シリア情勢の混乱とカダフィ抹殺の繋がり
シリアに軍事介入 ロシアはなぜアサド政権を守ろうとするのか? ―で思ったこと。というか、まあメモ程度ですね。
冷戦期に、大統領アサドの父親はパイロット訓練をソ連で受けていた。シリアからの留学生を受け入れて、シリアへの影響力を増やそうというソ連の戦略があったわけですね。そのため、シリア留学生とロシア人女性の国際結婚が進み、今でもロシア人がシリアにいると。
シリア情勢介入には、ロシア人の生命・身体・財産確保という大義名分があると、まあいつもの理由ですね。
で、アラブの春の流れで、2011年1月チュニジア→2月エジプト→リビアと連鎖的な政権転覆が起こったわけですね。大規模な反政府運動がリビアであって、その拠点都市がベンガジ。カダフィはベンガジに向かって進撃、ここで虐殺の問題が起こると。
国連安保理でベンガジの市民を守る人道的な軍事介入が決議されると、ロシアは拒否権を行使しなかった。するとNATOはそれをいいことに、軍事介入を継続・拡大。リビア軍を解体し、カダフィ殺害にまで至った。安保理決議の人道的介入の範疇を超えた軍事行動に及んだと。当然ロシアは騙された!人道的問題の解決だけではなかったのか!と憤ったと。
アホですね。リビアでカダフィを排除したから、結局シリア情勢でロシアの協力・妥協を引出なくなってしまったと。米のイラク戦争でのフセイン殺しを笑えない、欧のリビアのカダフィですね。シリアだけにとどまるといいですが…。
なんといいますか、冷戦時代(末期にしたほうがいいかな?)はこういう相手を追い詰めるというか出し抜くような行為はしなかった。こちら優位で外交の決着がつくときは、必ず相手の意向をある程度尊重する姿勢を示した。
相手を追い詰めたらというか、ゼロサムゲームでこちらが得、相手が損という対立構造に追い込んでしまえば、相手は次は負けねぇぞ!と強く反発してしまう。孫子の相手を囲んだら、必ずどこか空けといて逃げ道を作っておきなさい。そうしないと必死になってこっちも手痛い目を食らうから―というものにあるように、相手を追い詰めることはしなかった。
そういう貴重な教訓というか、外交の知恵が今の指導者層・外交担当者になくなってるんじゃないですかね?カダフィ排除にロシアの意向を聞き入れなかった、考慮せずにレジーム・チェンジしてしまえば、そら反発招きますよね…。どうなってるんですかねぇ。
シリアに存在する海軍基地タルトゥスの話は以前書いたと思いますが(ロシアがシリアのこの基地を借りて使用している)、これを喪失するリスクからクリミア半島進出、海軍基地確保という意味合いがあったんでしょうかねぇ?
シリアでチェチェンの急進派が戦っているとか、チェチェンのテロリストは今シリアを主戦場にしているんですかね?彼らとISは相容れなさそうですし、どうなるんでしょうか?なんか情勢が悪化するごとに、その国のテロリストや急進派が増えていく感じになるんですかね…。エジプトがこけたら、エジプト内の同胞団がテロリスト化していくんでしょうか…。
関係ないですけど、この記事にあるプーチンの写真見て、プーチンって意外と小さいんだなぁ。身長ぐぐったら170センチとありましたが、多分170ないでしょうね。