド・ニコルソンですら、英国民が外交に相手が存在するということを理解しないことを嘆いている。※例えで純朴な田舎青年が都会の娘に恋心をいだいて、相手を自分が好きになれば、相手も好きになってくれると思うが如き国際政治感とありますが、ようするにストーカーですね。基本認識がないゆえのストーカー化現象ほど忌むべきものはないですね。

 

 ブローガンいわく、米には「孤立主義」に基づく「全能の幻想」が存在すると。ビスマルクが「政治は可能性の技術」というように政治・外交は極度に限定された閉じられた世界における選択であることを誰よりも痛切に知っていた。知れば知るほどその選択の可能性は狭まる。

 共和党三代の大統領の「無為の蓄積」により第二次世界大戦へと至った。ベトナム戦争はそれまでにもやはり「無為の蓄積」があり、大衆の「全能の幻想」に拘束された結果であったと。

 

 仏のゴーリスト・西独の右翼政治家がなぜ中国を支援するか?中国のパワーが増大すればその分ソ連はそちらに軍備を割かねばならず、その分欧州が安定するという冷徹な計算による。※当然、中国が革命勢力の本命になっている時代、米が最も警戒している相手を支援しようというのは、最悪の手、悪手。それを理解せずにド・ゴールを持ち上げる世論の声があるのは異常としか言えない(理解したうえで何らかの意図から評価するならともかく)。

 

 現代日本政治は、学生も代議士も「運動の快感」にとらわれて狂奔している。現代日本政治の構造は、保守官僚の「無為の蓄積」と大衆の「全能の幻想」と政治家の「運動の快感」のバランスの上に成立している。このバランスが崩壊して「愚者の楽園」に至る誤った選択をしないとも限らない。※当時、反米と言って、共産主義に共感するような反米帝があったことはわかるけど、自主独立による反米がそこまで強かったのか?ちょっとわからないところ。

 

 冷戦はソ中の革命勢力によって動揺した西側が、援助を通じて多角的な力の均衡を取り戻す時間を稼ぐという構造を持っていた。故に時間が経てば米軍は後退し、自力による防衛が求められる構造になっている。「弱者の恫喝」によって米から多くのものを引き出すことに成功してきたが、それは当然弱者である間だけ、永遠には続かない。

 

Ⅱ新しい冷戦と冷たい同盟 南ベトナムからの撤退を決めていた米だったが、中国の接近「死の接吻」によってそれは不可能になった。米を退けたという勝利の果実を、相手に渡すわけにいかなくなった。中国は南ベトナム民族解放戦線勝利を1965年に設定し、核爆発・アルジェでのAA首脳会議、各地での民族解放闘争の支援及び激化、インドネシアでのクーデター工作などこれを念頭に置いたと考えられる。アジア・アフリカにおける革命のヘゲモニーソ連から奪う目的。

 

 北爆、エスカレーション戦略はベトナムにおいては効果を持たない。しかし対中国の威圧効果という点では意味がある。

 

 反共イデオロギーによる中国封じ込めを狙ってベトナム戦争をしているのではない。力の均衡を重視した結果、そこを見落としている言論が多い。ソ連の対日接近は中国を念頭に置いたもの。※―であり、根源には中国の軍事力の増大がある。領土問題は重要だとしても、根源的には中国の軍事力の増大とその意図が読めない所、潜在的な恐怖によるもの。中ソ対立は「不信」の結果であろう。

 

 その反射的結果として、米ソの了解が出来た結果、中ソの対立が深まっていった。米ソによる中国包囲網を懸念した。AA会議やAALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ)連帯会議でソ連の巻き返しにあった。民族解放、反米反ソ闘争という自分の視野を押し付けた結果の失敗。過去の自国での成功体験から、自己本位の「民族」視点の政策を押し付けてしまった。中国のパワーが増大すれば、漢民族ヘゲモニーの警戒感が増すのは必然。米ソの援助を中国が上回れないのも大きい。諸国にとっては「花より団子」で米ソが重要になる。

 

 米ソの冷たい同盟により、時間はかかるが、ホーチミン政権が中国よりもソ連を選び、ソ連の主導下において決着するだろう。ソ連が米に対してではなく、中国に対して勝利するという形で決着することで、米のメンツは救われることになる。

 

Ⅲ、日本外交の目標と戦略 日韓国交正常化で、日韓協力により韓国の経済成長は北朝鮮を刺激する。その戦力差を埋めるために北はソ連に支援を要請するだろう。日本はそれに先んじて、ソ連と関係を改善しておく必要性がある。「間接的、迂回的アプローチ」によってソ連から外交をすすめることで北・中国に対処せよと。南北和解を進め、シベリアなどの非武装化を一体において進めるべきと。ソ連の次はモンゴルがポイントになる。中国との国交交渉の際にソ連との交渉力は重要な材料になる。

 

 p131で、永井は後進地域から平和部隊の訓練育成を行い、日本でもエリートコースを歩めるような制度を作るべきだと提言していますね。面白い。

 

 「領土不併合」の原則に反しても、次の「トビ石作戦」を避けるために「潜在的主権」という奇妙な名目で沖縄を占領、基地化した。小笠原諸島を返還しない理由は、日本が中立化した時のため。つまり安易な中立化を志向したら再占領の悲劇を招くことになる。中立化・非同盟化ということは、そういうリスクをはらむもの(果たしてそれが実際にどこまで理解されていたのか…)。米から一歩離れて、共産圏に一歩歩み寄る行為を意味する。永井にとってのベトナム戦争とは、米の防衛最前線にいるリスクをとるか、それとも中国の攻撃目標に晒されるリスクをとるかということだった。

 

 意図はともかく、「能力」からいって日本の「脅威」の優先順位は米・ソ・中。※中立化はその米の脅威に意図を持たせることになる愚行というわけですね。

 平和・中立を唱える革新陣営の最大の欺瞞は、孤立主義による平和追求をしながら防衛努力を追求しないこと。それを厭う心性にある。『沖縄―政党と政治』には、沖縄が日米安保の対象になっていない、日本が沖縄を守ろうとしないことについてショックを受ける記述がある。かのように自国の安全を求めながら、それに相応する努力をしない、見返りを払おうとはしない態度について警鐘が鳴らされていますね。

 

 ガロワの核戦略論はナンセンス。単独核武装核は抑止としては機能しない。起こりうる戦争は、電撃戦による反撃の余地を許さない短期での決着。それにより既成事実を積み重ねること。または周辺地域でのゲリラ戦・長期消耗戦の二種類のみ(※これは現代でも共通すると言っていいのでしょうか?)

 

 自主外交は核武装では達成されない。米に信頼と安心感を与え、徐々に安保体制から脱却していくことこそが日本が取るべき道。保守の対決派は中国の脅威を過大視し、小選挙区制・改憲再軍備ということを考えているが、これは対抗する統一戦線を促すだけ。これこそ中国の思うつぼ。※現在そういう結集もろくに出来ないところを見ると、果たして彼らが団結できるのかという気もしますけどね。

 

 「正義」より「平和」を上位に置く、平和主義者は、現代の革命勢力の「正義」を「平和」より優先する状況の前に無力である。いい言葉ですね、これ。正確には、核兵器が革命的正義を消滅させた現代、両者とも20世紀に生きる人間ではない―ですが。

 

 

国家目標としての安全と独立

 戦後正教となった「平和と民主主義」が丸山の言うように深刻な思想的挑戦を受けてこなかった。いきなり正教になってしまったがゆえにナショナリズム新現実主義に大衆が惹きつけられる。永井の論文は正教・聖域への警鐘を鳴らすためのもの。前二論文への反論への回答

 

 ソフトパワー以前に、すでに権力と勢力、ロバート・ダール氏の支配潜在力と統合潜在力、関寛治の強制による力と合意の力という観念が既にあったと。戦後米一極になって改めて必要になった概念というだけですかね。

 

 永井はベトナム戦争を大失敗は回避した、あとはその失敗が中になるか小になるかと書いてますが、どういう評価なんでしょうかね?中国の革命路線が頓挫したという意味では成功とも言えるのですが。非人道的行為で米の威信を損なったということでしょうか?

 

 中小国にとって核武装は国際社会での地位の上昇を意味する。しかしそれにより周辺を不安定にするために、孤立を招く。平和や安全には却って逆効果になる(独立という点では効果があるかもしれないが)。強制力として核は使えないし、却って行動には自制が求められて選択を減らすことになる。

 

 仏の核武装は、米を見捨てさせないためという見方もできるが、それはむしろ逆効果。米仏の関係を悪化させ、仏を守るどころか見捨てる方向に働く。人口密度の高い島国日本において、核の効果は絶大であると錯覚しがち。核は万能ではない。むしろ核武装は「挑発」となって、逆行になる。

 

 冷戦の始まりにおいては、多くの中小国は「独立」よりも「安全」を優先した。しかし時代が立って、米ソの「核マヒ」によって安定性が生まれると、「依存」よりも核武装によって「独立」を求める動きが出てきた。それが中と仏。人間は求める「福祉価値」と「名誉価値」がある。生存への欲求が満たされれば、名誉を望むのは当然。

 

 まあ要するに、中国の意図の見えない核武装を前にして、米に頼っても大丈夫なのか?米は核攻撃リスクまで引き受けて日本を防衛してくれるかという懸念があったということですね。核武装をすれば、「安全」も「独立」も一挙に達成できるという思考になったと。

 

 憲法学者小林直樹氏への反論があるのが面白い。米を敵に回すなというなら、なぜ中国を敵に回すなと言わなかったのかという氏の指摘に対して、米中を同時に味方にすることなど国際社会では不可能であると回答。そして中国の基本外交路線がアジアからの米国勢力の駆逐ということを見れば、日本の中立化とは中国の勝利であり、米の敗北になると。それ故に中立化というのはナンセンスだし、憲法9条から氏の言うような自衛隊の漸増というのは導き出せないはずではないかと永井は言う。

 

 改憲においてはいつ・誰がという問題があり、プラスの方向に持っていくためには自民党右派が影響力を失った時、そして完全な従属を求めた吉田政権を輩出した自民党以外であるべきだとのこと。※それこそソ連が崩壊して、「統一ロシア」に政党が変わっていったように変化を遂げてから主張すべきでしょうね。

 

 久野・鶴見の『現代日本の思想』から顕教密教を引いて、戦前の日本は大衆は現人神という顕教を信じていたが、エリートは天皇は最高機関・立憲君主という密教を共通理解として動いていた。軍部は顕教によって、密教を駆逐することで実権を奪っていった。戦後は吉田茂憲法9条を盾にして経済成長を達成するというのが密教となったという話が面白いところですね。

 

 最後の奴はほとんどメモることありませんでしたが、まあこんなところでおしまい。