首相辞任の慣習の崩壊と自民党の「共産党化」
短いので前回のフィリバスターとまとめて書こうと思ったが、立憲政治の慣習という大事な話なので分割。
安保法案が成立したら、当然野党は辞任を求めるだろう。「あなたの尊敬するおじいさんは、法案成立に伴う社会の混乱の責任をとって辞任をした。あなたも潔く職を辞すべきだ!」というロジックを持ちだしてくるだろう。これに安倍総理はどう応えるのか?
憲政の常道からあまり好ましいものではないとはいえ、首相が職を辞する代わりに重要な法案を通す。己のクビを代償に話をすすめる、物事のけじめをつけるという慣習があった。
トップが責任を取るという慣習という話と、最近の大臣の辞任しない話とも繋がるかもしれない。五輪会場で莫大な金を使って作るのに、さらに予算が膨らんで、これ以上費用の削減が出来ないという話になった。しかし世論の反発が強いと見るや、アーチを作るのをやめたとはいえ一転、急に安くなった。またエンブレムが盗作という問題も立ち上がった。それでも大臣が責任を取らなかった。
首相も大臣も、政治上の過失で何ら責任を取ることがない、取る必要が無いと考えれば、「無責任政治」が蔓延する。それこそ中国共産党のように、内輪の権力闘争上などの論理でしか辞職ということが起こらなくなるだろう。民意を顧みない自民党の一党独裁政治は、旧共産圏・東側・ソ連陣営における共産党と変わりがない。自民党の「共産党化」と言っても過言ではなくなる。
首相のクビを差し出す代わりに審議をうまく進めるという慣習がこれまでにはあった。これこそが短命内閣・コロコロ総理大臣現象を招いたわけで、あまり良い慣習とはいえないと言っても、慣習無視には変わりがない。これがどういう結果をもたらすか?
これまであまり見られなかったトップの権限の拡大というのは、現代政治情勢を考えると好ましいことに見える。が、それが立憲政治の慣習を平気で無視する安倍晋三によって行われたことを考えると、それが何を意味するのか言うまでもない。
少なくとも今後憲法に続いて、国会の権威・意義までもが、ますます軽くなるのは間違いないだろう…。後世間違いなく憲法・国会・選挙、三点セットで死んでいる、機能不全と化したとみなされるだろう。