てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

『平和の代償』から中国の革命路線とベトナム戦争について

J-49 平和の代償 (中公クラシックス)/中央公論新社

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 放置していて読んでいなかったのをとうとう読み終えたので、本格的な話は後にして。今回単独で書いておきたいことを触りとして。

 ベトナム戦争について多くの人はどんなイメージを持っているでしょうか?米の非人道的な面が現れた、不必要な戦争であった。言葉こそ違えどだいたいそのようなイメージで語られ、米外交の汚点として記憶している人がほとんどではないでしょうか?

 開戦の経緯から、工学的戦争観(あらゆる手を使っても効率を優先して勝利する。そのために相手国・人にどれだけ被害をもたらしても構わないという価値観)からもたらした被害を見ても、米の語る「正義」というものが著しく偏ったものであり、異常なものであると世界中に暴露されたものでありました。

 米というのはやはり歪んだ国・おかしな国なのだという視点はさておき、ここで見過ごしてはならない重要なポイントが存在します。それはそもそもベトナム戦争について、米はする必要がなかった。しかしそれでも米は戦争に突入せざるを得なかった。なぜならそこには裏に中国がいたから。中国が「革命」の輸出を志向していたからです。

 キューバ危機など米ソの衝突・核戦争の危機がありながらも、どうにかその危機を回避し、今後の現実的な衝突すらもお互い避けて行くという合意が出来、ソ連が革命の輸出という重要な主張を退けることになりました。しかし、中国はそういう共存路線をやすやすとは承認しなかった。ソ連の変節に激しく反発しました。

 共産主義VS資本主義という図式に固執して、最終的に資本主義を打倒して世界を共産主義の世の中にするというテーゼを捨てることをせずに、核武装どころか核戦争すら辞さずという態度を取りました。

 米の外交の目的としてソ連の革命輸出、革命をめぐった衝突を回避するというものから、「中国の革命輸出を回避する」へと変わりました。メインターゲットはキューバ危機以後は中国と言っていいでしょう(もちろん、時代・領域・場所によって優先順位は変わりますが)。

 元々、ベトナム一国が共産主義化しようが大した話ではない。しかし中国が革命を浸透させようとするのなら一大事。要するに中国の影響力増大、ひいては核戦争の危機にまでリスクがドンドン増大していくことが想定されていたわけですね。

 ケネディからジョンソンそしてニクソンにいたりようやくベトナム戦争を終わらせることが出来ましたが、ニクソンが優秀で、ベトナムではなく中国を交渉相手として戦争を終らせるという戦略を持っていたから戦争を集結できたというわけではなく、そもそも「対中国問題」としてベトナム戦争は始まっているわけですね。

 無意味な仮定ですがケネディニクソンの大統領の任期がずれていたならば、ケネディでも中国を交渉相手として戦争を集結させたでしょう。

 ベトナム戦争の非人道性は米の汚点として誰もが知っている・記憶しているわけですが、その背景として「中国の革命路線」&「核武装」があったことを明確に理解している人というのはどのくらいの割合で存在するのでしょうか?

 中国が革命というものの愚かしさ、非現実性にさっさと気づいていれば、このような悲劇はもっと早く終決できた。中国人民だけではなく、周辺諸国さえも巻き込んだ。この教訓をもっと中国指導者は記憶して悲劇として語り伝えるべきことではないでしょうか?

 日中関係史のところでこういった点を重要なキーポイントとしてあまり触れていなかったと思います。二国間関係史といえど、中国の革命路線とその放棄というのは中国だけにとどまらないインパクトを持つものと言っていいでしょう。「日本の敗戦」というものは一つの時代の転機・その戦争の惨禍がもたらした悲劇などは語る上で重要なものだと理解され、そういう記述が必ずあると思いますが、それと同様に「中国の路線変更」という変化ともたらした惨禍・悲劇については少し(というかかなり)比重が弱い気がします。

 おそらく、世代的に共産主義の悲劇というものを知っているから、「常識」だからそういう感じになるとは思いますが、若い人のためにもキッチリ書かないといけない。そこを軽く扱ってしまうと歴史の流れが捉えられなくなる重要なポイントだと思いますね。