てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

ヘイトスピーチへのシバキ隊について 逮捕は活動家を萎縮させないとかそんな話

 東北大学の沼崎さんが、『日本の差別は、特定の対象を「日本を汚すモノ」と認定し、その「クレンジング」を主張する形を取る。在◯会も、◯発反対も、この「クレンジング」主張という点では同じ』という主張をしていたが、だからこそ今回のように、自分たちの主張と異なるものは排除しようということに成るのだろうなぁと思いましたね。

 レイシストであろうと、ヘイトスピーチであろうと、それを主張しただけでは、デモ活動を行っただけでは、どんなに好ましくない存在であろうとそれで弾圧をしようとするのは自由主義社会の原則に反する。良心の自由・内面の自由を守るためには、そのような者達でも実際に法を侵害する行動なくして裁くのは許されない*1。まあ、今回の場合は個人的犯罪のようなんでそんなに注意を引くような話ではないんですけど。むかしは異なる政治主張をする団体がぶつかることが珍しくなかったように今後こういう事態が増えていくのでしょうか?

 まあ大抵の人にとってはヘイトスピーチをやる人は気味が悪いという感じで、それに攻撃を加えるものについても、好ましくない・不快な存在であろうと殴ることはなかろうにというものでしょうから、いちいち書くまでもないんですけどね。

 ※ついでに沼崎さんはオリエンタリズムって結局レイシズムの指摘なんだけど、サイードはそれをレイシズムとは呼ばずにオリエンタリズムと名付けた。もしレイシズムと呼んでいたら、あれほど読まれなかっただろうとつぶやいていたのをいつか使おうと思っていたので、ついでに書いておきます。なるほどなぁ、と納得したことなのでどっかで書いておきたかったのでここでおまけ的に残しておきます。


 あと、在特会の逮捕が結構前にありましたが、アレもいいことどころかむしろ良くない傾向ですよね。それによって彼らの行動が改まるわけではありませんから。むしろ彼らは自分たちが正しいことをしているがゆえに権力の不当な弾圧を受けているのだと考えて以後もっと活動を盛んにしていくでしょうからね。

 昔の運動家なんて逮捕されてさも当たり前。むしろ箔と言っていい。将来の勝利のあとにはそれが栄光に成るのだから。在特会が逮捕されて喜んでいる人がいましたが、それは根本的に政治運動というものを理解していない証拠。政治運動は「警察に逮捕されると負け」なゲームじゃないですからね。デモや政治運動をやっても警察に相手にされず、メディアに取り上げられるほどの価値もない小さな活動で、一向に大衆から関心を持たれない・支持されない状況こそが本当の敗北ですからね。ですからあのシバキ隊の暴力事件というのはむしろ逆効果と言えるんですよね。

 んでついでに民主主義の精神もある種これと共通しているから、それについても触れておくと、民主主義の精神って、民主主義を守るためなら、笑って獄に打ち込まれ、喜んで首をはねられるというものなんですよね。個人のコストが非常に高く、本当は恐ろしい考えのもとに根付いているということがどうしてスルーされるんでしょうね?

 ナポレオンを暗殺しようとしたスペインの青年が国のためなら喜んで死ぬと言って処刑されたエピソードがあるようにナショナリズム&民主主義はセットのはずなんだが、どうして日本は国オンリーなんですかね?なんで民主主義を守ろうという市民団体はないんでしょうか?変なナショナリズムに民主主義の匂いがかけらもしないのは何故なんでしょうか?その中の一つや二つくらいには民主主義を踏まえた上でそういう主張をするものがあってもいいと思いますけどね。

 大正デモクラシー辺りまでは日本の民主主義は非常に良かった。それが以降衰退する一方になったのは、やはり世界恐慌自由貿易の崩壊、大戦と敗戦及び占領という出来事によるのだろう。以後日本の民主化運動は革命運動に吸収されて死に絶えたというのが拙感想。民主主義者はどこに行ってしまったのか。

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交錯する台湾社会 (研究双書)

*1:昨今の流れから言うともう「ヘイトスピーチ」は言論の自由を保証されなくなるモノなのでしょうが。というかこれまで大々的に「ヘイトスピーチ」差別感情を政治的意思表明するような行動がなかったというべきか