てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

ラピュタを見ての思いつき、キモチ悪い役立たずでも救う物語が必要という話

 何も書くことないので、いつもの様にテキトーなネタを。1月半ばにやっていたラピュタを見て思ったことです。林原めぐみさんがラジオでラピュタ収録していた当時、田中真弓さん(クリリン・ルフィの中の人)が妊娠中で産まれる、といいながらアフレコをやっていたと言っていたとか。

 子供を産むとき「バルス!」って言って出産したという話にすれば、持ちネタで鉄板にできる。んで生まれた子供に「波流守」って名前をつけようかどうか迷ったとかにすれば、講演で延々食っていけるだろう(笑)。

 ツイッター見てて思ったけど、まあラピュタ好きが多いですよねぇ。宮崎アニメ基本的に嫌いなんで、まあ見ないですよね。何が面白いかわからないので。「もののけ姫」は大好きですけどね。コマンドーなんかはネタとして何回でも見たいというのわかりますけどね、ラピュタは全くわからんなぁ。みんな本当に見てるの?ってレベル。バルスの時だけ見てるのかな?

 「空から女の子が!」の反対は、「地中からオッサン」って聞いて、吹き出したので、もう一から全部ひっくり返したホラーパロディを作って欲しい。『地中の牢獄タピュラ』とか。親方!の部分を含めたら、「使い女!地中からオッサンが続々と湧き出ているぞ!」かな?(笑)。

 んでバルスのつぶやきが少なくて、バルス離れがどうしたとかそういう話がありました。そりゃ何回も普通テレビの前にいて、つぶやくことなんてしないでしょ。テレビに張り付いて実況する固定的な人が一定数いて、後は浮動票・浮動層。何回もやってりゃそりゃ飽きますよ。ツイッター出てすぐの頃に便乗するとかしないと意味がない。テレビで「バルス!しましょう」なんて煽ってたみたいですね。そういうことをしてどれくらいの影響力があるかチェックしたかったんでしょうけど、まあ流れに乗るのが遅い、ネット世論というかツイッターくらいしか知らないですけど、移り気な世論を察知できてないですよね。


 で、この流れで言いたかったこと、気づいたことがありました。物語の一つのパターン、ヒロイン・お姫様の救出譚なわけですね。美しい女性を助けるという古典的パターンなわけですが、そんな中攫われたのが「かわいいお姫様」じゃないと助けに行く気がしない的なものがあって、それを見てふと思ったんですよね。

 ピーチ姫はかわいいor美人だから攫われるんじゃなく、「攫われるから、美人orかわいいヒロインになる」。もう攫われる度に、自分に酔ってそう(笑)。マリオも「オレ、ヒーローだな~」って思ってて助けてますよね。

 まあ悪から無実のか弱き女性を助ける!というのが、強烈な動機になるわけですよね。では、美女・お姫様じゃなかったらどうなるのか?キモくて冴えないオッサンが集団で誘拐されたらどうなのか?今の社会のメンタリティを変えるためにそういった「キモいオッサンを、ヒーロー達がめんどくさがりながらも、しぶしぶ嫌がりながらも、救出する」という作品作らないとダメだという気がしますよね。

 こんなやつ助けてどうするんだっていうクズでも助ける。そうじゃないと後藤さんの時に出てきた自己責任だ!!みたいなトンチンカンな世論・空気は変わらない気がしますよね。変な自制・自粛精神を変化させるにはそういった作品が出てくるのが大事なのではないかとふと思いました。

 まあ墨子なんか攻められて危機にある城を救いながら、きたねージジイあっちいけ!と追い払われるという話がありますが、それに文句ひとつ言わないみたいなね。それだけだと、墨子がカッコイイだけになっちゃうので、まわり回って結局墨子のためになったという話にして教訓譚とすべきでしょうかね。

 本来の意味での情けは人のためならず―という精神が死んで社会の救助作用が働かなくなっている時代だからこそ、そういう精神を駆り立てる作品が見たいですねぇ。

 ※忘れていました。それこそバス事故の際、未来のある学生が犠牲になったという視点ばかりで報道されて、行く場所のない必死で働いていたと考えられる還暦近い運転手の存在が(健康上の問題などがあっていくばくか責任があるとはいえ)まるで案じられることがなかったようなことではいけないわけですね。そりゃ未来ある若者や子供が大事に決まってますけど、普通のオッサン・オバサンがまともな環境で生きるのが難しくなっているという現状を見過ごしてはならないでしょうね。