てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足 1期と2期の対応シーン:スザク救出劇とゼロ・レクイエム&ルルーシュ≒ユフィ

見直したら文量がおかしなことになってたので分割です。

こちらが元ネタで

こちらが前回・分割元です。 


■スザク処刑のシーンとクロヴィスの御陵車
 ああ、そうそう。意外と気づかれていないのかな?と思ったシーンが有ったのでその話を。stage4「その名はゼロ」でルルーシュがゼロになった事件、スザクの救出劇とジェレミア卿がオレンジになった場面ですね。これが最終回の伏線として機能していたことがあまり指摘されていないのかな?とふと思ったので、その話を(まあ面倒くさいからググって色々なサイトやブログを見ていないので普通に指摘されているかもしれませんが、気になったので書いておきます)。
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(※処刑されるスザクを助けるためにゼロの仮面を被るシーンです)

 ルルーシュルルーシュらしく、策略とギアスでスザクを奪還というか、救出・解放しました。ゼロのデビュー戦(?)として華々しく衆人の中から、目的の人を救う。奇跡を実行するわけですね。ジェレミア卿はギアスにかけられてまんまとルルーシュの罠にハマり、この事件をきっかけにオレンジというあだ名で馬鹿にされ続けることになります。
 この一回目は、スザクがルルーシュの仲間になれという勧誘を蹴って「じゃあの」とスザクは去ってしまうわけです。一回目は、スザクのために危険を顧みず、元から予定の一環だったとは言え、ゼロの仮面を被って命がけで助けようとした。スザクのために仮面の騎士・ゼロとなったわけですね。しかし、この時点では仲間になれというルルーシュの願いは断られた。
 ルルーシュの目的はナナリーという弱者でも生きていけるような「優しい世界」を作ることでしたが、当然その「優しい世界」で平和に生きていける対象として親友のスザクも含まれていた。スザクのことも考えられていたわけですね。ルルーシュにとっては大事な妹と並んで大事な友達・親友枠として譲れない存在でしたからね。大事なパーツ・ピースとしてのスザクでしたが、本当に最後の最後まで思い通りになりませんでした。未練たらたらで1期の最後の最後までスザクのケツを追いかけ回す展開が続くとは、この時は誰が予想したでしょうか(笑)。
 

■ラストのエンディングシーンと1期との対応について
 対照的というほどでもありませんが、最終回の場面では皇帝ルルーシュを補佐・警護担当をするジェレミア卿。そしてその皇帝を暗殺するゼロとしてのスザクという図式でした。細かいところでは御陵車、車を運転していたカレンと扇が、捕虜となって死刑執行されようとしていたという違いがありますが、まああまり重要な要素ではないので脇においておきます。
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スザクを処刑しようとする(軍事法廷へ向かう)護送車両の道を、偽装されたクロヴィスの御陵車が邪魔をする
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カレンが運転手でスザクは捕らわれている状態
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クロヴィス殺害の犯人はこの私だ!という宣言(=皇族殺し)
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ギアスにかかって全力で見逃せという命令を出すピエロ役
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目的通り、スザクを救う。

 二回目・最終回のシーンでは、スザクがゼロとなり、皇帝ルルーシュを倒すという形です。ピエロだったオレンジ・ジェレミア卿は、ゼロ・レクイエムの立役者として警備を担当していますね(マリアンヌの警護役として忠義を果たせなかったことを、今度は真逆の形ですが、重要な役割を果たさせてやることで忠義を果たさせてあげるというルルーシュなりの優しさなのでしょうか)。文字通りジェレミアが踏み台になることで目的が達成された形ですね。
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 ルルーシュが皇帝として憎しみを集めて死ぬことで、世界を救うゼロ・レクイエム計画ですが、そこでは「スザクがゼロになる」という大事なポイントが有るわけですね。初代ゼロから二代目ゼロの跡目継承式というだけではなく、ルルーシュがゼロとして始まり、ゼロとして終わる場面を同じシーン・構図を再現することによって、より象徴的に描き出したと言えるでしょう。ゼロドルを止めて普通の女の子に戻ります(ネタが古い(^ ^;) )どころか、人間まで止めてしまう。自分の身を犠牲にして世界を救うシーンを、より劇的に描き出すのに、最初にゼロになったシーンを重ね合わせる・フラッシュバックさせたんでしょうね。
 ゼロとして終わる、と書きましたが、正確にはゼロとしては黒の騎士団から追放された時点でもう終わってるわけですね。しかし、これまでゼロとして仮面を被り、記号の存在として生き続けながら戦ってきた。最後にここまで生きた証、戦いを終える。ピリオドを打つという意味合いがあるので、ある種ゼロとして終わるとみなしてもいいでしょう。
 それこそ世界平和・「優しい世界」のためにギアス使いまくって無理やり命令をして、強制的に平和を作ることだって可能なわけですからね(当然時間制限付きですが)。そんな強制をせずに自分を消して新しい記号、新しい希望の存在を作ることで、世界をまとめようとした。ゼロとしての自分は消えても、また次の新しいゼロ=希望が世界を導いてくれるという、ルルーシュらしい希望に満ちた最後のメッセージですね。花京院の最後のエメラルドスプラッシュのようなものです。
 これまで死にたがりだったスザクは、双方合意の上での計画ですが、ある種「ルルーシュの最後のギアス」にかかって、ゼロとなったと考えることも出来ますね。スザクは個人・人間としての自分を殺して社会から抹殺した。そのうえでゼロとなって、世界のために生きるという道を選ぶことになった。わかり易い例でいうと天皇陛下でしょうかね?全人格が公人となり、私人としての要素・性格がほとんど認められない存在。そういった存在にスザクはなった。スザクを救いたいという思いを抱いていたルルーシュの願いは、このようにスザクの自我を完全否定、私人としての生活すべてを否定するという「罰」を与えることでスザクを生かす道に向けたんですね。
 過去の罪から死にたがっていた、殉職・二階級特進を望んでいたスザクを「罰」を与えることで贖罪し、生かすことになった。1期でユフィが「愛」によってスザクを救ったのと対偶に近い処置ですが、それでもルルーシュルルーシュなりにスザクを救ったんですね。*1
 希望の存在=仮面の騎士ゼロとしての始まりが、憎しみの存在=皇帝としての終わりという対比として見事に描かれましたね。
 

■ユフィ≒ルルーシュが世界を救った
 あともう一つ、
一番初めのリンク先で、ナナリー=ユフィとしてなぞらえられていると書きました。そしてルルーシュもまたユフィとしてなぞらえられているということも。
 ナナリーが1期のユフィとして話が展開しているということは、特に詳しい説明をするまでもなく、わかると思いますが、もう一つのルルーシュがユフィとして機能したという話は解説しておかないとわからない人も中にはいるかも知れないので、一応書いておきます。昔書いた文章を読めば、改めて書かなくてもわかることだと思うんですけど、一応書きたくなったので書いておきます。
 「繰り返し」ているという事実と、実はルルーシュがユフィとして機能したということを書いておけばもう分かると思うのですが、最終回ゼロ=スザクに皇帝ルルーシュが殺されたというのは、ママ1期で皇族ユフィがゼロ=ルルーシュに殺されたのをなぞらえているわけですね。
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ギアスをかけて自分を撃たせることでユフィを奸計にはめようとするも、ユフィは皇族の身分を返還することでゼロ・ルルーシュの重罪を帳消しにするというプランを明かす。このことを聞いたルルーシュは話し合いでユフィと手を組むことにする。
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が、ギアスが暴走して、結果ユフィは日本人殺戮キラーマシーンとなってしまう。
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ユフィを止めるすべはなくやむなく、狂人と化したユフィを射殺する。この一連の流れをまとめるとだいたい次のような感じになります。
ブリタニアの国是ナンバーズを区別するという方針を変えるために皇帝を目指す(①)ユフィ。ユフィとの話し合い(②)で、皇族の身分を捨てる(③)というユフィの提案を受け入れるも、ギアスの暴走でギアスにかかったユフィ(④)日本人を虐殺(⑤)ゼロ(ルルーシュ)がギアスにかかったユフィを殺す(⑥)
 ユフィは皇族特権を使って、皇族としての地位・身分を捨てる代償に、ゼロ・ルルーシュの罪を贖おうとした。免罪しようと動いていた。自分の身を犠牲にしてまで、ルルーシュを救おうとしていた。
 それと、ルルーシュが自分の身を犠牲にしてスザク=ゼロを救おうとした。世界を救おうとしたというのはママ対応しているんですね。ルルーシュは地位や身分ではなく、自分の命という形ですが、なぞらえられているのは一目瞭然ですね。
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(※皇帝となった(①)ルルーシュが、Cの世界での話し合い(②)で、ゼロ・レクイエムで自らの命を捨てる(③)ことで世界を救う計画を立てた。憎しみを皇帝ルルーシュに集中させて、自ら消えることで「優しい世界」を完成させる。スザクにかけられた生きろというギアスが暴走(④)し、フレイヤを使用。東京租界に住む日本人だけでなくブリタニア人も(おそらくそれ以外の国籍の人間もいたでしょうが)、1000万人以上虐殺(⑤)ルルーシュで言うとギアスを使って戦争を引き起こして巻き込んだ人間だったり、テロの工作活動で一方的に殺してきた数多の人間と解釈することも可能でしょうね(最終戦争で多くの兵士にギアスをかけて操り人形にして利用して殺してもいますしね)。ダモクレスを抑えて、フレイヤを使用したこと=巨大な力を握って支配していることと解釈することも可能でしょうか。
 スザクのギアスの暴走はまあ余計な話④’とでも言うようなものですがね。Cの世界で人々の意志に触れて、皆が明日を願っていることを知った。その願いをかなえるために自分自身に「願い」という名のギアスをかけた(④)。そのギアスにかかってゼロ(スザク)がルルーシュを殺す(⑥)と、まあそういう「繰り返し」構造ですね。
 おまけとして死の間際にあったユフィとスザクの最後の会話、愛する人との最後の会話というのは、ルルーシュとナナリーの最後のシーン。言葉をかわさずとも触れるだけで全てがわかるナナリーが、満足した笑みを浮かべたルルーシュの表情を疑問に思って、触れる。そしてすべてを知って、最愛の兄を失って泣くというシーンとの対応なのでしょう。スザクが最も愛した女性とルルーシュが最も愛した妹という点で対応しているということなんでしょうね。)
 もう既に指摘した話ですが、ユフィがスザクを自分の騎士として取り立てたこと、そして皇帝ルルーシュがラウンズを超える存在、帝国最高の騎士ナイトオブゼロとして取り立てたこと。それらも全く対応しているわけですね。
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 なんでユフィが虐殺皇女の汚名を負ったままなんだ!汚名が雪がれないんだ!みたいなのをどこかで見ましたが、この構造に気づけば一目瞭然ですよね。ルルーシュはギアスの暴走の果てにユフィを殺したという罪を、スザクと世界の救済という手段を通じて、ユフィがしたかったことを変わりに全て成し遂げたわけなんですね。これを見ればユフィへの贖罪は十分すぎるほどなされた・果たされたとわかるはずなんですけどね…。このことについて理解している人が意外と少ないのでしょうか…?
 ユフィはスザクが決して最後までルルーシュがゼロだと言わなかったように、誰かを憎んだり、そういうチンケな感情を持たない聖人なんですよね。ルルーシュもナナリーも、スザクもそして世界のみんな全てを救いたかった。それこそが彼女の目的であって、その果てに自分が死ぬということも厭わなかった人物・キャラクターなんですよね。皇族の地位を返上してまでルルーシュを救おうとした時に、「最愛の姉、コーネリアとだって今と同じ関係じゃいられなくなる。バカじゃないか君は?」とルルーシュが驚いたように、関係ない他人のためにそこまで出来る人間なんてそうはいないわけです。ルルーシュで言うと、ユフィのためにすべてを捨ててナナリーとろくに会うことも出来なくなるという選択肢を選ぶということですからね。そういう選択を、ナナリーが「ルルーシュさえいれば他には何もいらない」と言ったから、その言葉を聞いただけで決心がついて自分のすべてを投げ出したというのですからね。
 そんな献身という言葉を体現したような人間、シュナイゼルのように皇族として人を見下さない「一人の人間ユフィ」*2となら、明日を作ることが出来るとルルーシュは事前計画を一旦破棄したように、世界のために自らを省みない想いこそが、策略や偽り・陰謀、権謀術数に勝ったんですね。
 今から思うに、この時点で世界平和のために、皆が笑って平和に暮らすことが出来る「優しい世界」を作ることを願っていたユフィのギアス(願い)に二人共かかっていたとみなすべきなんでしょうね。そして、ルルーシュとスザクが手を取り合う・協力するというユフィのギアスにかかって憎しみや復讐を乗り越えて協力、ゼロレクイエムを実行することになったと。 
 ユフィの願い、行政特区日本という枠組み=皆が仲良く平和に暮らせるシステムは、合衆国日本という世界的規模の形をとって実現した。ルルーシュとスザクの手によって見事に昇華され、現実化した。ユフィの遺志が果たされたということですね。

 ※追記、思いついたので追記。1期のラストでルルーシュはユフィを殺したことで狂ってしまいました。初恋の人を殺めざるをえなかったという苦しい現実に直面して、本来の自分を見失い、おかしくなってしまうわけですね。それでスザクに対して冷静に話し合い・交渉ができずに、ユフィを殺したことを「過去」と切り捨てて、お前も父親を殺しているだろうという暴言を吐きました。そしてスザクも親友を売って出世するという道を選んで、以後はおかしくなっていくわけですね。愛する人を守れなかった苦しみでより、結果を残さねばと異常に&今まで以上に、自分の正義にこだわるわけですね。
 また、言うまでもなく、返してよ!私の女神様を!と言っていたユフィ信者だったニーナもおかしくなっていました。フレイヤ・核を使ったという伏線はあれど、ユフィを失っておかしくなってしまった三人がいるわけですね。この三者三様のユフィを失っておかしくなったトリオが、ゼロレクイエムを通じて全うな道に進んでいく、立ち直っていく・正常化するという展開なんですよね。ユフィを失うことで狂った三人が、ユフィの遺志を継ぐ・やろうとしたことを引き継いで実行することで、自分の道を見つけ出す。あるべき姿を取り戻していくという構造を考えるとより最終回&その前の決戦シーンを楽しめるのではないでしょうか?

 とりあえず思い出せたことと、思いついたことを書き連ねました。2日で終わるかと思ったら、3日かかったか…。新作映画についてのちょっとした予想みたいなものを、映画公開前に書き終わるだろうか(^ ^;)。結構やっつけ感があるので、あとで追記修正をまた何度でも「繰り返し」て行いたいと思います(_ _)

*1:ここだけ切り取ってしまうとスザクが一方的に「罰」を受けているように見えてしまいますが、ルルーシュにとっても「罰」という名のある種救済なんですよね。これまでさんざんギアスを使って人々の気持ちを踏みにじってきた。当然殺しても来たお互い武器を持ったフェアな対決ならばともかく、自分だけが一方的に武器を持って戦って勝ち続けたアンフェアなやり方で勝ち続けてきたわけですからね。1話のブリタニア軍人のように、同じように銃を持たない相手を虫けらのように平気で撃ち殺すクズはともかく、ダールトンやギルフォードのようなフェアな軍人でさえギアスで操ったわけですし、そのやましさは言うまでもないわけです。そしてその「罪」をゼロ・レクイエムという「罰」を受けることで責任を取り、救済されたということなんですね

*2:ルルーシュが「君は、皇族や副総督ユフィである前に、ただ一人のユフィという人間だったな」と言っていますね。皇族という身分だったり、副総督という政治的高官・ポストという地位からそのステータスにうぬぼれて人を見下して行動しなかった。同じようにルルーシュも皇帝ではなく、「一人の人間ルルーシュ」として世界のために我が身顧みず行動したということでしょう、ユフィの遺志を引き継いで。

【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足①「昨日の世界」「今日の世界」「明日の世界」

 ギアスの話、解説はnoteに書こうと思いましたが、というかこのブログはもう更新やめようと思ってましたが、公開される新作映画のために手っ取り早く書けるこちらで書くことにしました。コードギアスの「繰り返し構造」についての補足ですね。
 ここで書いたとおり、コードギアスという作品はR2(2期)が無印1期をなぞらえて作られている。2期の展開が逐一というほどでもありませんが、かなり1期の展開を踏襲するように作られている。1期とほぼ同じような出来事があって、事件が起こり、話が展開していくという構造になっています。ではどうしてそういう「繰り返し構造」になっているのかという補足説明・解説をしておきたいと思います。
 というか、すぐ続きを書かなかったことでもわかるように、別に取り立てていちいち解説するまでもない当たり前のことなので、あまりこの記事を読む人に「なるほど!そういうことだったのか!」とインパクトを与える話でもないのでね。これまで書いてきませんでした。しかし、新作映画公開にあたって、総集編の映画3作を見て、新作の予想をする上で別枠で改めてこのことを書いておいたほうが良いかなと思ったので書くことにしました。

 

 

■繰り返し構造であるが故に最終回から1話に戻る

 最終話のタイトルが「Re;」ということでわかるように、この作品では「繰り返し」(繰り返す)ということが非常に重要な意味を持っているわけですね。ところどころ作品の中で、そのメッセージが込められていて、今頃になって気づきましたが、作中で出てくる「リフレイン」という麻薬もまんま「繰り返し」という意味ですからね。超ダイレクト、モロに監督のメッセージですよね。
 最終話でルルーシュが死ぬシーンで、これまでの記憶・思い出がフラッシュバックするのですが、新しい記憶からどんどん昔の記憶にさかのぼっていくんですね。そして目をつぶって死ぬルルーシュで話は終わる。真相を知ったナナリーが「イヤ!目を開けて下さい、お兄様!」と言って話が終わることになるわけですが、監督がどこかの海賊王みたいに「第一話にすべてを詰め込んだ。この回にすべてを込めた。この回を見ればすべてが分かる(俺のお宝はすべてあそこにおいてきた。欲しけりゃ取りに行け)」といった話をしていたことからもわかるように、再び1話に還るんですね、この作品は。
 1話「魔神が生まれた日」に還る。そして多くのルルーシュ生存説の解説の論拠として語られていたように、1期の1話で目が開くようなシーンからスタートする。そのシーンでは、心音のような鼓動が聞こえるように、最終回から再び1話につながって魔神=ルルーシュが生まれた・復活したと考えることが出来るわけですね。タイトルの「Re;」でもう一度繰り返すということを示唆していると考えられますし、2期1話でルルーシュが封印された記憶が解き放たれ、元の記憶を取り戻して「復活」したことを見れば、もう一度「復活」すると考えるのが自然なわけですね。
 コードギアス1話のタイトルが「魔神が生まれた日」であり、2期の1話タイトルが「魔神が目覚めた日」であることを考えると、典型的な繰り返しであることがわかるわけですね。「魔神が生まれた日」(1話)と「魔神が目覚めた日」(26話=R2の1話)が対応・反復していることが明らかですから、51話とでも言うべき次の話では「魔神が再臨した日」とでも言うものが来ることが想定されるわけですね。

 

■本当に大事なこと、作品のメインテーマは「繰り返し」であり、ルルーシュの生死・「復活」ではない

 このラスト、最終回から再び1話に還るという話は、色んな所で見かけましたので、今更語る必要もない余計な話ですが、前菜として書いておきました。ルルーシュ生存・復活の根拠としてたいてい語られていた話であるかと思います。で、この「Re;」=繰り返しは、ルルーシュの生存・生存ルートの根拠として語られていた、解説されていた話だと思うのですが、実は一番大事なポイントは、ルルーシュが何度でも繰り返して(復活して)やり直したということにこそあります。何度でも挑戦した。どんな辛いことがあってもくじけず、諦めずに、結果に結びつくまで何度も挑み続けたということなんですね。制作側が、ルルーシュはじつは生きてるんですよ~。コードを継承して復活したんですよ~ということを言いたかったわけじゃないんですね。「Re;」というタイトルでルルーシュの生存や復活を暗黙のメッセージで伝えたかったわけではないんですね。
 実際そこはどうでもいいんですよ。ルルーシュが生きてようが、死んでようが、そこはポイントではないんですよ、作品のテーマ的に。まあ、どうでも良くはないですけど、それは二の次・三の次になる話なんですよね。コードギアスという作品全体を通して言いたいこと、メインテーマが語られているのに、そういう副次的な要素にこだわって、映画版では生きているがTV版では死んでいるとか、延々自論を語っている人を見ると「うーん、この…」という気分になりますね。

■行動の果てに結果を掴んだルルーシュ:シュナイゼルとの問答から

 作品のテーマとして大事なこと・ポイントは、主人公ルルーシュが何度でも挫けずに挑戦し続けた。時に失敗してまずい結果になっても、意図せずに最悪な事態を引き起こすことになったとしても、途中で放棄せずに、成功を目指して行動をし続けた。そしてその行動の結果の果てに、成果を手に入れた。望むべき明日を掴んだ。自分が望んだ未来を、平和を、あるべき世界像を築いたということなんですよね*1
 その作品のテーマを如実に示したシーンが、ルルーシュシュナイゼルの最後の対話のシーンですよね(仮にルルーシュシュナイゼル問答とでもしておきましょうか。この問答が作品のテーマをよく解説しているんですね)。49話・turn24「ダモクレスの空」での二人の問答で「繰り返し構造」・くりかえしの大事さが解説、作品テーマをわかりやすくする補足説明となっています。ルルーシュが行動の果てに「明日の世界」を築いた。この解説をすることで、「繰り返し」がどうして大事なのかという話を論じたいと思います。行動の果てには結果が待っている。例外はないという散々C.Cが出だしで説明したセリフ通り、ルルーシュが行動の果てに築いた世界がこの問答で説明した「明日の世界」でした。では、一体この「明日の世界」とはなんなのか?具体的に言うとどういう世界なのか?ルルーシュのセリフを踏まえて解説したいと思います。*2

 シュナイゼルルルーシュの対話で、ルルーシュが言いました。
 「皇帝シャルルは昨日を求めた、あなた(シュナイゼル)は今日を、だが俺は明日が欲しい」

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 シュナイゼルに明日は今日より悪くなるかもしれないと返されても、ルルーシュはたとえどれだけ時間がかかろうとも、人が幸せを求め続ける限り、世の中は必ずいい方向に変わっていくのだと説きます。
 人々が明日を求める。それは欲を生み、争いを生む。結果明日がより悪くなることだってありえる。そんなもの(未来ある明日・世界)は虚構・感情論に過ぎないと否定するシュナイゼルに対して、ルルーシュはこう答えます。「それが皇族という記号で世界を見下してきたあなたの限界なのだ」と。
 シュナイゼルの独善的といいますか、視点の狭さを鋭くついて、主張の甘さを喝破します。不幸に抗う人、未来を求める人を実際にこの目で見てきた。これまで地べたを這いずり回って必死に努力をしてきたルルーシュは、そういった人々を現実に見てきた。皆幸せな明日を求めて必死に生きてきた。そういう懸命に努力する人々の姿を見てきたルルーシュは確信して、人の自助努力、想いや願いというのは必ず結果になって繋がるのだ。そうやって人というのは進歩していくのだという希望を説くんですね。敵も含めて、そういう必死な努力・戦いを直に見てきたルルーシュは、人々にとって望ましい未来が、成功が訪れる。人々が望む「明日」が来ることを確信して、シュナイゼルに語りかけるのです。
 ギアスや仮面というのも、時に過ち・悲劇をもたらす。すれ違いによる誤解を生むんだけれど、つまるところ、そういう「明日」を求める人々の願いの一つの形態・現れである。人々の「明日」を求める必死な姿・努力そのものなんだと。
 いい話・主張ではないですか、まるでEHカーの『歴史とは何か』*3の歴史研究をすることによって、人々の学習によって、学問が貢献することで、人類や社会を必ず良き方向に導けるという主張のように聞こえて、感動するものがありましたね。

 ■※補論:シュナイゼルの反論について

 シュナイゼルの反論はかなりルルーシュの痛いところをついた的確なものだと言えます。なので、そのシュナイゼルの反論についての解説を少しくしておきたいと思います。まあ余計な話なので、飛ばしていただいても構いません。手っ取り早く結論を読みたい方は飛ばしてください。
 ルルーシュの主張を聞いたシュナイゼルは、それに反論します。ルルーシュの一番痛い所を突きます。そういった懸命に抗い生きる、努力をしてきた人々を君は踏みにじってきたではないかと。そういった人の意志・存在=自助努力を、これまで散々ギアスで否定してきたのはお前ではないかと。散々卑怯な手段で踏みにじってきた、人々の「明日」を求める努力や願いを蹂躙してきたではないか、そのお前が今更何を言ってるんじゃい!クソボケ!と。
 当然そんな口調ではありませんが、シュナイゼルの言ったことは否定しようもないこと。厳然たる事実です。ルルーシュがやってきたことは、言語道断の卑劣な行為であることは言うまでもないことですからね。ルルーシュに想いや願いや人生を踏みにじられた人々の気持を代弁すると当然こういう主張になるということですね。
 その矛盾はどうするんだ。おまいうやんけと。結局、綺麗事をいくら言ったって、今自分がやってることと同じように、武力・力で無理やり人々に言うことを聞かせることに現になっているではないか。他者を、世界を、実力でひれ伏せさせているじゃないかとね。偉そうに私を否定してはいても、自分が今やっていることと一体どこがどう違うんだ?と、きっついツッコミをシュナイゼルに入れられる。そのクリティカルな批判を乗り越える手段・発想こそが、ゼロ・レクイエムだったわけですね。
 そういう背景があるからこそ、ルルーシュはゼロ・レクイエムで自分にもギアスをかけて、人々の願いというギアスにかかって、自分を消し去ることで、人々が望む未来や平和を提供したというわけなんですね。こうやってシャルルやシュナイゼルの唱える世界、「昨日の世界」・「今日の世界」と、決定的に違うことを身をもって示した、「明日の世界」を人々に提示したのですね。ルルーシュは前二者と異なって、「力の支配」という前提を否定したわけなんですね。


■※追記、補論2:シュナイゼルのキャラクターについて

 で、そもそもなんですが、シュナイゼルには欲がない=本心がないんですよね。彼は仮面しかない人物像なんですね。普通、人というのは仮面を被って生きている。生きる上で誰しもが本心を隠して、仮面を被って、仮面に従って行動せざるを得ない。他者や世間が望む自分を仮面を被って演じて生きるしかない。そんな話を以前しましたが*4シュナイゼルには仮面を被る必要がそもそもないんですね。実際には仮面を見事に使いこなしている。仮面を被っているので、仮面を被らないと言ってしまうとちょっと語弊があるのですが、彼は本心の上に虚飾するのではなく(=実際の自分の顔の上に仮面を被せるのではなく)、彼には「本当の顔」そのものが存在していないんですね。
 仮面を使いこなせないものに勝利を掴むことは出来ないと言っていましたが、彼はおそらく仮面を使いこなしていくうちに、その仮面を使いこなす上で障害となる本心を抹消してしまったのだと考えられます。成果を手にするには仮面を使いこなすことが重要だと学んだ。よって、仮面を使いこなす=他人から求められる理想の人物像を演じ続けてきた。そうやって結果や成功を幼少の頃から積み上げていったんでしょうね。
 そうやって常に勝ち続けてきた。しかし、その代償・結果として、彼には自分自身というものがなくなってしまった。多くの人は仮面をかぶることで、本心を抑圧する・抑え込むものですが、仮面操縦の達人でありたいがために、本心を抹消してしまった。人間の心・感情を消し去ってしまったんでしょうね。人間としての心・感情を完全に消し去って、仮面を完璧に使いこなす存在となった。人・世間が望む人物像をママ忠実に実行するだけのマシーン・ロボットになったというキャラクターなんですね、シュナイゼルというのは。*5
 人間としての心を生きていく上で邪魔な物として消し去った結果、彼のたどり着いた結論が「今日の世界」だった。人々を力でねじ伏せ、教育する。そうすることで幸せ・平和がもたらされるならそれでいいという答え。普通なら誰しもが本当にそれでいいのか?とためらう狂った結論を平気で出せるのは、そういうことだと考えていいでしょう。
 で、シュナイゼルルルーシュやシャルルと違って、「繰り返し」をしていない。苦労していないんですね。まったくないということはないにしても、シャルルが幼少期に「ワぁシと兄さぁんは地獄にいたァァ…」というような辛い現実と向き合っていないし、そういう苦しい思いを実際に経験していない。情報として知っているだけ。ルルーシュが皇族から一平民となって、一個人から努力して叩き上げて成功を積み上げていったという経験をしていない。ルルーシュのように何度も何度も挑戦・失敗してという経験をしていない。シャーリーのパパを巻き込んだときのような苦しい思い・葛藤を現実に味わっていないんですね。故にルルーシュに「皇族という記号で世間を見下してきたあなたの限界だ」と言われることになるわけですね。
 感情を情報・記号としか理解・認識していない。実際の身体で味わって、まさに我が身のことのように体験していない。故にシュナイゼルのような冷たい結論になってしまうということですね。仮面を使いこなすあまりに、本心が無くなってしまう。本当の自分が亡くなってしまう。本当の自分自身がわからなくなってしまう。よくある仮面・ペルソナのテーマですが、真に良くその問題を体現したキャラクターであると言えますね。本当に良いキャラクターですよね。一言で表すと「完璧な人格者というサイコパス」ですからね。

昨日の世界、今日の世界、明日の世界

 本論の話・解説の話に戻って、皇帝シャルルの昨日を求めたということを改めて説明すると、集合無意識と全人類をつなげることで人々から「仮面」をなくす。全人類が意識を共有することで、誰もが何を考えているかわかるようになる。そうなると嘘をついたって即バレるわけですから、嘘・偽りは意味がなくなって、世界から消えて無くなる。騙そうとしたり、自分を良く見せようとしたりするためにつく粉飾・虚飾から来る悪意の嘘はもちろん、相手を思いやる善意の嘘も消えてなくる。
 結果、そうすることで優しい嘘などによって生まれる人々のすれ違い、わかりあえないという悲劇はなくなる。しかしこれでは全人類が思いを共有してしまうことで変化がなくなってしまう。皆が同じ意識・思考を共有するということは、人々の個性・差異が消えてなくなってしまうことになる。これでは、人と人が交わる意味がなくなる。それこそシリアルナンバー1~∞がついた人間という製品が存在していることになってしまう。全く個性が消えてなくなるということにはならないでしょうが、畢竟そういうことになる。
 「積み重ねのない、ただ同じ毎日を繰り返すだけの人生を生きているとは言えない」と言ったC.Cの言葉のとおり、ただ生きているだけの人形というような状態になってしまうわけですね。これではすれ違いやわかりあえないという難しさを乗り越えて、人と人が繋がり、わかり合うという感動も喜びも手に入れられないことになる。負・マイナス面が減ったとしても、消えてなくなるのだとしても、人間が生きる上でのプラス要素、喜びだったり苦しみを乗り越えようとする発明や発展までをも消し去ってしまうことになる。何よりいろいろな体験や価値観・思いなどを共有して、わかり合うという感動・喜びが消えてしまう。これが人類の望むべき未来や世界であるとは到底言えないわけですね。
 この世界を「昨日の世界」だとすると、シュナイゼルが求めた「今日の世界」というのは、これまでと変わらない同じ世界なわけですね。嘘と偽りの世界・善意と悪意が一枚のカードの裏表で入り混じった世界と、皇帝が言っていたように、仮面をかぶった人々が生きる世界。「明日の世界」になったからといって仮面がなくなるわけではありませんが、シュナイゼルの言う「今日の世界」は弱肉強食原理の嘘と偽りの繰り返し、これまでの世界の繰り返しとなるわけですね。なにより、ダモクレス・フレイアという力で人々を押さえつける世界。武力で無理やり言うことを聞かせる「力の支配」の世界なんですね。
 シャルル&マリアンヌとシュナイゼルの「昨日の世界」と「今日の世界」というのは、強制的に自分の理想とする世界に人々を従わせるものでした。自分の世界こそが理想的な素晴らしい世界だから、他の人間は黙って従えor力で無理やり従わせてやる!というものでした。だからこそ、ルルーシュに「お前たちが言っているのは人に優しい世界じゃない、自分に優しい世界なんだ」と否定されるわけです。他人のこと・皆のことを考えたうえで出した結論ではない。自分にとって好ましい・都合のいい理想世界に過ぎなかったわけですね。
 これら2つの世界とは違って、ルルーシュの望む「明日の世界」というのは決して人々にこうしろ!ああしろ!と上から賢しらに理想論・自分の理想を強制する世界ではないんですね。話し合いによって運命が決める、話し合いの世界・合意の世界、「法の支配」の世界になるんですね。人々が話し合って、自分達の意志でどうするかを決める。ルルーシュは前提条件を提示するだけ、そこから先は全て皆の人々の自由意志に委ねられる。人々が自分自身で運命を決める世界になるわけですね。これが前二者と決定的に違う・異なる点ですね。自らの理想・意志を強制せずに、人々の意志を尊重する・捻じ曲げないというのが非常に大事なポイント。
 ルルーシュは自分を犠牲にして世界にその身を捧げることで、世界を創り変えた。望ましい世界を創ったわけですが、その世界の先は人々の自由意志に委ねた。押し付けた善意は悪意と何ら変わりがない。父と母にそう主張したように、理想を提言・実現しても、決してそれを絶対的な理想像として人々に押し付けはしなかった。そこから先の姿は人々の自由意志に委ねられたんですね。
 作品のテーマとも言える「力の支配」の否定、そして「法の支配」の世界の創造。理想の世界はルルーシュの、スザクの、そしてその他仲間たちの毎日の積み重ねと努力の果てに作り出されたものだった。毎日の「繰り返し」、変化のある有意義な毎日の「繰り返し」の上に作られたわけなんですね。

※19/3/27追記&修正。シュナイゼル解説を大幅に追記してまた文量が多くなったので、更に分割しました。うーーん。繰り返し構造の説明と言いながら、「明日の世界」と「繰り返し」(構造)との繋がりが、説明が分かりづらっ…。なんだこりゃ…これじゃわからんわと反省。なので全体のつながり・文脈の見直しで追記修正しました。

続きはこちら→【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足②

 

コードギアス関係で過去に書いたもの一覧

*1:もちろんベストではなくベター、もっと皆も世界も、平和・幸せになる最高のものがあったはずだという主張・ツッコミも出来ます。多くの犠牲を払いすぎましたからね。そういう犠牲なしでハッピーエンドならば、それがベストなんですよね、本当は。しかし、実際はこういうエンドに至った。まあそこら辺も作品のテーマの一つのポイントなんですが、長くなってめんどくさいので別枠でいずれ語りたいと思います。コードギアスは大団円に見えるが、実はハッピーエンドではないという話をNoteでしたいですね。

*2:まあ、このシーン・ルルーシュシュナイゼル問答は、もう有名すぎて説明するまでもないほどの名シーン・場面かと思います。多分拙サイト以外でも腐るほど解説されていると思うのですけど、これを論じるのが一番わかり易い。かつ大事なシーンなのであえてこれを取り上げて説明しておきます。

*3:※過去に書いた拙記事です。一応リンク。E・H・カー著 『歴史とは何か』(一章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(二章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(三章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(四章) 
歴史とは何か(五章~ラスト)  
歴史とは何か(六章) 

*4:※参考、拙記事―【コードギアス解説・考察】 「集合無意識」と「仮面」<ペルソナ>の話 

*5:ちょうど、C.Cが人から愛されすぎて本当の愛がわからなくなってしまったというのに似ていますね。C.Cには偽りのそれとは言え、シスターがそばにいて本当の思いを伝えてくれた。叱ってくれて、人間としての関係性が偽りとは言えども、あることはあった。でもシュナイゼルにはシスターのような存在すらいなかったのでしょうね。シュナイゼルはきっとそういう本心・人間としての感情だったり本音と建前のバランスを上手く取る機微というものをうまく教えてくれる存在、親だったり年上の兄弟だったり、年長の「兄」や「姉」とも呼べる敬愛すべき存在、もっと的確に言うと師がいなかった。彼の将来を見据えて接してくれる。愛してくれる、もしくは支えてくれるという人がそばにいなかったということなんでしょうね。子供を育てる、教育という点で非常に重要な示唆を与える話ではないでしょうか?仮面というのは他人のための仮面ではなく、自分のための仮面でもある。他人や世間の仮面だけ大事という思い込みが心をなくしたマシーン・ロボットを生み出してしまったのでしょう

【コードギアス解説・考察】 ルルーシュ生死の謎の続き、コードとかギアスについての推測・考察

 

 ―で書いた中でちょっと邪魔かな?冗長になるかなと思ったところを分割してこちらに載せることにしました。新作映画の発表、『コードギアス 復活のルルーシュ』というタイトルで新作・映画で続編をやるということなので書いてなかった解説を今頃書くことにしました。過去に書いていたギアスの記事を見直していたら、とっくの昔に書いたと思っていた最後の解説・ギアスの話を書いてなかったんですね(大爆笑)。ということで今、ギアスの解説を新しく書いてます。ギアス関係を見直して、画像ないと寂しいので画像入れたいな~と思って画像をちょいちょい打ち込んでたら文量がちょっと多く見える。バランス悪いかなということで分割。最後のギアスの話は、早ければ一週間、まあどんなに遅くても一ヶ月以内には書き終えるでしょう、多分(^ ^;)。*1
 ということで以下、分割した補論的な話です。まあ多分、この記事は伸びることはないでしょうけどね。ギアスばっか検索で人来ますからね~。ブログアクセスの三分の一くらいギアス記事なんじゃないかな?(笑)。
 出だしはつながりがわからなくなっても困るので重複して始めています。⬛CCとの契約~からが続きですね。一応パッと見でわかるように色を変えておきました。

 

目次

 

⬛エンディングには3つのルート・可能性がある

 さて、コードギアス最終回、ラストの考察から。まあ、他のところでも幾つか解説見かけたんで、ここはさらっと流しますが、最終回ルルーシュはどうなったのかという話。可能性を考えると

ルルーシュ死亡/CC不老不死
 <CCがCode保持者のまま>
ルルーシュ生存/CC普通の人(不老不死ではなくなる)
 <CCのCodeをルルーシュが継承、ルルーシュがCode保持者>
ルルーシュ生存/CC生存(ともに不老不死)
 <両者がCode保持者、ルルーシュはCCのCodeではなく、シャルルのCodeを引き継いだ>

 ―という三つの可能性が考えられるわけです。んで大方③のパターンで解説されています。そして多分それで間違いないでしょう*2。素直に作品の最後まで見ていると、①「ルルーシュ死亡ルート」のように思えます。ただ、個人的には③「ルルーシュ生存ルート」のように思えます。そしてコードギアスファンの中に、この③の「ルルーシュ生存ルート」に強い拒否反応を抱く人がいるようです。

ルルーシュ生存でも物語の完成度は下がらない。CCを見てわかるように不死とは罰なのである

 ①だと、ルルが自分の命をかけて世界を救ったということで上手く話がまとまる。そういう作りになっている。なのに③でルルーシュが生きているという展開になると、その自己犠牲・「献身」性がなくなってしまって、物語の意義・意味合いが薄くなる。ヒーローが自己を犠牲にしてまで世界を救うというところがカッコいい。また自らの罪の償い・贖罪に加えて、「撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ!」というルルーシュの覚悟、精神性の気高さ、矜持があり、それが最後の最後で完璧な形で果たされたからカッコいいのに、それが台無しになってしまうと。「何だ生きてんのかよ!」となってしまって感動が薄れてしまう。自己犠牲で最後上手く完結する話なのに台無しになってしまうよ―というような感じのコメントを見ました。
 しかしちゃんとそれに対するレスがありまして、『いやルルが生きているとしても、ルルは「不老不死」になってしまう。CCがその「死ねない」という呪いから逃れようと行動していたように、「不老不死」というのは実は罰なのだ』という感じのレスがあり、見事にその意義・解説がなされていました。まさにその通りでしょう。永遠に生きるという「不死の罰の道」をルルは選んだのですね。意図的な選択の結果かどうかは不明ですが、不死という罪を歩むことになったことは、CCの苦しみを考えると、その辛さ・罪の重さは言うまでもないことであるので、ルルーシュが死んだとしても作品の完成度が低くなることはなく、真に上手いラスト・オチだと言うことが出来るでしょう。*3

⬛「ルルーシュ生存ルート」、VVコードを継承したと考える根拠

 ①「ルルーシュ死亡ルート」でなくても話の整合性、ラストの感動のフィナーレに水を差す物ではない。しかしそれでも②、③どちらなのか?まだ謎は残るんですね。結構③の解説が多かったんですけど、②の可能性ももちろんあるわけです。しかし個人的にはまあ、③だろうという根拠があります。②ではなく③になる可能性、つまりCCのコードではなく、シャルルのVVのコードを継承したという根拠の解説は見たことなかったんでその解説をちょっくらしてみたいと思います(まあ、そんなにググってないのでドコかに解説が書いてあるかもしれませんが。あ、あとついでにここから面倒くさいのでCodeでなくて、コードってカタカナ表記にしてます)。

⬛CCとの契約を守るなら②か③かのどちらかになる

 CCの願いというのは「死ぬこと」でした。ルルーシュは「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」と行動をし続けた結果、自分の言ってきたことに責任をもって、その言葉を守って死んだわけです。ルルとCCは契約を結んでおり、ルルはCCとの契約を果たすと言いました。その約束を守らずにルルが「やっぱ世界守るために、俺死ぬから、約束は守れないわ~、CCごめん、メンゴメンゴ(ゝω・)テヘペロ」と言うでしょうか?CCとの契約を果たすための行動をとったと見るのが自然です。
 ルルは契約を守るためにCCからコードを引き継ぐという話をしたはずです。CCは自分のような呪われた運命を味あわせたくないと拒否したかもしれません。もし、納得してもVV→シャルルのコードを引き継いだルルが更にコードを引き継げない事で、その時気付いたかもしれません。まあ実際に確かめたかどうか、それはわからないですからなんとも言えませんけどね(コードの統合という話がラグナレクの接続のところでありますが、ラグナレクの接続抜きでコードを統合できるのか疑問の余地があるので)。
 シャルルがCCのコードを奪ってコードを一つに統一しようとしたことがあるので、ラグナレクの接続の前段階でなくてもコードを一つにできるかもしれません。だが、このときルルはギアス能力者でしかなく、シャルルのようにコード保持者*4でないので、きっとそれは出来ないと考えていいでしょう。
 CCが拒否して確かめられなかったか、それとももしかしたらシャルルのコードを継承した可能性があると事前に知っていたのか、わかりませんが、いずれにせよこの時点でルルがCCのコードを継承出来なかったと考えられます。もしかしたらシャルルのコードを継承したとスザクもCCも薄々感づいていたとしても、あんまり気にしなかったというか確信を持てなかったから確かめなかったかもしれませんね。大事なのは「未来」とそれを作るまでの過程としての「今」でしたから、そこら辺の検証などは曖昧な感じだったのかも知れないですね*5
 これもコードの原則とかルールがいまいちハッキリしていないので絶対的な確証をもって言える話ではないのですけどね(※小説読んで、そこら辺の設定がハッキリわかったらまた書き直します)。まあ、物語のテーマ上、そしてこれまでのCCとルルの関係性を考えて、③の結末にならないとおかしいんですね。作中の考察というよりも、作者のテーマという観点からこう読み取ることが出来るという話になります。

⬛コードとギアスについておさらい

 そもそも、コードとギアスの関係があやふやなんですよねぇ、そこら辺解説しっかりしておいてくれれば、こんなあやふやな説明にならずに済んだのに…。知り得る限りの説明をすると、コードというものを持つ人間は不老不死(①)でCの世界’(おそらくCollective unconscious:集合無意識のCで、集合無意識の世界)とアクセス出来る(②)。故に他者への精神接触も可能です。そして才能のある人間にギアスという能力を与えることが出来る(③)。
 コード保持者からギアスという能力(①)を与えられたギアス能力者は、ギアスという能力を使い続けるとその力は強くなる。強くなりすぎると、本人でもコントロールが効かなくなる(②)。主に目を介在して能力を使うわけだが、強くなると片目だけでなく、両目にギアスの「ひ」のマークが現れるようになる(③)。その状態になるとギアス能力者はコード保持者からコードを奪うor継承するということが可能になる(④)。そしてコード保持者となるとギアス能力を失うが、不老不死となる(⑤)。

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Cの世界で右目も開いて、両目とも「ひ」マーク持ちになりました(③)。これで④のコード継承が可能な状態になるわけですね。

 まとめると次のようになります

<コード保持者>
 ①、不老不死
 ②、Cの世界・集合無意識にアクセスできる
 ③、才能あるものにギアス能力を与える
<ギアス能力者>
 ①、集合無意識に働きかけ自他に影響を及ぼすギアス能力を使える
 ②、ギアス能力は強くなると制御不能になる・暴走する
 ③、強くなると両目にギアスマーク・「ひ」の字が常時現れる
 ④、③の状態になるとコード保持者からコードを奪う・引き継げる
 ⑤、コード保持者になるとギアス能力を失い不老不死となる

 コード保持者からギアス能力者がコードを継承した事例がCCとシスターの例と、シャルルがVVから「奪った」という事例の2つの例しかないので、類推になりますが、コードを失ったものは不老不死ではなくなり、死ぬようです。その2つの事例から考えるとCCが生きている事を考えて、ルルがCCからコードを奪った可能性はグッと下がるでしょう。
 ただし、シスターが死にたいと願っていたことや、VVが瀕死の重症だったことを考えると、シスターが不老不死でなくなっただけで、即自ら死を選んだ・自殺した可能性があります。またVVも回復能力が働かずにコードを奪われて、瀕死の状態でありそのまま回復できずに死んでしまったという可能性も考えられないわけではないので、CCが単にコードを失って不老不死ではなくなっただけという②の可能性もゼロではないでしょう。②の「ルルーシュ生存&CC脱コードルート」もやはり一応考えられます。
 

⬛補論:ギアス能力の特性について

 (※ここは一応の補足解説なので、簡単に読み飛ばして下さい。)ああそうだ、ついでに一応解説しておくとギアスって最初見たときにいつもの能力者モノ、「能力者バトル」漫画が昨今の潮流の一つになっているように、この作品でも色んな能力・異能力者が重要な要素として関係するものだと思って見ていました。が、しかし、この作品においてはギアス能力というのは集合無意識にアクセスして能力を発揮する、集合無意識を通じて相手の意識に干渉を及ぼすということになっているので、通常の能力モノ系とはちょっと違うんですよね。あんまりそれを指摘しているものがないのかな?と思ったのでその話をしておきたいと思います。作品に登場した能力を並べると
 ●ルルーシュ、一度だけ相手に言うことを聞かせる*6
 ●マオ、特定範囲内の人間の心を読む
 ●シャルル、相手の記憶を書き換える
 ●ロロ、特定範囲内の人間の時間の流れを止める
 ●ジェレミア、ギアス能力を解除する
 ●教団の子供、特定範囲内の相手の動きを操る(おそらく)
 ●CC、愛される(おそらく特定範囲内の人間に好意をもたせるor虜にする)
 ●マリアンヌ、死後に生者の心に取り付く(ちょっと表現難しい)
 ●ビスマルク、特定範囲内の人間の未来を予測する
 ―となっていて、すべて集合無意識を通じて相手の精神・心に影響を与える、干渉するものなんですね。だから「私のギアスは火を操る程度の能力!」とか「僕のギアスは物を重くする程度の能力!」みたいな人は出てこなかったんですね。だから能力バトルモノとはちょっと一線を画すわけです。自由に色んな能力を都合に応じて展開させられない。あくまで集合無意識を通じて相手の精神に影響を及ぼすという範囲内でしか能力は発揮・発現されないんですね、実は。

⬛集合無意識下でのルルVSパパ・ママの経緯についての考察

 んでまあ、ルルがCの世界で集合無意識に「願い」のギアスをかけます。以前ギアスがあるとしても、なんで一人の力で巨大な集合無意識に影響を及ぼせるんだよ、無理ありすぎじゃね?そもそも集合無意識からギアスという力を引き出してその集合無意識にアクセスしているんだから無効化されるんじゃないの?的なことを書きました*7が、最終話でのラストのスザクとの会話でスザクが言ってましたね。
 「僕たちはCの世界で人々が明日を望んでいることを知った」って、つまり集合無意識も、人々も明日を望んでいるという思いが元々あったから、ラグナレクの接続・アーカーシャーの剣という「神殺し」の装置の無効化が出来たわけですね。ルルのギアスはきっかけで、それによってより強力な力を発動・現実化させたと見なすべきなんでしょう。
 それはそれで謎が解けたので良いとして、シャルルの話。ママアンヌは精神体ですから、彼女がギアスを受けた集合無意識に飲み込まれるのはわかるのですが、シャルルがコード保持者で不老不死なのにCの世界に飲み込まれるってのはどうなんでしょうか?そもそも「時の歩みを止めないでくれ!」というのがルルの願いだったはずなのに、どうして「あなた犬の散歩いくならスーパーで卵と牛乳とハム切れてるから買ってきて」みたいなお使い感覚でついでにホイホイ二人を飲み込んじゃうのでしょうか?ラグナレクの接続・アーカーシャーの剣という「神殺し」の装置を破壊することでルルの願いを叶えるだけでいいような?神殺しの罰といえるんでしょうけども。
 今思いつきましたが、Cの世界に干渉すること事態がまあNG、大逆も大逆、不遜極まりない行為ですよね。Cの世界にアクセスするような輩がいる限りこのようなことは起こる。だからスーパーひとし君人形のように、ファファッファファッファーワぁぁぁンと没シュートしちゃたということなんでしょうか。

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神の領域に足を踏み入れた天罰というような意味合いなんでしょうか。ママアンヌも「CCもこの計画に賛同していたのにどうして!?」と言っていましたし、改心したCCは見逃されて、Cの世界にあまり来てなかったルルとスザクの二人はもちろんおkだったということになるのでしょうかね*8
 ルルは集合無意識に「時の歩みを止めないでくれ」というギアス、願いをかけることで膨大なエネルギーを使い、ルルの両目が開く状態、両方共「ひ」になってコードを継承することが可能な状態になりました。いささか「時の歩みを止めないために」というギアスの拡大解釈の気もしますが、シャルルはCの世界に閉じ込められる、飲み込まれることになります。

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 (※追記、集合無意識で全人類が繋がる=意識・想いの共有で嘘がなくなる。嘘・偽りのない世界になる。しかしそれは悲劇が生まれなくなると同時に何の変化も生まなくなる。何の変化もない同じ毎日の積み重ねになる=時の歩みを止めることになる。まあ大体そういうロジックなわけですね。ラグナレクの接続・アーカーシャーの剣というのはその時の歩みを止める道具・システムだったから崩壊消失するのは当然。んで、シャルルもママアンヌも既に先行して、全人類の誰よりも早く集合無意識とそのシステムで結びついていた。システムの一部となっていたということかもしれないですね。なので「時の歩みを止める」装置の一環だった二人は消滅したということかもしれません)

⬛Cの世界が人間はともかくコードを呑み込めるとは考えにくい

 この時シャルルが不老不死のママ飲み込まれたのかどうかがポイント。ルルーシュがコードを引き継いだかどうかのポイントになると思われます。たとえば、ジョジョのカーズのような状態にして、永遠に苦しむという罰を与えることが集合無意識に可能だったのか?精神面だけ飲み込んでしまう罰という形でCの世界を出たら、シャルルの身体・肉体自体は存在する。だが肉体自体は不老不死でも、何の意思も持たない植物人間状態、意識のない人形のような状態になっていた。不老不死のシャルルを倒すには精神面で倒すしかないので、Cの世界で呑み込んで行動不能にしたというパターンも考えられます。Cの世界で、精神世界上で繋がっているだけなので、心・意識を集合意識が呑み込んだだけで生きていることは生きているパターン。殺せないのでCの世界に封印した説というのも考えられるんですね。(「不老不死シャルル、VVコード封印」説とでもしておきましょうか)
 このパターンだと①と②の「ルルーシュ死亡ルート」と「ルルーシュ生存&CCの脱コードルート」のいずれかになります。まあ、それならば、シャルルの廃人状態が描写されるはずですし、皇帝ルルーシュの所で、ルルーシュが「皇帝は私が殺した」と言っているシーンで捕虜にしてある植物状態のシャルルを殺す映像を後から撮って皇帝弑逆シーンを流すはずなのでやはり考えにくいパターンなんですね(まあ尺足りないからという言い訳されればそれまでなんですが)。
 また、もう一つこのパターンが考えにくい理由として、「不老不死シャルル封印説・VVコード封印説」が考えにくい理由として、シャルルを単に精神的に殺す。Cの世界に吸収して封印するということ自体はありえても、コード・VVのコード自体を封印することが可能なのか?という疑問があるからですね。Cの世界に干渉して「時の歩みを止めないでくれ」という命令を下したルルーシュがいて、そのルルーシュにコードを引き継がせないということがありうるのか?CCがコードの統合で2つのコードを同時に継承しているならまだ可能性はありえても、Cの世界がコードを吸収することが出来るのならば、もっと昔からコードを抹消しようとしたCCのような人間が実行したでしょうからね。コードを有史以来かどうか知りませんが、ずっと引き継いできた集団・人間がいて、そんなことで消せるものか?
 ラグナレクの接続でコードが消えてなくなるという設定があるのですが、それはCの世界と全世界の人間の心を集合無意識を通じてつなげた場合の話。それが失敗した今、2つのコードが1つだけでも消滅するとは考えにくいと思うのですね。
 (※追記2―不老不死という呪いがかけられたコードというものを持っているコード保持者は「死にたい」と願って延々それに縛られる。その呪いを精神的死という形で逃れられるのか?植物状態だったり、精神ダメージで自我を崩壊させて抜け殻となった誰かの肉体に「封印」出来てしまうだろうか?そんな疑問がありましたが、CCが記憶をなくしてピュアCCになった時がありましたよね?あれを見る限りやはり一時的に意識を飛ばしてCの世界に引きこもるようなことは可能でも、自我の消失や消滅は考えにくいでしょうね。そういう事を考えてもやはりルルーシュが「達成人」になったかどうかはおいといてシャルルからコードを奪ったと考えるのが自然に思えますね)

⬛Cの世界はシャルルのコードを奪いルルーシュに与えた。もしくは覚醒したルルーシュが奪うという形でVVコードを引き継いだ

 確証がないのでハッキリと断言はできませんが、表題・↑タイトルのように推測しています。そして、ルルがコードを引き継ぐ条件は整ったので、集合無意識は不老不死のシャルルを殺すために強制的にコードを剥奪したと考えるのが自然だと思えます。コードを持っているシャルルがいる限り、同じことがまた起こる可能性があるわけですから、封じ込めorコードを剥奪する。そして時の歩み、明日を望むという集合無意識の、人々の願いと一致する意志を持つルルーシュにコードを託したのだと解釈すべきでしょう(まあ、単純にルルーシュがコードを奪ったということでも良いんでしょうけど、こっちのほうがより良い話になるのでこの説を押したいと思います)。
 それがもし正解だったとしたら、シャルルのてのひらにコード「ひ」の字を飲み込んだ段階でなくしておいて欲しかったですね。そうしたら「あれ?シャルルの手のひらからコードのしるしが消えてる!」となって簡単に確信できましたからね。最後に手のひらが映るシーンではまだコードの刻印が残っているんですよね…。なのでちょっとまだ断言しきれない、確実な根拠に乏しいところがあります。

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 それとも最後に「消え失せろ」という叫び、親殺しの意志を明確に見せたそのときに明確にコード保持者を殺すという意思表示となって、コードを「奪う」ということになったのでしょうか?そうでなければ、集合無意識がスターを取ったマリオ状態でなんでもありで、コード保持者であろうと何であろうと飲み込んでくれたという設定なのでしょうか?飲み込まれつつあるシャルルがなんであんな幽霊みたいな謎の動きができるのかもよくわからん話ですしねぇ。散々ネタとしていじられていましたね、この画↓。

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( ※追記3―飛ぶ皇帝おじさんで思い出したのでついでに余計な話。f:id:drkinokoru:20180901202216p:plain

そういえば、この右手に見えるコードがルルの首に触れたことを以ってコードが直接移ったという説も見た覚えがあります。コードを統合しようという時に、右手のコードをかざしてCCのコードを奪う統合なのか?それとも協力プレイ?かわかりませんが、右手にあったんですね。前からコードは右手にあったと思うので、あえて今回の統合のために右手に移した云々があればまた面白いのでしょうけどね。まあそのことが無関係とは言わなくても、コードの継承というのは集合無意識に願いをかけた時点でなされるべくしてなされるものだったと考えるほうが良い気がします。)
 (※追記4―ナナリーの笑顔の意味、お前たちが欲しているのは「他人に優しくなれる世界」という優しい世界ではなく、「自分達に優しい世界」を欲しているだけだ。自分の子供の生死を気にもかけずに見捨てたのがその証拠だとしてシャルルとマリアンヌの世界・優しい世界をルルーシュが否定する。

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で、この賢しき愚か者めがぁああ!と突撃してきたシャルルは「このままだと嘘と偽りの世界・善意と悪意が一枚のカードの裏表で入り混じったシュナイゼルの世界だぞぉう!」―と、今のような世界=悲劇がずっと続くことになる。永遠に苦しみ続ける人間・犠牲者が生まれるんだぞぉうとルルーシュに怒りをぶちまけます。しかしそれを「だとしても、お前の世界は俺が否定する。消え失せろ!」

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ルルーシュが意志を明らかにした。それによって、ルルーシュは親殺しと同時に時の歩みを止めない選択をした。時を進み続ける選択をしたルルーシュに集合無意識がコードを委ねたと見做すべきでしょう。ルルーシュが集合無意識に「明日が欲しい」「時の歩みを止めないでくれ!」と願いをギアスを通じてかけた。そして集合無意識が「よっしゃ!わかったで!そのかわり後のことは任せた!」とみんなの未来をシャルルのコード毎任せたということでしょうね。コードを負のもの・呪いとみなすならば、コードを引き受けてもらうということになるでしょうが、コードが希望の存在となる展開もありえるのでそこらへんは待て次作!ですね―と言っても、そこらへん特になんにも触れられない可能性もありますが(笑)。)
 (※追記5―こんな短期間で更に追記するのってどうなの?って感じですが、思いついてしまったのでしょうがない。単なる気になるポイントなんですけどね、左から右という話で右目に「ひ」ギアスマークが発現する・両目開眼は全員おんなじパターン・最初は左目だけだと思ったのですが、実は初期状態・片目ギアス状態が右目というパターンもある。どこかのサイトでギアスの子供の話を見てそれ自体どうでもいい話だったんですが、画を見た時、あれ?子供のギアス右目じゃんと引っかかったんですよね。

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 んでまあ、気になったんで、他のギアス使いの片目はどうなってるか調べてみました。ロロが右目だったので、ということはVVコードは右目オンリー。CCコードは左目というパターンになっているのかな?と調べたらどうもそうでもないんですね。じゃあ、子供とか、ある一定段階まで成長していない場合は右目?それとも嚮団の改造を受けた場合は先天的・ナチュラルな存在ではないので右目になるとかがあるのかな?と気になったんですね。

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マオ・CC・マリアンヌ・ビスマルクは左。マオの場合は右目が見えなかったんで幼少時に既に両目ギアスという可能性もあることはあります。小説でルルーシュよりも優れた才能を持っていたといいますしね。性別・年齢・後天的な改造・授けるコード保持者の違いもないみたいですね、これ。言うまでもなくルルーシュとギアスキャンセラーのジェレミアは左なので。なんでこれ条件バラバラにしたんでしょうね。こんな適当にしたら間違えそうなものなんですが、現にルルーシュが右目ギアスになってましたしね。ロロのギアスにかかると目がロートこどもソフトみたいに真っ赤になるんですが、その指定で両目赤くするのとギアスを間違えたのかもですね。ギアス暴走を防ぐコンタクトがあるから右目だけ赤くならないとかも考えましたが、この時普通に二人は会話してるので、まあ単純なミスでしょうね。

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VVがロロに、君は出来損ないなんだよ!みたいなことを言っていたので、ギアス能力が弱い・未完成の場合、右目に発現ということなのかもしれないですね。ジェレミアの場合は実験がうまく行ったから&特殊なギアスキャンセラーという能力だから左目ということかもですね。
 で、そんなミスがあったんだ、へぇ~的なことはどうでもよくて、また追記しようと思ったのは、マリアンヌが私のギアスは「人の心をわたるギアス」という説明をしていたところに引っかかったからなんですね。「意識を表層にあげた時CCと心で話すことが出来る」という所。逆に言うと「意識を表層にあげさえしなければ」CCやRRであるルルと話をすることもない。つまり、もし生きていたとしても集合無意識にアクセスできるコード保持者にもバレないということですね。アニメだといきなり出てきて、集合無意識に呑み込まれた影の薄い母親なんですが、小説ではマリアンヌこそ主役というか黒幕・ラスボス的存在なんですね。閃光のマリアンヌどんだけすごいんだよというエピソードもありますし、三期じゃなくて新作映画でもしかしたらマリアンヌが出てくる可能性がありますね。マリアンヌのギアスが人の心をわたるギアスで、人に取り付くことが出来る。集合無意識に呑み込まれたと見せかけて、とっさにギアス能力でスザクに取り付いて生き延びたということが考えられるんですね。
 ルルーシュとCCとスザクの3人がいて、CCにはギアスが効かないのでダメ。コードギアス状態だったルルーシュは一応ギアスが効くのでワンチャンありで、やはりスザクが大本命ですね。実はあのマリアンヌが生きていてスザクに取り付いて「復活」を果たして、再度ルルーシュと対決!!だったら展開としては面白いんじゃないかなと思いました。まあ、あくまで可能性にすぎないので、新作映画の展開はそうなるに違いない!とは断言できないんですけど、この展開になったら面白そうですね。まあ、そうならないと思いますけど、的中したらまたドヤりたいと思います。
 ああ、そうそう1期のラストでCCが「残っているのは魔女としての記憶だけ。そもそも自分が人間だったのかすらもわかりはしない」という話から、コードを継承するとそれまでの記憶が消失するという設定がある可能性もあるんですよね~。新作映画の予想的な枠で語りたいな、これ。シャルルは「達成人」だったから記憶が消えなかった。しかしルルーシュはそうではないので、記憶が消えている可能性があるんですよね。新しく書いて文量の問題があったらそちらでもう一回書こうかな~。)
 まあとにかく不老不死のシャルルを葬るためにコードが剥奪される必要があるわけで、ルルーシュに継承されたと見るべきでしょう。コードが二種類存在していて、直接ギアスを与えた方じゃない人間でも継承されるのか?という疑問はありますが。細かい説明、設定が今のところこんな理解でとどまるので、こんなあやふやな解説になりましたがそこら辺はご勘弁ください。  
 以上、【コードギアス解説・考察】 ルルーシュ生死の謎、R2の意味、CCラストのセリフの意味 ―で書いた個人的なルルーシュ生存ルート、VVコードの継承。③パターンであると思う話で書いたコードやギアス云々の推測・考察でした。

 ※おまけ:ギアスを与えたほうじゃないギアス能力者でもコードを引き継ぐことが可能なのかという疑問があると昔書きましたが、多分、大丈夫でしょうね。というのはCODE-Rという用語が序盤のCCのファイルみたいなシーンと、あとオレンジ卿ことジェレミア・ゴットバルトの改造の方でCODE-Rというものが出てきていて、小説でR因子・C 因子というものが説明されていました。なのでギアス能力者に必要な才能というものはR因子というもので共通しているということでいいと思います。VVコードでも、CCコードでも、R因子のレベル・能力さえクリアすれば大丈夫ということだと思います。 
 ついでに、どうでもいい話をもう一つ。シャルルがスザクに思考エレベーター・玉座の奥の間に連れて行った時、「ラウンズでギアスのことを知るお前だけに教える」みたいなことを語っていたのですが、あれ?ナイトオブワンはギアス使えるじゃんという話。考えられるのは単にシャルルがビスマルクのギアスのことをスザクに隠したということ。次にVVからコードを継承したシャルルがギアスを与えたというパターンですね。コード保持者となって、ギアス能力を授けられるか試したくなって、ビスマルクにギアスを授けたというのが展開的には面白いのですが、多分左目を昔からずっと封印してそうですね。いきなり左目にヒモつけてきたら、ウチの上司どうしたんだろ…って話ですし、ナイトオブワンの実績はギアスありきの話っぽいので、VVやCC、多分VVから与えられていたんでしょうね。

※2018/08、記事分割&画像追加、追記4まで

*1:一ヶ月以内に書き終えると言ったな、あれは嘘だ。なんかNoteという有料サイトがあるらしくて、面白そうだなと有料記事にしてみたくなりました。なのでそのまま更新するか、それともそちらに公開するか迷い中…。そう言えば昔何故続きを書かなかったかと言えば、薄い本作って試しに売ってみたら何人くらい買ってくれるのかな?ってやろうとしたことがあるんですよね。結局やりませんでしたが。なので更新は気長にお待ち下さい。というか今後ブログ更新するのかも怪しいですが

*2:実は④としてルルーシュが生きていてCCのCodeも引き継いで2つのCodeを統合したという可能性もなくはないのですが、ちょっとストーリー上考えにくい。まずありえない選択なのでここでは排除しています。なぜ、考えにくい・ありえない選択なのかは次回のそのまた次の回の【コードギアス解説・考察】C.Cの願い=愛されることについてで語っていますのでそちらを参考にして下さい。

*3:ざ~んねんあなた騙されちゃったの!回からCCの不死の苦しみは説明されていたと思えるんですが、不死の苦しみという話がいまいち読み手側・受け取り手に理解されていないフシがある気がしますね。

*4:コード保持者になると不老不死になるが、ギアス能力を喪失する。最終回でラストを迎えるまでギアス使っているので、間違いなくその状態・コード保持者にはなっていない

*5:コード持ってるか確かめたいから、撃ち殺して復活するか試すなんてわけにも行きませんからね(笑)。何より、コード保持者になって復活出来て不老不死になったとしても、肝心要のギアス能力が失われてしまうので最後の戦いが終わるまで、ゼロレクイエムまでギアス能力を放棄することは考えづらいですからね

*6:繰り返し構造のところで色々書いているうちに思いついたので、ルルーシュのギアス能力についておまけ程度の話。ルルーシュは世界を自分の思うがままに創り変えたいという願いを持っていた。ただしそれは「力の支配」ではない。何でもかんでも暴力的に従える、ねじ伏せるようなことは望んではいなかった。いなかったが故に無制限に言うことを聞かせるという形ではなく、制限付きで「一度だけ」という条件がついた能力として発現したと考えることが出来ますね。何でもかんでも自分の言うことを聞くようなロボットにすることを望んではいなかった。人々の自由意志を尊重したいというルルーシュの信念・心理がそこにあったということなんでしょうね。意図してそういうふうな能力設定にしたのかどうか、わかりませんが、そういう意図があったとしたら凄いですよね。本当にどこまで考えて作り込んでるんだって話ですからね。で、そういう願いが心の奥底にあって制限・トリガーがかけられていたのに、最終的にはその制限があるが故に、「お前たちは私の道具となれ」と兵士を操り人形にしたような状況に陥ってしまった。自由に何度でも上書きできる、命令を変えられるのならば、そんな絶対服従を要求する必要はない。人々を奴隷人形のようにすることを避けられたわけですからね。まあ、キャンセラーあるので都合悪くなったら、解除してまたかけ直せばいいので、なんとも言えませんが。作中だとハッキリ描いてなかったので、ギアスキャンセル後書き換え可能かどうかイマイチ不明なんですけどね。そういうふうに考えると父シャルルの何度でも記憶を書き換えられるという能力はルルーシュのようなトリガーがなく、平気で自分の正義・理想を押し付けるという態度そのものを表していると言えますね

*7:前回の集合無意識云々の話は→【コードギアス解説・考察】 「集合無意識」と「仮面」<ペルソナ>の話 

*8:一応、ルルーシュが「消え失せろ!」と言っているので、それがCの世界への命令、二人を消せ!という意味合いにも読み取れるんですけど、それ以前に消失が始まってますからね