てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

肉食妻帯についてのメモ

 金環日食が記録されたのは930年くらい前で、ちょうど鎌倉幕府が今まさに誕生しようとする頃だった、1080年頃に起こった現象なんですよね。当時の人は金環日食を時代の転換点として意識したでしょうね~。

 孫子なんか読んでると月の生死という表現が出てきて、ああ~なるほどなと。月を生き死にするものと考えてたんだよなぁ、昔の人はと染み入りました。月の満ち欠けは太陽が毎回おんなじ形で登ってくるのと違い、死んだり生き返ったりするものとして捉える感覚もあったんだなぁと。

 太陽暦じゃなく太陰暦を採用していたところがあるのも、その明確な変化から月のほうが測りやすいですからね。

 で金環日食鎌倉幕府ということで肉食妻帯の話。肉食妻帯の話は日本の宗教はホント糞やわ!と井筒監督のようにキレている時に思いついたどうでもいい与太話・妄想ですが面白いからメモに書いておこうと。

 法然親鸞にユー肉食妻帯しなよ!と勧めたのは意味不明もいいところ。何故そんなことを弟子に指示したのか?宮崎市定さんなんかイスラム教の影響じゃないか?っていう類推をしてましたけどね。これまでは多分、宗教組織の転換を図った。社会階層上、大衆とはかけ離れている宗教階層をより大衆に近づけるための措置だと考えていました。*1
 まあ今でもこっちのほうが正解っつうか、ああなるほどと一般的な説得力を持つ答えだと思ってますけど、宗教組織というのは独自の戒律で動く一般社会とはかけ離れた社会ですから、それを一般社会に近づける半宗教的な組織に作り変える、一般社会との距離を近づけることでより普及を、新しい社会変革を可能にする必要なことだったのだろうと。*2

 それはそれとして、今回思いついた妄想は肉食妻帯って実は新人類というか、新日本人を作るためだったんじゃね!?というもの。まあ日本人という観念かどうかわかりませんけどね。妻帯という世襲を認める=社会組織としてより血が濃くなるというか、流動性より安定性を求める方向に進む。これはあんまりいいことではないですよね、普通。社会が停滞して格差開きますから。しかしそれが当時は社会背景上必要と考えられたんでしょう。

 肉食=医療という考えもあるように、ある程度肉を食って栄養を豊富にする=長生きとかそういうもの以外に、ガタイを根本的にでかくする。そういう必要性、発想があったんじゃないかな?と考えました。んで、そうすれば肉食って、ガタイが大きくなりやすくなる→世襲妻帯→遺伝で引き継がれてデカイやつが増える→最強集団!かどうかは知りませんが、僧兵なんて武装集団を備えたように、そういう発想もあったんじゃないか?と思いついたので面白いから書いときました。

 そもそも当時の日本人って、肉ウマーみたいな味覚じゃなかったと思うんですよね。江戸時代だって大トロは脂身、脂が乗りすぎて嫌われていたって言いますし。そこまで肉食いてぇ!という人はいなかったように思うんですよ。ひょっとしたら率先して肉食って、民と食い物がかち合わない様にしたのかもしれませんね。棲み分け的な感覚で。食糧事情の要請という背景もありそう。

まあそんなどうでもいい話

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肉食妻帯考 日本仏教の発生

*1:というかよく考えたら、別に大衆と接近する必要性があるのかな?という気も。大衆というより、社会に溶け込むのに妻帯・家庭をもつことが必要だった。それこそインドや中国のように社会の上層にある宗教家が独身・禁欲を貫くことで競争を抑制する、貧しい者への共感を得る必要性が必ずしもない。出家で社会の競争から降りて他者へ譲るまでの熾烈な競争が深刻なテーマとして当時の日本になかったということかもしれません。日本においては独身ということが絶対的な条件ではなかったという社会背景・事情がありそうですね

*2:まあ単純に世襲の必要性なんでしょうけどね、妻帯は世襲しないと組織の継続性が保てないとか弱くなるとかそんなところでしょう