てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

沖縄の事件に見る「アンチリベラルサヨク」という思想

沖縄でまた米軍関係者の暴行事件が置きました(米兵および元米兵ではなく、基地職員のようですね)。この事件についていちいちどうだこうだとコメントする知識もないので、事件について論ずるつもりはありません。気になったのは、この事件をめぐる感想に少なからず違和感を覚えるものがあったので、それを取り上げたいと思いました。

 

 いわく、性犯罪・暴行事件はどこでも起こっている。なぜ、米兵によるそれを取り上げるのか?

 

 言うまでもなく政治事件というのは、いつ・どこで・だれが―という文脈・背景が関係しているわけです。何をする・何を発言するというのも、その人物が持つコンテキスト次第でまるで意味合いが変わってくるわけです。

 

 沖縄という土地で、これまで米兵・米軍関係者が非道行為を働いてきたという文脈・背景を考えれば、今回の事件で沖縄の人々が「またか」という思いで、怒りを爆発させるのは当たり前でしょう。ゴサ暴動の映像で、「お前らは俺達をなんだと思っているんだ!俺達沖縄人をなんだと思っている!日本人じゃないのか!沖縄の人間は人間じゃないのかバカヤロー」という声を聞いたことがありましたが、あれこそ魂の叫びというものでしょう。ああいう思いが沖縄の人には強くある。そういうことを考えればヒステリックに、過剰に反応するのはとうぜんでしょう。

 

 地位協定で裁判にかけられないという前提はあっても、管轄権を今回は行使していないから、それまでのケースとは異なるとかそういう話ではそもそもないわけです。そういう当然の前提を抑えずに、所詮一つの犯罪と捉えて物事を論じてしまう人が少なからずいるのに少し恐ろしさを感じました。

 

 また、米兵関係者の人々が今回の事件を痛ましく思って、プラカードを持って謝罪している姿がありました。当然善良な人がいるわけですから、一部の愚か者の行為に胸を痛めて行動するのは当然でしょう。そういう人まで責めるのは筋違いに決まっていますね。

 

 しかしながら当然、我々が臨むのは無関係な一般人に謝罪をしてもらうことではないわけです。米軍関係者という属性で共通点はあってもそのことで叩くような人はさほどいないでしょう。そういうことが望ましいことであるわけではなく、地位協定の抜本的見直しこそが望みであるのは言うまでもありません。彼らは米軍基地関係者として、その意見を米国内に向けていくべきでしょう。また沖縄や日本サイドもそういう基地関係者の善良な人々と組んで、世論を作っていく・地位協定改定のための信頼関係づくりを進めていくべきだと考えます。

 

 それはさておき、本題の「アンチ・リベラルサヨク」の話。「リベラルサヨク」というのは、本来の左翼思想とは異なって、よくわからない耳障りのいい言葉・理念を並べているあまり評判の良くない思想および思想家を指す言葉ですが、その「リベラルサヨク」の珍妙な発言・行動が叩かれるのは枚挙にいとまがありません。

 

 そしてその「リベラルサヨク」が痛い行動をとった時、発言をした時に、ここぞとばかりに彼らを叩くという人々が一定数いるわけです。所詮拙TLで流れてくる限られた意見なので、どこまで規模が大きいのかはわかりませんが、かなりいるんだろうなと感じました。

 

 確かに「リベラルサヨク」が痛いことを言う人々である。しかし、その「リベラルサヨク」を叩いていればそれでいいわけではない。悪の反対は正義だから、悪=「リベラルサヨク」を叩いていれば良いわけではない。有名な「正義の反対は悪ではない、また違った正義である」という言葉にあるように、彼らの間違いを指摘するでとどまるならともかく、「叩くこと」は正義や正解にはならないわけです。間違いの指摘は間違いの証明止まりであり、正解・違った答えを見つけ出すのはまた別の話。どうもそれがわからない人が多いという気がしました。

 

 これを「アンチ・リベラルサヨク」、略して「アリサヨ」とでも言いましょうか、「アリサヨ」が増えていることに少なからず危機感を覚えています。この「アリサヨ」は消極的自民党支持である傾向が見えて、彼らは自民党に票を入れる傾向があるようです。

 

 どうにかして、この「アリサヨ」という思想傾向を減らして、自民党への消極的支持を止めさせないと、日本の政治・社会改革は進まないという感じがしましたね。最近、どうも大学生くらいまでに身につけた知識・社会常識で世の中の全てを論じてしまう傾向がある。それで満足してそこからいろんな事を学習しなくなる傾向があると書きましたが、どうもこの「アリサヨ」もそれなのではないか?という気がします。大体、世代的にサヨク教育があって、その歪さから反動でネトウヨが生まれたという世代でしょうかね。だからこそ、強烈な反サヨク教育・思想の持ち主にはならずとも、ライトな反サヨク=「アリサヨ」になってしまうのではなかろうかという気がします。

 

 しばらくこの「アリサヨ」というのが日本政治・社会のポイントになる気がしますね。