NHKの原発特集でのつぶやきから再編
総額3兆円に及ぶ原発マネーの調査、問題が起こってから調査をするというのは遅すぎないだろうか?これはNHKだけでなく、大メディア全てに言えることである。TVにせよ新聞にせよ、様々な社会問題を特集組んで問題追求キャンペーンをなぜやって来なかったのだろうか?その不健全線を今一度考えていただきたい。
電気料金には原発を建設するための、またその他もろもろの費用が加算されている。それが原発マネーとなって地方に広くばら撒かれていた。そして今度は地方だけでなく、東京電力の管轄下にあるすべての民に賠償金が加算されるの。誰が考えても電気料金システムがおかしいと言わざるを得ない。
歪んだ中央集権・都市圏集中で、過疎化した地方が仕方なく原発招致に走るという構造があった。そして原発マネーが彼らにばらまかれてきた。地方は中央の下請けとなって汚れ役を担わされる。全て問題の構図は同じである。中央集権という歪なシステムが未だに残り続けていること。これこそが日本の癌である。中にはうまい・甘い話に飛びつくな!というものがあるが、そもそもそれ以前に地方は決定権がない。である以上このような甘い選択肢にすがるのは必然といっていいだろう。
地方の疲弊に漬け込んで、地域振興という名目でカネをばら撒く。バラマキあるところに利権あり。利権なくしてばらまき無しの法則どおりだ。もちろんその裏にはトップとする官庁の系列・傘下・下請け企業が列をなす。天下り問題に行き着く。そして決定権なき国会でそれをストップさせることは不可能に近い。日本はまさしく積んでいる。日本の正義はサンデルならぬ、ツンデルだ。ツンデレがいき過ぎて、デレが亡くなったというわけではない。このツンデルという言葉が流布するようになれば少しは危機の打破、希望が持てるかもしれない。
交付金はハコモノ仕様に限ったという。土建国家時代のその名残なのだろうか?未だに日本国家の各地にモノをつくるコンクリート=富野古い時代の構造を引きずっている。その古さは・官僚制の持続性には恐ろしさを感じさせる。70年代という時代を考えれば、でっかい・ピカピカ建物で地方の人は喜んだのか…。
ハコモノができたあとその維持費で赤字に…。そしてまた原発にすがるしかないという悪循環。何やらインドの零細農家、全て新農産品に切り替えたら種が生まれないそれとなって、生産量が一時上がっても、農具から何やら企業の言いなりにならなくてはならない状況に追い込まれた話を連想させる。また日本のヤミ金を連想した人も少なくなかろう。国は弱者を徹底的に食い物にするという図式だ。
青森の電力会社が選挙に関与したり、大阪で市職員が反橋下で動員かけたり、基地問題で官僚が選挙に関与したり、まあこのような権力の地位にあるものが、自己の利権をあたかも地位に付属する特権と勘違いしてそれを維持しようと選挙似まで鑑賞してしまうところが、日本の民主制度を著しく貶めている。プーチンの選挙不正を笑えない。ステレオタイプのアジア専制論などというものがあるが、今の日本は政治的に中国やロシア・韓国などと一緒くたにされて民主制度・民主政治ではないと分類・分析されてももはや文句が付けられないであろう。