てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

慰安婦問題で有益な研究をするとしたら

従軍慰安婦問題とは何か

「強制連行」とは何か?

 続きです。連投してそればっかになるのが嫌で間を開けたら開きすぎましたね。まあ今に始まったことじゃないですが。※記事半分以上書いて、カゼて放置したのでもっと開きました(^ ^;)。

 結局、今回の問題の本質はこの制度が導入されていなければどうなっていたのか?ということに尽きると思います。

 丁度、吉見・秦対談の文字起こしがありましたので、リンクを貼っときます。しかしラジオとはいえ、良くやりますねぇ。己なら絶対やりませんけどねぇ。だって絶対話噛み合わないもの。ギャラもらえるからかねぇ?まあここで書いてあるのも事後法・当時の常識といったことを理解しておられないわけだけども。

 そりゃ今の常識・社会から言ったら人身売買で奴隷制でしょうけど、当時はそれがさほどおかしくない時代だったんですから。そりゃまあグレーゾンでしょうけどね。そんなこと言ったら全部事後法で裁くことになってしまう。正義病にとりつかれているんじゃないでしょうかね?

 例えば博打、賭博が将来は完全な非合法行為、とんでもない犯罪行為だ!というのが常識になって、そういう社会になる(博打は社会から完全を姿を消す、道徳として完全にアウトな行為として根付く)としましょう。だからといって、前時代で博打をした人間を、こいつはなんと卑劣なやつだ!なんて糾弾することは全く意味が無いというか筋違いなわけで。

 ※下で水戸黄門を使ったので思い出しましたが、丁度水戸黄門が若いころ浮浪者を試し斬りしていましたが、当時はそういう価値観でそれが普通のことだった。それをもってして非道徳とか、あの偉人がこんなことを!なんていうのは筋違いだと『歴史とは何か』でも論じましたね。

 例えば賭博が法で禁止され完全にアウトになるとする。それで一回でもパチンコとか競馬とか、友達間で賭けトランプをやった過去があるなら、それで犯罪者!と自分が糾弾されることを承認することになるわけですよ?そういうことわかっているんですかねぇ?ある日自分が過去の行為で犯罪者!と糾弾されるその恐ろしさを理解しているのでしょうか?

 麻薬・売春賭博・飲酒・喫煙、それら道徳的にあまりよろしいものではない物事、これらの価値判断は社会や時代によって変わる。道徳的にあまりよろしくない。では犯罪か?麻薬はともかく、社会に害を与えない範囲で規制をするというのが殆ど。実際麻薬は近代化以前容認されていた。現代で殆ど麻薬というものが承認されないのに、ちょっと前までは合法的な存在だったという時代があったことがポイントなのですね。禁酒法が社会に悪影響をもたらしたことがあったように悪い=禁止でなんとかなるようなら、とっくにそういう風に対処ができるわけで、当時の価値基準と社会状況を無視してはいけません。単純に今の価値基準で当時の現状・常識を知らずに問題にすべきではない。

 人間の常識・通念・良識はある程度社会・時代によって変化する。永久不変なものなどない。変化したあとそれを叩くことは自分も叩かれるということをわかっているのでしょうか?戦争だって第一次世界大戦、第二次を経て戦争が非合法なもの、良くないものだといわれるようになった。「侵略」であり、「非合法」なものだという観念が成立したわけで、それ以前の行為は「合法」として扱われていることを見落としていませんかね?

 無論それがいいことかどうかは別の話ですよ?事実西欧では道徳的価値観で言えば、あまり良くないものとなっています。でも当時においては合法。というかそうしなかったら収拾がつかないんですから、そして過去何百年・何千年の歴史においてそもそも収拾なんてつきようがないですからねぇ。話としては力で世界を動かすなんておかしい!被害にあった補償をすべし!っていうのはわからなくもないんですが、日本の場合、謝罪と補償(女性基金)をしているのですからね。落とし所としてこれが限度、これ以上のことを望むのは現行の国際秩序・価値観念から言って無理がある。

 きっと「正義」があるという発想からスタートしているからこうなるんでしょうけどね。正しいものは報われるべき!という発想・理解から、侵略=悪=被害の全面的責任を追うべし!ってことになると思うんですけど、この世の中は「正義」が必ずしも通るようには出来ていない。むしろ正しい価値基準は常に揺れ動いて変わっていくのだから、現実と正義という価値観念が一致することなどありえないわけです。

 韓国併合が不当とか非合法とか言い出すくらいですからね。19世紀の列強のパワーゲームの論理がそもそもおかしい!その主張には賛同はできますけども、現実の国際政治はその延長上のロジックで動いているのですから、今の国際関係・国際力学、ゲームはその論理では動かないんですよ。

 なんといいますか、水戸黄門的な正義!という印籠を掲げたら、相手がへへーっと平伏すようなそういった正義・価値観絶対の世界観で物事を進めようとしているとでもいえましょうか。ですから韓国の外交というのは必ず暗礁に乗り上げるんですよね。自分たち=正義という神話の世界に生きているので、相手状況・世界状況という「場」にあわせる発想がない。

■考慮すべき二点

 で、まあ問題とすべきは①制度を設けていなければどうなっていたか?国家の能力・国力がどうだったか?この二点ですね

 もし、当時日本が慰安婦制度を設けていなかったら、状況は良くなっていたのでしょうか?日本が慰安婦制度というものを整備しなかったら、現地性犯罪が増えていただろうということは想像するに難くないし。もしくはより劣悪な民間業者が日中韓問わず暗躍し、もっとおおっぴらに人さらいをやって慰安所を作り、もっとヒドい状況が生み出されたでしょう。女性の人権どころか、駐屯する各都市で劣悪な環境、闇社会の発展、不要な現地との衝突が促されたとしか思えませんがね。

 次に、当時の日本の能力を見るにもっと整備して不当な差別待遇を減らすことが出来たのかどうか?特別な部署でも設置して、配慮すればもっとまっとうな待遇に出来たのかどうか?ということですね。仮に当時の日本の国力を100として、この問題に割いたエネルギーは僅か5しかない。本来なら10は割けるはずであって、もっとちゃんと出来たはずだ!という視点ですね。

 また、有効になりそうな指摘としては、当時の日本軍が私的犯罪を犯しやすい軍規の低さとそれを引き上げる十分な余地があったことの証明でしょうか。こういった手を打てば私的犯罪を十分に防げた!これを怠った日本軍・政府には業務上過失致死のような不作為の責任がある!ともっていくとか。これならまあわからなくもないですね。

 ①はまあ問題にならないと思いますが、問題になるとすれば②でしょう。そういった研究をこそすべきであって、①云々言っている人は完全に方向性を見失っているとしか思えませんけどね。

 特に世界各国のその事情を研究して、Aはどうで、Bはどうだった。世界的標準はこうで、日本は著しく低かったとかそういう風に論じないと意味が無い。世界的にそういったものが軽んじられる時代であって、以後こういったことがないように待遇を向上させていくとか、最小限の被害に抑えるためには世界的な法・規範をどうすべきか?とかそういう方向に繋がらないで、「戦後日本」で研究が留まっている人はちょっと何のために研究をしているのかよくわからないんですけどね。

 一昔前の戦前の本当の姿はこうだった!的なタブーが取り払われて自由な研究ができるようになった時代の学風を受け継いでいるだけでは最早通用しないと思います。戦後すぐはそういった手を付けられない領域があったので、そこに切り込めば新鮮なことを言えましたが、最早それはやり尽くした、掘り尽くした鉱山でもう金も銀も出てこないって感じですね。

 ある種日本を「悪」として捉えるという形にその学風はなったわけで、戦後すぐはそれで構わなかったんでしょうが、今でも戦前の日本=悪という前提で研究をしたら、どうみても通用しないというか、歪んだ視点にしかならないんですけどね…。あるいは加害者と被害者の視点でしょうか?そういった視点はあまり有益な研究にはならない、そういう価値判断と決別しないといけないのですが、そういった学風はまだまだ消えそうにはないんでしょうね…。一時期それを否定する動きがあって、今の若手政治家を見てわかるように、そういう流れが主流になって、あと数十年もしたら当時はこんな時代・学風が主流だったんだよといわれるようになるんでしょうけどね~。

 前に書いたように、国際規範・法を進める上で日本は今のような賠償を進めて言ったほうがソフト・パワーを得られるし、そっちの方がいいだろうというのが己の主張ですが、こういった感じ、国際世論の反応だとこの問題はスルー、触れないでおくべきということになりかねないんですけどね。正論を言えば叩かれる、なら黙っておくで勝者の横暴・非道がまかり通る世界に貢献してしまうことになりますが…。まあ、確実に良くない結果を招くことでしょうねぇ…。

 軍による慰安婦強制はなかったとツイートしたらネトウヨだ!と言われるとか見ましたけども、問題を正確に、ポイントポイントで区切ってわかってない人が多いですね。軍の強制を認めなくても、それが良くないこと、謝罪・賠償をすべき問題だと考える人だっているに決まってるし、どうも問題の性質とかスタンスを理解できない人が多いですね。脊髄反射的に敵・味方で反応する。

 流石に「従軍慰安婦」に軍の強制があったことは裁判で公式に認められている―というツイートには吹きましたけどね(笑)。学術的業績を司法が判断する日が来たら、歴史学に精通していないと裁判官になれなくなっちゃうだろうに(^ ^;)。

 慰安婦の強制連行の判決というのは二審で。最高裁で全てが却下されてるというのをみて、さもありなん。強制連行の有無、事実関係については争われてもいないし、最高裁は判断もしていない。そりゃそうだわ。つうかさ、裁判が歴史学の領域に足を踏み入れるわけ無いじゃん。歴史学でまず大方がこうだと断定できるようになって初めて後追い判決を下すんですから。政治や歴史学差し置いて司法が動くことはありえないってなんでわからないのかしら。

 間が開いたりして、書くべきことがよくわかんなくなってきたなぁ(^ ^;)。まあひとまずこんなトコロで大丈夫かな?この話は。なんか書き残したと思い返した時があればまた書きます。