てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

アイヌはいないとかセクハラ都議会とか

 そういえばアイヌ民族はいないというツイートをして問題になった市議がいましたね。本人曰く、アイヌ民族を称した不透明な補助制度に問題提起をするためだとか。まあそれにしてもずいぶん軽率なやり方だったことは否めません。議会も失言だ!撤回しろ!謝罪しる!辞職しる!では意味が無いでしょう。その補助制度、アイヌ民族文化振興の制度の是非を論じて、彼の間違いを指摘すればいいだけではないでしょうか?むしろかえって議員の自由な発言を封じる流れになりかねない。

 間違っていようが、ただしかろうが、まずそれを自由に論じられる空気、言論の自由あってのこと。確かに当のアイヌの人たちにとって傷ついた!許せない!という心情はわかりますが、だからといって、撤回しました→スッキリ&( ˘ω˘)スヤァ.にはならんでしょうしねぇ。むしろそれが誤りならそういう誤解あるいはとんでもない思い込み・偏見が今後生じないように、こういうことになっていて、適切に制度が施行されてますよとPRすべきではないでしょうか?

 まあ、そんなに興味ないんですが、またしても市議会が議員辞職決議を出したとのこと。これまでは「汚職」で濫発されてきたわけですが、この前のセクハラ騒動と相まって、内容がドンドン変化してきていますね。それだけ議員不祥事というのが過去のものになってきたということでしょうかね。


 で、その当のセクハラ騒動を引き起こした都の自民党がまたやらかしてしまいましたね。東京都議会の「男女共同参画社会推進議員連盟」の会長に就任した自民党の野島善司さんが、あれは公的な場所=議会での発言だから、問題になった。私的な場だったら問題ないみたいなことを言ってました…。

 本当、何やってるんですかね。セクハラ=性的な嫌がらせ=身体を触る、つまり性的な要求をすることだと思ってるんでしょうね。以前ツイッターで、未だに50~60のジジイ世代は、そういった性的な接触のみをセクハラと考えて、結婚とか子を産んだとか、そういう話がNGになっているという常識がないーというのを見かけましたが、まんまそれですよね。

 昔なら人生訓というか説教の一つみたいな形で年上・上司が、「結婚はいいぞ~とか、お前も早く家庭を持てよ!」みたいなことを部下に言うのは当たり前だったのでしょうが、今ではそういうのはNGだという理解・常識がない。多分、これは自民党議員に限ったことではないでしょう。

 根本的にそういう理解、世の中の許容する範囲・価値観が変わったのだから、それに対する説明、ブリーフィングでもやるべきだと思いましたけどね。件の自首して会派離脱した人も雑誌かなんかの対談で、支持者から大した問題じゃないとエールを頂いたみたいな頓珍漢な開き直りしていますからね。

 以前、己はこの人が議員をやめないならば、自分の不勉強を自覚して、改めてその分野を勉強してこの分野のトップを走る人物となって始めて禊になる。率先して男女平等の問題に取り組むべき、トップランナーになるべきだということを書きましたが、もうまるでダメですよね。組織として不祥事の取り組み方が、その組織の性質を表すといいますが、今回の事件でやっぱりダメ組織だなぁという感じですね。

 ローマなんかみても、偉大な組織・機構というのは、失敗しないのではなくて、失敗や敗戦から教訓を引き出してそれを活かすことが上手かったわけですね。学習能力・反省能力こそ、偉大なローマ帝国のキーだったわけですが、自民党の危機・不祥事に対する姿勢は、もう完全に事なかれ主義。とりあえず嵐がすぎるまで、頭下げとけ&庶民の不満が吐き出されるのを待てーというガス抜き姿勢ですからね。トップに就任した人がこういう理解・姿勢なわけですから、また同じ失敗をやらかすでしょうし、男女共同参画社会への取り組みが本腰を入れるわけ無いですよね。


 まあ、どっちの問題も同じで、表面的な謝罪やバッシングではなく、議会での討論と選挙での当落の是非をキッチリ論じることでしょう。変に叩くより、こういう発言をする議員に一票入れますか?それとも対抗する議員に一票入れて落としますか?と報道して欲しいですね。議会政治なのですから、選挙できっちりケリをつけるべきですよね。都議会で自民党が壊滅するくらいの厳しい審判をお願いしたいものですねぇ。


※追記、そう言えば、ゴールデンカムイで偽アイヌをアニメ化出来なかったとかなんとか、そういう話がありましたね。偽アイヌという点で気になるのは、元々生まれがアイヌであるとかないとかではないこと。かつてのユダヤ人を見ればわかるように、別に血統・生まれをもってユダヤ人になるわけでもない。ユダヤ教徒であるかどうかがユダヤ人であるポイントだった(イスラエルという国家でイスラエル人でありながらユダヤ教徒ユダヤ人ではない。またユダヤ人という血統の点でクリアしていても、ユダヤ教徒ではなくなったとか問題が複雑化しましたが)。ユダヤ教を信じることで民族のアイデンティティーを保ったように、アイヌ文化・信仰を持つことで、アイヌ人・民族であるということでも何ら問題はないわけですね。アイヌ文化を引き継ぎたいというちゃんとした動機を持った人間であるならば、それが元々何人であるかわからない人間でも問題ない。ポイントはちゃんとアイヌ文化の知識があるか、伝統を受け継いで今後も継承が可能であるかという点ですね。実際、そこのところどうなのか気になるところですね。