てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」/集英社

池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」/集英社

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 池上彰さんの高校生からわかる資本論のメモを載せ忘れていたのでいまさらですが、載っけときます。マルクスの時代は選挙がなく世の中を変えるシステムがないから、必然的に革命の理論になった。のちエンゲルスは選挙での変革に言及したが、レーニンは武力革命を追求。今ではチャベス社会主義に変えると訴えて選挙で勝って大統領になったことからわかるように選挙で社会を変えるのが一般的になっている。

 選挙という制度以後、平和裏に変えることが出来るから革命の必然性は薄れていった。やはりレーニン以降の路線は脱植民地のための解放の学問であったり、祖国を防衛するという国防があった故だろうなぁ。要するに弱者・被支配者の学問。「弱者」としての認識と防衛反応がソ連以降の歴史だしなぁ。

 原題は「資本」。論という言葉はつかない。資本の本質を解き明かしたと言いたかったのだろう。 分業により、労働の量・質が交換比率に影響をする。生産された富・財の希少性が高いほど、市場に出回る数が少ないほど、あるいは人気が高いほど高く取引される。

 ならば逆転の発想で他者に生産させなくすれば、自分の財は高く売れるということになる。独占・縄張りの発想が内在されているのは資本主義の問題の一つのポイントだと思う。

 昔の通貨=貝・稲・布・塩。稲=ネ、値段の語源。塩=サラリウム、サラリーの語源。領域・交換範囲が狭い頃はこれでよかった。交換範囲と社会規模が大きくなればなるほど金属の価値が高くなる。コイン、更には紙幣となっていく。紙幣の幣の字はこれまた布。

 資本主義においては、資本家は意図せざる働きによって、否応なく儲けを最大限にせざるを得ない。善人でも労働者を搾取する構造になっている。おそらく組織の問題、規模が大きくなればなる程、自ずから異なった力学が働いていくため。悪事でも組織のために目を瞑ろうという心理が大きくなっていく。

 労働者=時間を売る奴隷?(理解できないが、当時の状況からそういう発想になったのだろう) 。労働者と資本家は一見自由・対等な関係だけれども、実際は資本家が圧倒的に強く、労働者を搾取しやすい。

 バブルのような労働者有利な条件はめったにない。長いこと労働者不利な環境がなかった故、これまでマルクス資本論が人気がなく、今当時と似たような時代・環境になってマルクス資本論に脚光が浴びるようになっていると。ほーら言った通りじゃないか!というマルクス研究の大家が今いない、出てきていないのがなんとも…。

 洪水は我亡き後に来たれ、目先の儲けのために資本は奔走する。社会が強制しない限り労働環境が守られることはない。

 ウォルマートができれば賃銀が下がる。株配当が上がり、賃銀が下がる。賃銀維持のほうが社会・経済的に良い効果がありそうだが、なんとかそういう方向にもっていけないものか?

 資本主義の本質とはいえないが機械化は不可避的な現象、機械化が進めば進むほど賃金を下げる。

 資本論は資本主義のプラスの面の指摘もしている。協同により、生産性が上がり人間の発展に繋がると。また労働者のために教育の充実、人間性を向上させるものがあるとしている。

 ここらへんの利点、資本主義の長所に触れるのが、左翼・進歩主義的な感じがしますね。

 機械は筋肉を排除する。機械化による逆転、人間の都合で生まれた機械が、機械の都合のための人間に逆転する。チャップリンのモダンタイムス=機械に負われる人間がまさにそれを皮肉っている。

 機械は筋肉を排除するー。近代化、資本主義化が規格、一定のフォーマットを求め、個人の「意志」を否定する。機械化の反発ってのがある意味今のガチムチ、筋肉信仰ってのがあるのかねぇ?

資本主義と言うよりは産業・機械化に対する問題だから初期資本主義、古典的経済学とまた少し状況・環境が異なるものとして理解すべきかな。機械化は分業を大いに進めただろうしね。機械に対する適応が必要になるため、学校の必要性が生まれる。

 バブルのような時期にしか賃金は上がらない。産業予備軍の存在によって、正社員の給料も据え置きになる。派遣によって正社員も上が望めない。正社員の給与を上げるなら派遣を雇えばよい。彼らは資本の軽歩兵。軍隊化と軌を一にしている。資本主義は兵隊を作るんでしょうな、やはり。

 池上さんは新自由主義で規制云々論じているけど、必要な規制と不必要な規制、利権を理由とした規制でなく、ちゃんとそこに意味がある正しい規制を無視したら全くことの所在がわからないと思うが…。ココらへんちょっと見当違いな気がしました。

 わかりにくい小難しい文章で資本論は書かれている。マルクスは一体誰に向けてこの本を書いたのか?初版五千部で文学を中心とした記述。それこそ旧時代の通念によって書かれた。本は大衆のものではなかったという通念で。多くの労働者は当然直接理解することなんか出来ないから、伝聞の形になるはず。

 叙情詩だったり、印象的なワンフレーズが心に刻み込まれるように書いたのではないか?口ずさむもの、あたかも仏典の受容のように。内容よりも音や感覚を大事にした気がする。まあでも布教の際に要となる弟子がいなかった、伝える使徒がいないから正確にその教えが理解されることはなかったのだけどね。